◇
――PM7時。
待ち合わせ場所のファミレス。
上の空で、メニューを眺めている私の前に、十分ほど遅れて景ちゃんが現れた。
「久しぶり!」
入口できょろきょろしていた彼に向かって、私は声を掛ける。
「ああ。……うん」
景ちゃんは私を認めると、ゆっくりこちらにやって来た。
もっさりした黒髪と黒縁眼鏡。不健康そうな白皙。
(変わってないなんて、酷いな)
少し瘦せたみたいだけど、十年前とほぼ同じ景ちゃんがそこにいた。
「良かった。まさか会ってくれると思ってなかったから」
「どうせ泰子さんの差し金でしょ。実家の話だから、一度会っておいた方がいいと思って……」
景ちゃんは気怠そうに伸びをしている。
泰子は私の母の名前。景ちゃんは私の従兄で幼馴染だった。
今回彼が私に会ってくれたのは、故郷で空き屋のままになっている、彼の実家の今後を話し合うためだった。
解体するのか、それとも再活用するのか、景ちゃんの意思を聞いて来いと、現在、東京在住の私が母によって送り出されたのだ。
「まさか、出版社経由で君から連絡が来るとはね」
「ごめんね。でも、景ちゃん、SNSもやめちゃったし、他に連絡先が分からなかったんだ」
彼は漫画家だ。
現在、月乃音というPNで活躍している。
独特の世界観で、マニアックなファンが多いけど、デビューしてから十年近く、幾つもの連載を描き続けている売れっ子だ。
数年前から、音信不通になっている彼に連絡を取る方法は、ファンレターの宛先に手紙を送ることくらいしか私には思いつかなかった。
「あ、僕はホットコーヒーで」
先に私が注文したアイスティーが運ばれて来たタイミングで、彼はウェイターさんを呼びとめた。
「食べないの?」
「ああ。長引く話ではないと思ったから。君は食べたら? ここに君を呼び出したのは僕だし、ちゃんと支払うから」
相変わらず、素っ気ない。
シャツの胸ポケットから財布を取り出しているのだから、すでに帰る気満々のようだ。
(もう少し大人の対応をしてくれたらいいのに)
でも、これが「景ちゃん」。
パッと見は、草食系の温厚そうな人だけど、彼ほど頑固で自己主張が激しくて、面倒臭い人を私は他に知らない。
「漫画賞、とったんだってね」
「……うん」
「おめでとう」
「どうも」
しん……と静まり返る。
会話が続かない。
景ちゃんが続ける気がないからだろう。
どうせなら、彼の作品の話をしたり、サインを強請ってみたり……。
昔みたいに気安く話したい気持ちはあったけど、結局、それが目的で呼び出したんだろうって思われるのが嫌だった。
悲しいかな……。
彼が私との時間を苦痛に感じていることが伝わってくる。
(やっぱり、私のこと許してくれないんだね)
拷問のような沈黙を経て、私は絞り出すように告げた。
「私ね……結婚するんだ」
「そう」
「専業主婦になる予定」
「そうなんだ」
それは、景ちゃんに対してのメッセージだった。
もう貴方と同じ土俵には乗らないからって。
だから安心してって。
けれども、景ちゃんは、そんな私の最後の気遣いすら、認めてくれないのだ。
「……で? 僕の実家の話をするんじゃなかったの?」
ゾッとするほど低い声だった。
――PM7時。
待ち合わせ場所のファミレス。
上の空で、メニューを眺めている私の前に、十分ほど遅れて景ちゃんが現れた。
「久しぶり!」
入口できょろきょろしていた彼に向かって、私は声を掛ける。
「ああ。……うん」
景ちゃんは私を認めると、ゆっくりこちらにやって来た。
もっさりした黒髪と黒縁眼鏡。不健康そうな白皙。
(変わってないなんて、酷いな)
少し瘦せたみたいだけど、十年前とほぼ同じ景ちゃんがそこにいた。
「良かった。まさか会ってくれると思ってなかったから」
「どうせ泰子さんの差し金でしょ。実家の話だから、一度会っておいた方がいいと思って……」
景ちゃんは気怠そうに伸びをしている。
泰子は私の母の名前。景ちゃんは私の従兄で幼馴染だった。
今回彼が私に会ってくれたのは、故郷で空き屋のままになっている、彼の実家の今後を話し合うためだった。
解体するのか、それとも再活用するのか、景ちゃんの意思を聞いて来いと、現在、東京在住の私が母によって送り出されたのだ。
「まさか、出版社経由で君から連絡が来るとはね」
「ごめんね。でも、景ちゃん、SNSもやめちゃったし、他に連絡先が分からなかったんだ」
彼は漫画家だ。
現在、月乃音というPNで活躍している。
独特の世界観で、マニアックなファンが多いけど、デビューしてから十年近く、幾つもの連載を描き続けている売れっ子だ。
数年前から、音信不通になっている彼に連絡を取る方法は、ファンレターの宛先に手紙を送ることくらいしか私には思いつかなかった。
「あ、僕はホットコーヒーで」
先に私が注文したアイスティーが運ばれて来たタイミングで、彼はウェイターさんを呼びとめた。
「食べないの?」
「ああ。長引く話ではないと思ったから。君は食べたら? ここに君を呼び出したのは僕だし、ちゃんと支払うから」
相変わらず、素っ気ない。
シャツの胸ポケットから財布を取り出しているのだから、すでに帰る気満々のようだ。
(もう少し大人の対応をしてくれたらいいのに)
でも、これが「景ちゃん」。
パッと見は、草食系の温厚そうな人だけど、彼ほど頑固で自己主張が激しくて、面倒臭い人を私は他に知らない。
「漫画賞、とったんだってね」
「……うん」
「おめでとう」
「どうも」
しん……と静まり返る。
会話が続かない。
景ちゃんが続ける気がないからだろう。
どうせなら、彼の作品の話をしたり、サインを強請ってみたり……。
昔みたいに気安く話したい気持ちはあったけど、結局、それが目的で呼び出したんだろうって思われるのが嫌だった。
悲しいかな……。
彼が私との時間を苦痛に感じていることが伝わってくる。
(やっぱり、私のこと許してくれないんだね)
拷問のような沈黙を経て、私は絞り出すように告げた。
「私ね……結婚するんだ」
「そう」
「専業主婦になる予定」
「そうなんだ」
それは、景ちゃんに対してのメッセージだった。
もう貴方と同じ土俵には乗らないからって。
だから安心してって。
けれども、景ちゃんは、そんな私の最後の気遣いすら、認めてくれないのだ。
「……で? 僕の実家の話をするんじゃなかったの?」
ゾッとするほど低い声だった。