このあたりで一番周辺に何もなくて、綺麗な星が見えるところ、と言ったら間違いなく学校の屋上だ。山の麓の、廃校。1年前まで通っていた南中学校。俺の2つ後から人が入らなくなってしまって隣町と合併したらしい。
「よいしょっ…」
廃校とは言ってもまだ最近だからかある程度清掃管理はされているし、多少汚れているな、とか、下手したら壊れそうだな、とか思う程度。とくにおどろおどろしい雰囲気もなく、まして通っていた自分からしたら小さくて少ないながらも存在する思い出に懐かしさと悲しさが交差するばかりだった。
鍵の壊れた裏口から入り、机のバリケードが唯一無い、職員室側の階段から一番上まで上る。ちらりとスマホを覗き見れば星空の画面と20:00の文字。間に合ったことに歓喜しながら階段を上り切って、見えた重い金属の扉を開ける。無事に辿り着いた目的地の屋上はさやかな風も吹かない晴れた夜を映した。そして今日は、そんな夜を独り占めにできる日。そう、思っていた。壊れ掛けの柵に腕をもたれ立つ1人に出会うまでは。

驚いたのは自分だけでは無いようで目先の少女も振り返り、目を丸くしてこちらを見ている。お互いの音と時間に静寂が訪れた後、先に声を発したのは彼女の方だった。
「…誰?ここは立ち入り禁止だよ。」
「そっちこそ。何してんの。」
「別にぃ。君は何しにきたの?家出?」
「違うよ。星を見に来たんだ。」
星?と不思議そうに首を傾げる少女にスマホの画面に映ったニュースを見せる。今日はちょうど、流星群が綺麗に見える日なのだ。しばらく怪訝そうに目を細めた後今度は手招きをしてくる。そっと近づけばにっこりと笑う。
「私も見ていい?」
「ダメとは言わないよ。俺だけのものじゃ無いし。」
「やったぁ。ここが一番綺麗に見えるんでしょ?それ。」
「でもここにいたら怒られると思うよ。」
「大丈夫。私かくれんぼ上手いから。」
驚いて、睨んで、笑って。コロコロと変わる表情(かお)が面白くて思わず声が笑う。すると怒ったように眉を上げる。見ていて飽きないと話していれば改めて目に入る少女の姿はどこか見覚えがあった。決して、出会ったことがあるわけでは無い。肩まで伸びた黒髪も、全てを透かしてしまうような瞳も、笑うと眉が下がるのも、初めて見る存在だ。いや、見覚えがあるのは彼女じゃ無い。彼女の服だ。白のセーラーに青のライン。去年まで嫌というほど見てきた服装だ。
「お前、南中生だった…?」
「…南中生だよ。」
南中学校の制服は合併して廃止になっているからそもそも持っている人ですらいないと思っていた。よく遊んでた女子が都会に出る時に捨てたとかなんとか聞いていたし。学年が違うとしても少数しかいないから、名前がわかれば、と顎に手を当てて名前を問う。
「待って、名前は?」
空音(そらね)だよ。知らないと思うなぁ。私も君のこと知らないし。」
空音、と名乗った彼女は期待もしていないようで、それでもどこか悲しそうに笑う。当然のように聞いたことのない名前だった。
「というか君も名前教えてよ。そしたら知り合い?にはなれるでしょ。」
夏希(なつき)、俺も南中だったけど人数少なくても知らないと知らないもんなんだな。」
「私があんまり学校行ってなかったからかもねぇ。サボってたし。」
ケラケラと笑ってでももうお友達!と楽しそうに笑う。右頬に小さな笑窪が見えてつられて笑顔になる。なんか、秘密の友達みたいでいいな、なんて。高校生になったからと言って捨てきれない子供の頃の憧れが熱を持った。適当に覚えてもいられないような話をしあっていればやがて空が雲に隠れる。
ふと開き22:00を示したスマホの天気予報は雨を示していた。
「雨降るってさ。空音、帰ろうぜ。」
「えぇーせっかく星が見えると思ったのに。」
「まぁ、まだ今週に期待ってことで。明日もいる?」
「…いるよ。」
「それじゃ、また明日。」
空音に軽く手を振った後、雨に急かされて階段をかけていけばくらりと視界が歪む。ある程度体を慣らさないまま動かしたから眩暈がしたのだろうか、日頃運動しないから、と自分を叱責しつつ足を取り持ち今度はゆっくりと裏口まで戻る。この調子ならきっと雨で道がぐじょぐじょになる前に裏道を通れる。

