神代 景ちゃんと私、ヒナ=陽菜子は家も近所で、年齢も近かったことから、兄妹同然に育った。
 特に、景ちゃんのお母さんは病弱で入退院を繰り返していたため、小さい頃は彼を私の家で預かる機会が多くて、私たちはいつも一緒にいた。
 景ちゃんもお母さんと同様、あまり身体が丈夫でなかったので、外には行かず、室内で遊ぶことの方が多かった。
 ゲームは私が苦手だった。
 だから、景ちゃんが持参した漫画ばかり読んでいた。
 でも、すぐに読書も飽きてしまい……。
 そのうち、景ちゃんが私の好きな漫画のキャラを画用紙に描いてくれるようになった。
 景ちゃんは天才的に絵が上手かった。
 子供とは思えない、写実的な絵を描いた。
 私が「上手い!」と目を輝かせると、彼は満面の笑顔を浮かべてくれた。
 彼はお母さんにも褒められたらしく、病室に飾ってもらうんだと、一層描くことにのめりこんでいった。
 そうして、景ちゃんは誰に言われるでもなく、漫画を描くようになっていった。

「僕、将来……漫画家になるんだ」

 高校に入ってすぐ、景ちゃんは私に宣言した。

「ほら、僕は身体も弱いし、人と話すのも苦手だし。普通に働くのって、無理そうな気がするから」
「そんなことないと思うけど。……でも、私も景ちゃんが漫画家になってくれたら嬉しい」

 景ちゃんは絵が得意だし、賢くて、知識の引き出しも沢山持っている。
 きっと、凄い漫画家になれるはずだ。
 それに……。

(景ちゃんが漫画家になったら、私と一緒にいてくれるかも?)

 漫画家は自宅作業だから、デビューして売れても、私が卒業するまで、実家に居続けてくれるかもしれない。

「私も一緒に描いていい?」
「もちろん」
「私、絵が下手だって、お母さんに嗤われちゃったけど」
「そんなことない。僕はヒナの絵、愛嬌があって好きだよ」
「そうかな?」
「僕は嘘が吐けないからね」

 嬉しい。
 私のことを理解してくれるのは、景ちゃんだけだ。

 ――私たちは、いつも一緒。
 
 景ちゃんは私の作品を熱心に見てくれたけど……。
 でも、本当は私、漫画なんてどうでも良かった。
 物語を描くのは楽しくて好きだけど、漫画を職業にしようなんて、考えたこともなかった。
 ただ彼を想って、誰より傍で見守りたかっただけ……。
 景ちゃんが原稿に向かっている時の鋭い目が好きだった。
 いつも、ふわっとしていて、感情の起伏が乏しい景ちゃんの激しい一面。
 筆が乗って来た時のガッツポーズ。物語の中にいる彼は燦然と輝いていて。
 新人賞に沢山応募して、徹夜も何度もして、体調を崩して……。
 すべてが眩しくて、尊かった。
 青春しているな……と、リアルに感じた。
 元々の才能に努力の甲斐もあって、投稿を続けていくほど、彼の順位は上がっていった。
 もう一歩賞、努力賞、そして佳作。
 デビューに向けて、景ちゃんは同じ投稿者の人と情報交換したり、編集さんに指導してもらう機会が増えていった。

(景ちゃんが、いろんな人と話してる)

 それは、景ちゃんにとって、大きな前進だった。
 元々、漫画ばかり描いていて、友達も少なかったから、皆心配していたのだ。

(良いこと……だよね)

 そう、良いことのはず……なのに、私の心は晴れなかった。
 私だけの景ちゃんが何処かに行ってしまいそうで、日増しに、独占欲が膨れ上がっていった。
 最初に歯車が狂ったのは、景ちゃんとの話題作りに応募した新人賞に、私が入選してしまったことだった。
 景ちゃんが面白半分に指導してくれた、ほのぼの系の漫画を締切りの近い賞に送った。
 それがなぜか、最優秀賞を取ってしまったのだ。

 突然、私の世界の方が変わってしまった。

 何処から情報が漏れたのか、近所でも、学校でも、私は有名人になってしまって……。

 ――そして、景ちゃんと私の距離は、果てしなく遠くなってしまった。

 彼は、もちろん私の受賞を喜んでくれた。
 けど、それきりだった。
 私の前だけでは話してくれた本音も笑顔も……全部消えてしまった。

『年下のお前に先越されて、面白くないんだろ。小さい男だな。放っておけよ』

 近所の人の口さがない言葉。
 たとえ、そうであっても、噂話の的にされるほど屈辱的なことはない。
 自尊心が高くて、繊細な彼にとっては、尚のこと。

(どうして、こんなことに?)

 ただ、私は……。

(景ちゃんに、私のことを見て欲しかっただけなのに)

 きちんと、説明したくて。
 でも、それが出来ないままに、更にどうしようもないことが起こってしまった。
 学校の帰り道、偶然一緒に帰った同級生から、家の真ん前で告白されてしまい、その場面を景ちゃんに目撃されてしまったのだ。

 ばつが悪すぎた。 

 よりにもよって、滅多に顔を出さなくなった景ちゃんが家に来た時に、こんなことが起こるなんて。
 神様は本当に意地悪だ。

「あのね、景ちゃん。私、あの人のこと、良く知らないの。今日、たまたま帰り道が一緒になって」
「別にいいよ。僕には関係ないから」
「でも」
「本当に。君の恋愛なんてどうでもいいんだ。でも、いい奴っぽいから、付き合ってあげたらいいんじゃない?」
「何で、そんなこと言うの? 私、付き合わないよ。付き合うはずないじゃん!」
「付き合ったらいいのに? 何もかも順調で、人生楽しそうでいいね」

 それは、絶対に嫌味だ。
 私に怒る間も与えず、景ちゃんは帰ってしまった。

(それはないよ。景ちゃん)

 喧嘩を売りたいのなら、堂々とそうして欲しい。

(小さい頃みたく、口喧嘩して……仲直りするの。いつも、そうしていたでしょ? どうして、そんな簡単なことが出来なくなっちゃうの?)

 私の一番は景ちゃんだ。
 その景ちゃんに、暴言を浴びせられているのだ。順調なはずがない。
 切なかった。
 けど、何をどうしたら、彼と対等に話せるのか、幼い私には分からなかった。
 分からないままに、時だけが過ぎていった。
 次第に、悲しみより、怒りや呆れの方が勝っていった。

(私だって、忙しいんだから)

 このまま、景ちゃんの難解な心に振り回されて堪るものかと、私も彼から距離を置いた。
 ――しかし、半年後。
 景ちゃんのお母さんが亡くなり……。
 そのすぐ後に、彼のお父さんまで、逝ってしまったのだ。