定吉っちゃんも帰って日暮れ前、毛玉は上手いことやっているかしらと思いながら七輪の前に陣取ると、再びあたしの張った結界を通る何者かが訪れました。
……あらあら、参っちまいますねぇ。
まさか半日やそこらでバレちまうとはねぇ。
ちょっと考えが甘かったですか。
「これ。返しに来たわよお葉ちゃん」
結界を通り抜けて庭へとやって来たのは姉・菜々緒です。
彼女一人なら別段構わないんですけれど、参っちまうことにその手にあたしの毛玉を引っ掴んでいたんですよね。
「この菜々緒姉さんを探ろうなんて百年早いわよ」
姉はそう言って、掴んだ毛玉にギュッと力を籠めました。
なんて事するんですかこの女は。
「止めなさい! 姉さんと言えども許しませんよ!」
「ふん、なにさ。お葉ちゃんが怒ったって怖くないわよ。六尾のくせに凄んだってしょうがないでしょ」
それはまぁ、その通りなんですよね。
六尾のあたしじゃ七尾の姉にまともに挑んだところで返り討ちが関の山。
だからって好き勝手にはさせませんけどね。
「姉さん。今おいくつになりました?」
「いくつって、そんなのはっきりとは覚えてないけど何十年か前に尾が増えたから五百五十とか六十とか……そんなとこじゃない? それがどうかした?」
ほら見なさい。脳筋の姉はこれだから。
「そんなんでどうしてあたしが六尾だと思ったんです?」
にやりと笑んで言ってやりました。
「あたしは手前の歳も姉さんの歳も、きっかり正確に分かりますよ。姉さんと違ってね」
「――まさかお葉ちゃんが七尾……? 嘘よ! まだもうちょっとある筈でしょう!?」
ほんとのところは姉の言う通りです。もう十年ほどは掛かるでしょうねぇ。
わなわな震える姉が両の指を折り、あーでもないこーでもないと何事か数え始めましたけど、それをのんびり待ってなんてあげません。
「とにかくあたしのなっちゃんを返しなさい」
「なっちゃんですって!?」
あの毛玉はあたしの六番目の尾っぽ。あれの本当の名前はむっちゃんです。
ずいぶんと前ですけど、あたしが五番目の尾っぽのことをごっちゃんと呼んでいたのを知っている姉にとって、これはなかなか効くはったりでしょう。
「もーーっ! 分かんない! もういい! 今日は帰る!」
そう言った姉は手に掴んでいた毛玉を起こした癇癪と共に地面に叩きつけ、背を向けて出て行ってしまいました。
あたしは弾んだ毛玉を慌てて抱きとめて、それでも姉を警戒して仮名で呼び掛けました。
「大丈夫かいなっちゃん!?」
「――……なっちゃん? お葉さん、どなたか見えられましたか?」
間の悪いところに良庵せんせ。
そりゃまぁあれだけ騒げば良庵せんせの耳にも届きますよねぇ。
良庵せんせに背を向けた状態のいま、あたしのお尻に毛玉を仕舞うことは出来ません。
幸い胸に抱えたなっちゃん――じゃなくて、むっちゃんの事はまだ目にされていない筈。
「大丈夫ですか!?」
あぁ――、優しい良庵せんせですから返事をしないあたしを心配して下さいますよね。
けれど今はあたしの腕の中を覗かないで下さいな。
「やや! これは――!」
だめ!
こんな鍋ほどもある動く真っ白もこもこ毛玉なんて見つかっちまっちゃあたしの正体も疑われっちまう――
「なんとも綺麗な小狐ですね。なっちゃんというのがこの子のお名前ですか?」
――……え? 綺麗な小狐?
見ればあたしの腕の中の真っ白もこもこ毛玉は、ちょこんと小首を傾げた見目麗しい真っ白な小狐の姿をしていました。
むっちゃん偉い! 可愛い!
気が動転してうっかりしちまったよ。
むっちゃんの普段の姿は小狐。さらにあたしの尾っぽたちはどんな姿にも化けられるんでした。
姉を探らせてた時も狐に化けて尾けてた筈ですしね。
「え、ええ、そうなんです。どこからか現れたこの子にえらく懐かれちまって……」
あたしの言葉に応えるように、むっちゃんがあたしの胸にふさふさの頭をぐりぐり擦り付けてきました。
「いやぁこれは本当に可愛い小狐だ。僕も抱っこしたいけど噛み付くかな?」
少しおっかなびっくりの良庵せんせがそぉっと指をむっちゃんに近付けると、むっちゃんはその指先をぺろりと舐めて、ぴょんっ、と良庵せんせの胸へ跳びつきました。
「やや! 僕にも懐きます! ほんと可愛いなぁこの子。お葉さん、うちで飼えないかなぁ?」
「か、賢そうですし飼えるんじゃないですかねぇ」
「どこかよその家に飼われてる子だったら不味いかな?」
「そ、その時は事情を話してお返しすれば良いですよ」
「そうですね……そうしましょう! 今日から君はうちの子だよ! よろしくね、なっちゃん!」
「キューー! ……キュ?」
……悪いねぇ、むっちゃん。
今日から貴方の名前はなっちゃんだよ。勘弁しておくれね。