安心して、足を動かしたはずだった。体がぴたりと動くのをやめる。何故だか体を嫌なぞわぞわとした感覚に撫でられる。今此処から出てはいけない。そんな、引き留める何かを。
「っ…」
逃げたい、離れなきゃ、やばい、まずい、怖い、そんな気持ちとは裏腹に体は動くことを拒み続ける。空は曇っている。空音は、まだ降りてきていない。
「空音…?」
嫌な予感だ。当たってほしくない考え。壊れ掛けの柵に腕をかける空音の姿が思い浮かぶ。もし、もしあの時俺が来なくて、1人の夜だったなら。帰ろう、なんて恐怖で動かすことに必死だった足は意外にも校舎に戻ることに早く反応した。絶対に、一分一秒でも遅れてはいけない。少しでも気を抜いたら彼女を失うことになるかもしれない。開きっぱなしの屋上の扉を通りまだ柵の前で黒髪を揺らす彼女の腕を掴む。ひどく細い腕は力を入れ過ぎてしまうと折れてしまいそうでできるだけ優しくこちら側に引き寄せる。

空音は泣いていた。

「ご、ごめんなさい…どうしよう、私、!!」
「大丈夫、とりあえず落ち着いて、ね?」
力が抜けたのかその場にへたり込み、震えながら息を荒くする空音の背中をさする。おそらく、空を飛ぼうとでもしていたのだろうな、と落ち着かせるように隣に座る。
「落ち着いた?」
「…うん…でもごめんなさい、私、夏希のこと巻き込んじゃった…。こんなことになるなんて思ってなくて…!」
「巻き込んだって、そんな大袈裟なことじゃないでしょ。俺もそう言うふうに思ってないし。」
「違うの、本当に、巻き込んだから…」
何やら顔を青くしている空音に“巻き込んだ”の理由を聞くと、よくわからない答えが返ってくる。


