「そんなに塩を振ったら辛くて食べられるものじゃないだろう。味覚が無いからといって気を遣う必要はない」

 塩を入れ過ぎたおにぎりを想像したのか、()()()()()()()()()()()()()()()蓬に莉亜は自分の狙い通りになったと得意げな気持ちになる。莉亜の料理に憂色を濃くする蓬を安心させるように胸を張って答えたのだった。
 
「いいえ。これがセイさんのおにぎりの隠し味の一つです」
「隠し味だと……?」
「セイさんの話を聞いた時、ずっと気になっていたんです。蓬さんにおにぎりを届けに来たセイさんが、わざわざ蓬さんの目の前で塩を振りかけたのはどうしてだろうって」
「そんなのはただの仕上げだろう。俺だって塩気が足りないと思った時は最後に追加する」
「でも仕上げだけなら自宅ですればいいだけのことですよね。蓬さんだって、お客さんに料理を運んでから敢えてその場で塩をかけていませんよね。塩気が足りないと思ったら、料理を提供する前に塩を追加すればいいだけですから」

 蓬からセイが作るおにぎりの話を聞いた時、疑問に思った。どうしてセイはあえて蓬の目の前でおにぎりに塩を振ったのか。
 これがおにぎりではなく、例えば肉や魚料理だったら客の目の前で塩をかける意味も分かる。客の口だけではなく、目も楽しませようという店側のパフォーマンスなのだと。もしかしたら世の中には客を楽しませるために、目の前で調理するおにぎり屋もあるかもしれない。だがセイに限っては、そうする必要性が感じられない。おにぎりを渡す相手は不特定多数の客ではなく、自身が住まう神社で祀っている豊穣の神の蓬であり、神饌として米と塩を奉納するのは必須なのだから。それなら蓬の目の前でおにぎりに塩をかけるということに、どんな意味があったのだろうかと。
 ――もしかすると、そこには味付け以外にも意味があったのではないかと。
 金魚が働くおにぎり屋でそのことに気づいた莉亜は店を出た後、公共図書館で料理科学に関する本を読んで答えを探した。そうしてようやくその意味を知ったのだった。

「それはそうだが……。ただそれはセイが塩辛い味が好きだからそうしていただけだろう。あの時代、料理は女がするものだと考えられていた。料理とは無関係の家系でもあるセイが料理に関する知識を持っていたとは到底思えない」
「最初こそ偶然かもしれません。でも几帳面におにぎりを食べた蓬さんの反応を日記帳に書き溜めていたところから、セイさんは料理についても勉強していた可能性があります。それなら大学の授業が終わった後、早く帰宅していた理由とも辻褄が合います」
 
 数える程しかセイに会っていないので何とも言えないが、神饌としてただ蓬におにぎりを出すのではなく、蓬に「美味い」と言わせるためにセイが記録をつけていたのだとしたら、生真面目なセイは蓬の神名を探す傍らで料理についても学んでいた可能性が高い。米の炊き方から握り方、味の付け方まで。その中できっと知ったのかもしれない。味や美味しさの区別がどうやってつくのかを。

「さっき私が塩を振った時、蓬さんは塩辛い味を想像して顔を顰めましたよね。それと同じように黄色のレモンを見ただけで口の中が酸っぱくなったり、白色の生クリームを見ただけで口の中が甘くなったりするのを感じます。どうしてか知っていますか?」
「過去に食べたことで味を覚えているからだろう」
「それなら熟す前の緑色のレモンや着色料を使用した青色の生クリームを想像した時、どんな味を想像しますか?」
「当然、どちらも不味いと思うだろうな」
「私たちが最初に料理を食べる時、まず最初に味わうのは見た目、その次が匂いらしいです。その二つが分からない時、知っている食べ物でも味が分からないそうです。セイさんはそれを利用しておにぎりが塩辛いものと錯覚させたのではないでしょうか?」

 勿論、国や地域によって美味しいと思う色は異なる。青い色の生クリームが主流の国があれば、熟す前に収穫された緑色のレモンを使った料理も近年増えている。自分が知っている見た目ではないからといって、必ずしも味が悪いとは限らない。それならどうして青い色の生クリームや緑色のレモンを不味いと思ってしまうのか。それは視覚から入った情報が自分の味覚を刺激して、美味い、不味いを決めてしまっているからであった。見た目という先入観によって味の良し悪しを決めてしまっているからこそ、見た目と匂いが分からない状態では何も感じられなくなるらしい。
 
「それなら何故セイはそんなことをした? そんな意味がないことを……」
「意味はあります。早く蓬さんに力を取り戻して元気になって欲しかったからこそ、セイさんは蓬さんの目の前で仕上げをしたんです。おにぎりに食塩を振ることで、このおにぎりには神饌に使われている粗塩が含まれていると強調するために」
 
 金魚に教えてもらった通り、太陽と海の神によって作られているという粗塩は神にお供えするのに最も相応しい塩である。そんな粗塩を料理として使う際の特徴として、溶けやすさと食材との付きやすさがあった。粗塩ごとの粒の大きさにもよるが、食材に振りかけると溶けずに残ってしまうことが多く、また食材によっては手に取った時に食材から粗塩が落ちてしまうことがあるらしい。そのため振りかけるよりはスープや肉料理に向いているとされていた。
 しかし神へのお供えものに粗塩を溶かしたスープを出すわけにもいかず、どうにかしてそのままの形で粗塩を口にしてもらう必要があった。そこでセイはおにぎりに粗塩を混ぜて神饌とすることを考えたのだろう。ただおにぎりと一緒に出すことで、蓬には塩の神饌が無いと思われてしまうかもしれない。どうにかしておにぎりに粗塩が入っていると目立たせる必要があった。
 だからこそ、セイはあえて蓬の目の前で塩を振ったのだろう。粗塩だとおにぎりを食べる際に落ちてしまうので、粒が細かく食材に付着しやすいと考えられている食塩を振ることで、このおにぎりには粗塩が含まれていると主張させるために。

「蓬さんはセイさんのおにぎりについて、塩辛い中にも甘さと苦さがあった、と表現していました。その甘さというのは食塩で風味を引き立たせられた米の味、苦さが粗塩に含まれるにがりの味、そして塩辛いというのは二種類の塩本来の味に加えて、目の前で塩を振る姿を見たことでより塩辛さが増したのではないかと思ったんです」

 おそらく莉亜だけではなく蓬も、セイは神饌に使われている塩一種類だけを使っておにぎりを作っていると思い込んでいた。だからこそ別の種類の塩と組み合わせて使っている可能性を見落としてしまっていた。
 セイが生きていた時代に現在流通している塩の製塩法が全て揃ったのなら、他の塩が流通していてもおかしくない。塩漬けという料理が太古から存在していた以上、食塩も古えの時代からあっただろう。粗塩しか塩が無かったわけではない。そのことを金魚が働くおにぎり屋で塩おにぎりを食べた時に気付かされた。おのおにぎり屋では店主が自ら配合した独自の塩を使っていた。天日塩の粗塩に食塩をほんの少し組み合わせた塩らしいが、それがあの日セイに作ってもらったおにぎりの味とよく似ていたのだった。
 そこで莉亜は金魚から教えてもらった塩の種類を元に、セイの時代より前から作られている各地の粗塩を取り寄せて、食塩と組み合わせた。その中でようやくセイのおにぎりとほぼ同じ味の塩の組み合わせを見つけたのだった。