心配ですけど良庵せんせの剣の腕ならまぁ平気――
『そういや刀とか持って行かねえだ?』
『与太郎を破落戸から足を洗わせる話し合いに行くんだぞ。そんなのぶら下げてちゃ話もできやしないよ。そんな時代でもないしね』
…………無手でもせんせは滅法お強いですから平気でしょう。
いざとなったらしーちゃんも付いていますしね。
さて。
あたしもやる事やっちまいましょ。
ぷつんぷつんと自分の髪を抜くと、胸に抱いたなっちゃんが自分の毛も使えときゅーきゅー鳴いてくれました。
「じゃちょいと貰うよ。ありがと」
合わせて十本ほど、これくらいあれば充分ですか。
両手の指にそれぞれ幾つかずつ挟み、一気に巫戟の力を籠めます。
全ての毛がうぞうぞ蠢いてさまざまな形を象りますが、ちょいとなっちゃんの毛は短すぎましたねぇ。
あたしの髪はいつも通りネズミになりましたけど、なっちゃんの毛は虫に――てんとう虫にしか出来ませんでした。
ま、てんとう虫なら空を飛んでもおかしくありませんし丁度良いですね。
「じゃ、みんな。あの女を探してここに来るよう伝えておくれ。分かったらお行き」
ネズミとてんとう虫をそれぞれ見送って、あたしはなっちゃんに構われながらお洗濯。
そうやっていると、ふわりふわりと風に吹かれてごっちゃんが帰って来ました。
「お疲れごっちゃん。ありがとうね」
ぽよんと掌で受け止めて、お尻に撫でつけるようにやって仕舞い、そして再びお洗濯。
良庵せんせ達の動向も気に掛けつつ手を動かして、そして今までの事を考えます。
意図は分かりませんが、町の破落戸に依頼を出したのは十中八九あの人でしょう。
なんだったらもう、彼女であって欲しいくらいですよ。新たないざこざの種はいりませんから。
良庵せんせと与太郎ちゃんが蝮の三太夫の店に着くまでもう少し、という頃あたしが洗い終えた洗濯ものをぱんぱんやりながら干していると――
「お葉ちゃんちょっと、なんなのよこの子たち」
――ぐにょん、とあたしの結界を通って庭に現れたのは当然あの人、あたしの姉の菜々緒です。
「お呼びだてしてすみませんでしたねぇ」
最後の一枚、良庵せんせの道着を干してぱんぱん叩き、洗濯かごに入ったままのなっちゃんをかごごと縁側へやってから姉の方へと向き直りました。
「菜々緒も顔出そうとは思ってたからそれは良いんだけどさ、とにかくこの子たちどっかやってよ。鬱陶しくてしょうがないの」
でしょうねぇ。胸の辺りに数匹のてんとう虫が蠢いて、両肩で二匹のネズミがちうちう鳴いていますから。
ぱちんと指を鳴らすと姉に集るてんとう虫もネズミも、同時に町を走り回るネズミたちもが一斉に元の毛に戻りました。
「今度は潰さなかったんですね。姉さんにしてはお優しいことで」
「今度は、って何のことか判らないんだけど一体なんの用? 今夜は賢哲さんの家でご飯よばれるんだから」
賢哲さんのところで晩ご飯ですって。着々とお嫁入りが進んでいるんですねぇ。
破落戸の事を聞くつもりでしたけど、せっかくだからそちらも訊ねておきましょうか。
「ところで姉さん。姉さんが人に嫁入りなんて一体どういうおつもりです?」
「なんだそんなこと? そんなの決まってるじゃない……――」
頬を染めていやんいやんと体を捩じって見せる姉。
人なんてゴミクズ――そう言って憚らなかったあの姉さんが人に嫁入りですよ? 腑に落ちなさすぎなんですが。
「だって菜々緒……――、賢哲さんに出逢ってしまったんだもの! しょうがないじゃない!」
出逢ってしまったからしょうがない……、つい最近どこかで……ってあたしですか。
「という事はなんです? 姉さんも人に――賢哲さんに、その、恋しちまったってのかぃ?」
「姉さんも? ちょっとお葉ちゃん、貴女もしかして賢哲さんに――」
「ち、違いますよ! 人聞きの悪いこと言わないで下さい!」
「人聞きの悪い? 賢哲さんに恋するのが悪いことみた――」
ちっとも話が進まないじゃないですか。姉さんは昔っからこうですよ。早合点で早飲み込みの早忘れ、なんなら与太郎ちゃんよりおつむが足りてないんじゃないかしら。
「姉さんが賢哲さんを好き、それは分かりましたけど一体どんな風の吹き回しです? もともと人なんてゴミクズって言ってらしたじゃないですか」
「人なんてゴミクズよ。けど賢哲さんだけは違うの! あの人だけはゴミクズの中のただ一つの宝石なの!」
……恍惚とした表情でアツく語る姉のお話しを要約すると。
あたしと良庵せんせが楽しく暮らすのをひと月ほど前に目にしたそうで、羨ましくなっていっちょ人間の男を味見してみよう、そう考えた姉は裏から色々と手を回し、賢哲さんとこの檀家の遠縁の娘という背景を拵えてお見合いしたんだそう。
賢哲さんを選んだのは、我が家に顔を出す男の中で一番見た目が良かったから。
ここからは口に出すのも憚られますが、すぐさまその日にもつれ込み、一夜にして賢哲さんの虜になったそう。
「賢哲さんの優しい手付き…………思い出しただけで菜々緒――あんっ……」
昔っからこうですよこの人は。
頭で考えないで体のどこか、主にヘソより下で考える性質なんですよねぇ。
こんな人を見て育ったせいで、どうにもあたしはその手のことに奥手になっちまったんですよ。
ですけど姉は、あたしが悪いと言い出したんです。
「大体ね、お葉ちゃんが悪いのよ?」
「あたしが? 一体なんのことです?」
「だってようやく見つけたお葉ちゃんがさ、あんなに楽しそうに嬉しそうに人間の男と暮らしてるんだもの」
「ようやく見つけた? どういう事です?」
あたしはそりゃ、良庵せんせと仲睦まじく暮らして楽しく嬉しく幸せですけど、どうしてあたしを……?
「菜々緒はずぅっと何十年もお葉ちゃんのこと探してたんだから! なのにようやく見つけたと思ったら人妻になってるわ楽しそうに暮らしてるわで菜々緒とっても可哀そうじゃないのよ!」
あたしを? ずっと探してた? もしかして…………
「姉さん、もしかしてですけど……まだあの人、あたしを……?」
「そうよ! だから菜々緒はずっとお葉ちゃんを探させられてたんだからね! いなくなっちゃったお葉ちゃんのせいで!」
なんてことでしょう。
あの人がまだ、あたしの事を……
……めんどくさいったらありゃしませんねぇ。