一夜をともにした次の日から、新の私に対する執着は度を越してあからさまになった。

 朝はお迎えに来て一緒に出勤し、昼休憩は私のマンションで過ごす。
 営業後も平日は必ず立ち寄り、帰宅後も眠るまでメールでやり取りをする。
 
 店の中でもヒマさえあれば人目を盗んで手を繋ごうとするので、目撃したスタッフの間で私たちの不倫の噂はあっという間に広まってしまった。
 彼岸にまで距離を取られてしまったのは自業自得で、もはや弁明のしようがない。

 私たちは狂っている。
 自覚症状があるのにやめられない。

 これはすべて銀木犀の香りのせい。

「わざとだよ。梅ちゃんに気づいてほしくて、誘惑したくて選んだ香水なんだ。」

 私の肌を愛撫するたびに、新は耳元でそう囁いた。
 それはまるで、呪いの言葉。

 新が家族サービスで会えない週末は眠れなくて睡眠薬が増えた。
 ダメだと思ってもやめられず、吐いては眠り、また目が覚めると薬に手が伸びる。

(いつか、悪い夢が醒める日が来る。)

 私は新が既婚者で子供と幸せそうに暮らしているということを、悪夢のように思っていた。

(本当の世界の新は、私とつきあっている新だ。)

 ※

「梅ちゃん、どうせヒマでしょ?」

 ある日曜日、彼岸が私のマンションに現れた。
 新を待つために引きこもっていた部屋から無理やり連れ出された先は、街中にある大きな総合病院だった。

「梅ちゃんさん、お久しぶりです。」

 彼岸の嫁の4つ年下のすずが、ベットの上で微笑んでいる。
 腕には生まれたての小さな赤ちゃんを抱えて。

「俺に似てイケメンだろ。」

「あら、あたしに目は似てるってお義母さんが言ってたよ。」

 私には2人が眩しすぎた。

「 梅ちゃん、ひかるを抱っこしてみる?」

 誇らしげに赤ちゃんを私に手渡そうとする彼岸に、私は一瞬怯んだ。
 見たこともない新の家族が頭によぎる。

 私にそんな資格があるかな・・・。
 壊れ物のような赤ちゃんを、私は恐るおそる受け取った。

 温かい。それに、小さくて軽い。
 小さな手が不器用にうごめくのを見て、私は閉じようとするその手の中に小指を差し込んだ。

 すると私の指に触れた小さな手が、すごい力で私を捕えた。
「こんなに小さいのに、すごい力!」

 私は自分の顔がほころぶのが分かった。

「最近悩んでるみたいだから、パワーもらって帰ってよ。
 いつでも悩みは聞くから、ひとりで抱え込まないで前みたいにメールくれよな。」

 彼岸の言葉がまるで呪いを解く呪文のように頭の中に響いて、思わず泣いてしまった。