「今日に、夏希を連れてきちゃった。」

ものすごく腑抜けた声が出たと思う。困惑しながら空音を見るが空音は至って真剣なようでさらに顔を青くしていた。
「えっと…どういう」
「私、何年か前の今日、死んだの。」
「は、死んだ?」
「そう。この場所で。でもなんでだろ、死にたくて死んだはずなのに未練でもあるのかな、ずっと今日を繰り返してるの。」
信じられないでしょ?と続けた彼女は俺の手のひらに重ねるように手を触れた。改めて触れればそこに人の温かさはなく、ただひんやりとした感覚だけが伝わる。けれど、確かに触れているのだ。幽霊か何かなら透けているものだと思っていたけど。受け入れられないが受け入れるしかない現状をなんとか咀嚼していると空音はゆっくりと続けた。
「私、こんなだから人と会えることなくてさ。だから、夏希が来て、私と話してくれた時、幸せだなぁって思ったの。それで、ずっと続けばいいのにって。」
「ずっと続けばいいって思ったから、俺も“今日”にいるってこと?」
チラリと覗いたスマホの画面は20:00を指している。ちょうど今日、此処に来た時間。けれどそこからスマホの中の時間は動く様子がなく、壊れたようにぴたりと止まったままだった。
「どうしたら、今日から出られるとか分かる?」
「知らない。初めてだったから…」
落ち着いた空音と2人で悩んでみるがこれと言って思い当たることがあるわけでも、何かいい解決案が思いつくわけでもなかった。
「ねぇ。どうして私が死んだとか、なんでとか、気にならないの?」
「え、いや、聞いちゃダメかなって。そう言うの。」
「もう時効だよ〜。でも、夏希はきっと共感してくれると思うんだ。」
ぽん、と軽く言い出した重い話。止めるか迷っていれば空音は笑顔で話を続ける。
「別に、いじめられてたーとか、お母さんに殴られてーとか。そう言うのじゃないんだよね。」
ふふ、なんて口元を押さえながら笑う姿は見惚れるほど美しかった。それでも話している内容は決して綺麗ではない。けれど何か空音が辛いことがあってこの世を捨てたわけではないことがわかって少しホッとする自分がいる。ただ、疑問が消えるわけではない。命を絶つ理由なんて本気で考えたことがない自分にはわからなかった。無遠慮に言葉を続ければそれでも彼女は笑って答える。
「じゃあ、なんで…」
「なんとなく。ただ本当に消えたくてどこか遠くにでも行ってしまって、1人になりたかったってだけ。厨二病みたいでしょ?」
「でも、本当に全てがどうでも良く感じたの。」
「っ……」
刹那、先ほどまで綺麗と感じていた表情が酷く冷たく、渦巻く黒に飲まれる音がする。消えたいとか、全てがどうでも良くなるほど現実が嫌になったことが無いから、空音がどう考えて、行動に移したのか、真意はわからないままで。それでも嫌と言うほど伝わる彼女のおもい、おもい言葉が刺さる。
「夏希に分かるって言ったのは、死んだら星になれると思ったからなんだ。」
細い腕が空を掴もうと伸びる。空を切って握られた拳はひどく小さかった。
「それは、俺が星を見に来たって言ったから、星になりたいって思ってると思ったの?」
「せーかい。って…あれ、違った?」
「俺が流星群を見に来たのは別に、星が綺麗だと思ってるからじゃ無い。」
不思議そうに首を傾げた空音。今度は私が聞く番だね、とこちらに目を向ける。
「特にすごい話はないけど。」
「気になるじゃない、なんで好きでもないのにわざわざ見やすい場所まで来て見ようとするの。」
「別に、自分が幸せになれないって実感できるから。」
「どういう…こと?」
「ほら、綺麗なものってさ見てると自分が駄目な人間に感じるでしょ。」
たとえ生きていても、死んでしまっても、自分は星になることはないと思う。あんなにキラキラと輝いてたくさんの人に見てもらえている存在になんて。
「俺は幸せになっちゃいけないから。幸せになりたいって思わなくなるでしょ。ああ言う到底手も届かないようなものを見せつけられると。」
「手に届かないようなもの」
何度か俺の言葉をボソボソと復唱して首を傾げる。いまいちピンときていないのか手を開いて閉じてを繰り返し落ち着きのない様子だった。
「なんで夏希は幸せになっちゃダメなの?」
「幸せになるってことは誰かを不幸せにするってことだから。俺みたいなのが幸せになって誰かを不幸せにしちゃいけない。」
「どうして?幸せになりたければなればいいじゃない。他の人だって自分の幸せ手に入れるために他人を蹴落としてるんだから。」
「他の人はいいんだ。」
さらに分からない、と言った表情をする。まぁ、きっと空音が死んだ理由が俺にとってピンとこないものであるのと同じなんだと思う。死んでしまった人間に何を話しても変わらない。
「俺、昔から変なんだよ。」
「変?どこが?」
「分からないでしょ。俺、弟がいるんだけど、すっごいあいつのこと嫌いでさ。」
俺ができないことがなんでもできて、親が望むことがなんでもできるあいつが羨ましくて妬ましかった。それだけなら、構わなかったかもしれない。けれど弟は人が良いから俺がどれだけ嫌いだって嫌悪感を出しても優しかったしお兄ちゃんって言ってくる。
「俺はあいつの本当に気づかなかったんだよ。あいつの妬ましいいいところばっかりが目に入ったせいで。」

あいつはクラスメイトを殺した。

 正直、聞いた時は信じられなかった。クラスの人気者の女の子をこの学校の裏山で殺したらしい。正確には、弟は死体を隠しただけで殺したわけではないらしいけど。それでもやっていることは決して正しいと言えることではなかった。なんで、なんでなんでなんでって、最初は怖かった。本当に、なんでそんなことしたか分からなかったから。
「……冬真(とうま)君。」
「は、なんで冬真の名前」
「私のクラスメイトだよ。」

