黒い大型のミニバンが私のマンションのエントランスに横付けされて、私は運転席の新に手を振った。
 元彼がセダンタイプの車に乗っていたから、大きくて長い車が新鮮に思えた。

「あんまり片付けてないけど、気にしないで。」

 自動で開いた扉の後部座席にチャイルドシートが2つ取り付けられている。

 ・・・だよね。
 分かっているのに、この気持ちはなんだろう。

「いつもと雰囲気違うね。」

 薄い色合いのサングラスを少しずらした新が私を上から下まで眺めた。
 いつもはユニセックスなワイドシルエットの服装にお団子頭だけど、今日は黒のAラインミニワンピースにフワフワにした編み込みをたくさん引き出して、インナーカラーを目立たせたあざとい系女子を意識している。

「シティポップのイベントは初めてだから、とりあえずシンプルにしてみたんだ。」

「・・・可愛い。」

「やめてよ。あんまり褒めると勘違いしちゃう。」

 サングラスの柄を咥えた新が、聞き取れないくらいの小声で呟いた。
「勘違いしてもいいよ。」

 助手席のシートベルトを締めた途端、車は私を乗せて走り出した。

 ※

 ネオンが輝く歓楽街に向かっていると思ったのに、連れてこられたのは街灯の少ない丘の上。
 しかも林に囲まれた最奥部の一軒家だった。

「ここでイベントがあるの?」

「梅ちゃんを独り占めしたくなったの。」

「え?」

「俺の隠れ家へようこそ。」

 ※

「わあ!」

 ほの暗い狭い階段を二階に上がると、一軒家の外観からは想像ができない夜景が大きな窓一面に広がるバーだった。
 5席とカウンターと最低限のキャンドルの灯りしかない室内にはひっそりとジャズが流れていて、静かな大人の空間を醸し出している。

「私浮いていないかな。」

 生オレンジがお洒落に飾られたカクテルに怖気づいて新にそっと耳打ちすると、新がお月様のような丸い氷の入ったロックグラスを傾けて肩を寄せた。

「素敵ですよお姫様。」

 絶好のロケーションに美味しいカクテル。
 これで隣に座る新が彼氏だったら、文句ナシに最高の神デートなのに。

 ぼうっと宝石のような夜景に目を奪われていると、「ハッピーバースデイ!」という声ともに花火が刺さったケーキを店員さんが運んできた。

「おめでとう同い年!」
 新が頬杖をついてニコニコしている。

「わ、私の誕生日⁉ なんで知ってるの?」

「アシスタントたちが昨日、話しているのが聞こえちゃったんだ。」

「ねえ新。嬉しいけど、こんなの奥さんにバレたら勘違いされるよ。
 もしかして、ケンカでもしてるの?」

「うちは仲良し夫婦だと思うよ。」

「なら、どうして・・・。」 

 私はどういう顔をしていいか分からなかった。

 ※

「梅ちゃん、今日は俺のわがままに付き合ってくれてありがとう!」

 マンションの部屋の前まで送ってくれた新は、ニッコリと微笑んだ。

「正直に話すと俺、デキ婚で奥さんにトキめいたことがないんだ。子供は可愛いけど、生活は義務みたいな感じ。
 でも、藻岩店に配属されてから太陽みたいな梅ちゃんに出会えて、毎日が刺激的になったんだ。
 おかげで独身に戻れたみたいで楽しかったし、それに・・・。」

 新は目をそらすと、自分の前髪をクシャリとつかんだ。

「梅ちゃんを本気に好きになりそうな自分に、いい思い出ができた。」

 何よ、それ。

「おやすみ。」

 踵を返して背中を向けた新に、走って追いついた私は後ろから抱きついた。
「新のバカ!」

 むせかえる銀木犀の香り。
 いつもほのかに香っていたそれは、今夜は妙に鼻についた。

「自分だけ思い出にするなんて、ズルいよ・・・!」

「う、梅ちゃん?」

「私、私の気持ちはどうなるの?」

 新がジッと動きを止めて、黙って私の言葉を待っている。
 私は嗚咽を漏らしながら叫んだ。

「ダメなのに・・・新のこと、好きなのにッ・・・!」

 新は振り向きざまに私の唇に震える自分の唇を重ねた。
 長いまつ毛が、私の目の前に霞んで見えた。

「いいの? もう、戻れなくなるよ。」

 私は新の言葉を遮るように背伸びをして唇をふさぐと、新に強く抱きしめられた。

 獣のようにお互いを求めるわたしたちは、ひと気のないマンションの廊下で果てないキスに溺れた。