「こら、不良娘」


鼻の奥がツンと痛んだとき、下から聞き慣れた声が飛んできた。


「てっちゃん……。なにしてるの?」

「それはこっちのセリフなんだけど」


見下ろした視線の先にいた幼なじみの哲樹(てつき)が、眉をひそめている。


「若い女がひとりで出歩く時間じゃないぞ」

「うわ~。オヤジくさ」

「誰がオヤジだ」


彼は私の悪態に不満そうにしながらも、「下りてこい」と言った。


ブランコを漕ぐのをやめつつ、滲みかけた視界をごまかすように空を仰ぐ。
まだ雨雲の名残がある夜空には、ぼんやりとした三日月が浮かんでいた。


「なにしてるんだよ?」


私がブランコから下りると、哲樹が近づいてきた。


「夜の散歩。ちょっと外の空気が吸いたくて」


本心なのに言い訳っぽく聞こえてしまったのは、心の中がぐちゃぐちゃだから。


わずかに揺れたままのブランコが、キィキィ……と小さな音を立てている。
悲しげに泣いているように聞こえるのは、きっと私がマリッジブルーみたいな感覚に陥っているせいに違いない。


「外の空気が吸いたいなら、部屋の窓かベランダにしろよ」

「いいの。散歩もしたかったの」

「こんなところにひとりでいたら危ないだろ」


反抗期よろしく、言い返してばかりの私に彼が眉を下げた。


「てっちゃんこそ、明日の主役がこんな時間に出歩かない方がいいんじゃない?」

「主役は俺じゃないよ」


哲樹がふっと笑う。
唇を持ち上げ、少しだけ悪戯っぽく、ほんの微かな色香を纏って。そして、なによりも嬉しそうに。


この笑顔が、私はとても好きだ。
まだ色気なんてない子どもの頃からずっと、もう何年も……。


「新郎だって主役でしょ」


言葉尻が少し冷たくなったのは、今日まで抱えてきた恋心のせい。


言えないまま、約十年。
私の初恋は、今夜で本当に終わる。


「主役は奈江だ」


幸せそうに微笑む彼と姉が、朝になれば結婚するから……。


初恋の幼なじみと、たったひとりの姉。
高校の卒業式の日から付き合い始めたふたりは、長年の交際と約二年の同棲を経て、姉の誕生日である明日に籍を入れ、結婚式を挙げるのだ。


今夜は独身最後の夜ということで、お互いの実家で過ごすことに決めたのだとか。
それに合わせて、私も一人暮らしをしている家から帰ってきていた。


ただ、眩しい現実を目の当たりにするのは、ひどく残酷で。
幸せそうに笑う姉の姿を見るたび、胸が張り裂けそうだった。


のんきなふりでもしていなければ、心が粉々に砕け散ってしまいそうなほどに……。