急いで空音の方を見る。彼女は先ほどまでの笑顔を消して遠くを眺めるように雲に覆われた空を見ていた。もう、どんなことを言ったとしてもこちらを向いてくれる気がしなかった。
「頭が良くて、優しくて、いつも私を助けてくれた。」
「それって、」
「冬真君と殺したのは同じクラスの莉花ちゃん。」
殺した、と言う言葉に息を呑む。弟は、この子の共犯者なんだ。と。
「別に私がいじめられてたり、冬真君がいじめられたりとかはなかったよ。ただ、たまたま裏山に遊びに行って、たまたま殺しちゃっただけ。バレたら怒られるから、だから2人で隠したの。」
「そんな、たまたまって…頭殴られて殺されたって…」
「そうだよ?たまたま(・・・・)持ってたレンガが当たっちゃったんだよ。それだけ。」
狂気を感じた。それがさも、しょうがないこと。と片付けられる人の情の無さに唾を飲む。
「でも、お兄さんだったんだ。夏希。」
「冬真は、お前のせいで…」
「なんで私のせいにするの?確かに莉花ちゃんを殺しちゃったのは私だけど隠すって言ったのは冬真君だよ。」
「それは、」
「ふふ、冬真君は私を守るためにそうしたんだよ。」
目線を背けてから、初めてこちらを向いた彼女はひどく嬉しそうに笑った。頬を染め、まるで思いを馳せる人の話をするように。
「もう責めないでよ。私も死んだんだから。」
「冬真は、お前を守りたくて守ったんじゃないっ…そうしなきゃいけなかったんだ。」
1人で楽しそうに語る空音に耐えきれなくなって言葉を漏らす。
「あいつは、優秀でいる自分を守るために、積み重なる全ての期待を裏切らないために全部無かったことにしたんだ…お前のためじゃない。」
俺は、冬真がずっと逃げられなかった期待(重荷)に気づかなかった。それを叶えているから、気に食わない奴だと、近づこうとすらしなかった。
「何言ってるの?なんで?なんでなんで??!おかしいよっ…そんなわけないじゃん!!冬真君は私のために!!」
「いい加減にしろよ!!あいつはずっっとどうしようって悩んで苦しんで死んだんだぞ?!どれだけ後悔して悔やんだか分かるか?分からないだろうなお前みたいなお花畑にはっ…!!」
「お花畑って…!うるさいなぁ!!じゃあ夏希が冬真君の代わりになってよ!!」
空音がぐわっと叫んだあと唐突に背中に痛みを伴う。俺の真上に乗った空音は冷たさを溜まったまま激昂した顔をずいと近づける。
「お兄ちゃんなんでしょ、だったら冬真君と一緒じゃない!!なら私を好きになってよっ…」
「お兄ちゃんだから、お前を死んでも好きになんてなれない!!」
ジタバタと暴れるがもう死んでいるとは、少女とは思えないような力で押さえつけられる。こんなにも簡単に人の命を奪い、人の感情を弄び、そして自分だけを守る人間が死んでいてよかった、なんて、縁起の悪いことを考えながら押さえつける彼女を睨む。その時まで、逃げ出すことに必死で気づくことができなかった。
空音は、泣いていた。唇を噛みながら震えていた。
「冬真君だけなの、…私を認めてくれたのはっ…私に、居場所があることを教えてくれたのはっ…」
「認め、るだろうよ!!あいつは人を選んで利用したりしないし、軽蔑したりしない。」
「あのね、大好きだったの。本当に、冬真君の事。」
「泣けば解決すると思うな。」
一瞬の隙をついて抜け出し空に近い方へ逃げる。
「お前は自分の幸せばかりを考えて、好きなやつの幸せを考えない。お前が自分が幸せになることを願ったから、冬真は幸せになれなかった。」
「だから俺はお前に不幸を返してやるよ。よく見てろ。」
ニヤリと笑ってギィと揺れる錆びた柵に手をかける。初めて、死にたいと思った。ここにいる最も最低な死人を死以外の方法を持って苦しめてやりたい。お前が好きだと言った人間が死んだことを目の前で証明して見せる。
「お前が殺したんだ。」
俺は、冬真が苦しんでいることに気づくことができなかった。知らないうちに冬真を苦しめた。その贖罪はまだ終わっていない。だけど、冬真を苦しめた一つの悪を滅ぼすくらいはいい償いの一つになるんじゃなかろうか。あとは地獄で償うから。
勢いよく飛び込んだ空は曇っていた(綺麗だった)。ぼんやりと薄れていく世界の終わりに明るい光が差し込む。ああ、やっと黎明が明ける。長い夜が終わりを告げた。本当は今日も、俺は幸せになってはいけない。けれど、どんな人間が今日が辛かったとしても、死ぬ瞬間、とても幸せだった。