「梅原さんは、独身?」
手ごろなお値段のワインがズラリと並ぶワイン酒場で、私は頬ばったばかりの窯出しピザにむせてしまった。
涙目で咳込む私の背中を、カウンターの隣に座る店長がさすってくれる。
香水でもつけているのか、甘い香りがほのかに鼻をくすぐった。
「なんかゴメン。」
「好きで独身やってるんで、謝らなくても大丈夫です。
同期で新婚の彼岸には【負け犬】なんて言われていますけどね。」
我ながら自虐ネタがリアルで痛々しい。
店長は苦笑しながら私の前にレモン水を置いた。
「だから彼岸くんは『残念イケメン』て裏で言われてるってこと?」
あんたは裏で【怪物】ってあだ名だけどね。
私はレモン水を一気飲み干して、密かにこころで毒づいた。
※
「そろそろ本題にいきましょうか。梅原さんの話って何ですか?」
「樒さんに・・・藻岩店のスタッフが慣れ合いすぎて売上に響いていると密告したのは店長ですよね?」
沈黙。
つまり図星ってことね。
「店長は来たばかりで知らないでしょうけど、私たちはプロです。
営業中はふざけたりしていますが、裏では切磋琢磨してケンカしながらもお店とお客様のために情熱を注いできました。
それを何も知らない部外者の店長が、横から口を出すのっておかしいと思います!」
私は思い切ってまくし立てた。
「来月の売上次第では、みんなバラバラに異動させられてしまいます!
全部店長のせいです‼」
「そんなことはさせないよ。」
「でも、樒さんが・・・!」
思わずその場に立ちあがった私は、穏やかに腕を組んで正面を見すえる彼を見て驚きを隠せなかった。
「藻岩店の店長は俺だ。
俺の承諾なしにチームを解散だなんて、社長だろうと絶対にさせない。」
淡々と吐き出される熱い言葉に【怪物】の片鱗はどこにも見えない。
むしろ、こんなに挑発的な私の言葉に全く動じないのが不思議でならなかった。
「エリアマネージャーに店の印象を聞かれたときに『スタッフが慣れ合っていて緊張感がない』ということは、確かに俺が言った。
そこに悪意はなかったけど、梅原さんやみんなを傷つけたなら謝るよ。ごめん。」
あの【怪物】が素直に謝った!
私は行き場のない怒りを持て余してストンと座った。
「分かりました。悪気がなかったから許すというわけではないですが、もう二度と店の悪口を樒さんに吹きこまないでくださいね。
あの人、性格悪いんで。」
「そうする。共有ありがとう。」
店長はそこで初めて私と目を合わせた。
「梅原さんは正義感が強いんだね。
もしかして、俺が彼岸くんのこと悪く言ったのも気に障ったかな?」
「あ、それは全然ですよ。事実なんで。」
ずいぶん心の機微に敏い人なんだ。
私は重い空気を一蹴するために、ワインをがぶ飲みしてわざと彼岸の話をした。
「実は彼岸とは高校時代からの腐れ縁なんです。
ヤツが結婚するまではお互いの家を行き来するくらい仲が良かったんです。
さすがに奥さんに気が引けて、店でしか会話はしなくなりましたけどね。」
「へぇ。それは羨ましいな。」
羨ましい?
私は背中が痒くなった気がして不意に身をよじった。
この人との会話が、なんだかくすぐったい。
「そういえば、店長っておいくつなんですか?」
店長はワインを飲み干すと、口の端をあげてニヤリとした。
「いくつに見える?」
「飲み屋の会話じゃないんだから。
ん-と、私よりは若いですよね? 24か5くらいかな・・・。」
「惜しい、26。」
「えっ、タメっすか⁉ 若っ!」
「そんなに予想より外れてなくない?
でも 梅原さんは肌がピチピチしてるから、もっと若いと思っていた。」
恥ずかしい。私は自分の肌に自信なんてないのに。
奥さんとでも比べているのかな。
「タメに言われても嬉しくないし、ピチピチとか言ってる時点で若くないですよ。」
「じゃあお互い若くないということで、敬語やめよう。
俺もみんなが呼んでるように『梅ちゃん』って呼びたい。
いい?」
酔いが回ってきたのか同い年ということで気が緩んだのか、店長は急に甘えた態度を取ってきた。
「どうぞ。でも、私からあだ名では呼べませんよ。」
「どうして?」
「店長だからです!」
「マジメか!」
ずっこけながらバーカウンターにうつ伏せた店長は、頭だけ動かして私を見上げた。
眼鏡越しの店長の目つきが、少しだけトロンとして色っぽい。
「さっきの話もだけど、そういうの嫌だ。
俺だけよそ者って思われてるんだとしたら、悲しくなっちゃうな。」
「ごめんなさい。気をつけるね。」
私は下唇を噛んだ。
怒ると人を責めすぎるのが欠点だと元カレにも言われていたのに。
「じゃあ、『新』って呼んでくれない?」
「それはムリ!」
「2人でいるときだけ!」
酔うとタチが悪いヤツだな。
私はしょうがなく小声でつぶやいた。
「あ・ら・た。」
「ん?」
「新!」
私が勇気を出して名まえを呼ぶと、新は満足そうに笑って私の頭を犬みたいにワシャワシャと撫でた。
「よーしよし!
これは2人だけの秘密にしようね。」
そういうと新は、私の右手の小指に自分の左手の小指を絡めて【ゆびきりげんまん】をした。
あれ?
私はその時、気づいてしまった。
新の左薬指にあるはずの結婚指輪がないことに。
手ごろなお値段のワインがズラリと並ぶワイン酒場で、私は頬ばったばかりの窯出しピザにむせてしまった。
涙目で咳込む私の背中を、カウンターの隣に座る店長がさすってくれる。
香水でもつけているのか、甘い香りがほのかに鼻をくすぐった。
「なんかゴメン。」
「好きで独身やってるんで、謝らなくても大丈夫です。
同期で新婚の彼岸には【負け犬】なんて言われていますけどね。」
我ながら自虐ネタがリアルで痛々しい。
店長は苦笑しながら私の前にレモン水を置いた。
「だから彼岸くんは『残念イケメン』て裏で言われてるってこと?」
あんたは裏で【怪物】ってあだ名だけどね。
私はレモン水を一気飲み干して、密かにこころで毒づいた。
※
「そろそろ本題にいきましょうか。梅原さんの話って何ですか?」
「樒さんに・・・藻岩店のスタッフが慣れ合いすぎて売上に響いていると密告したのは店長ですよね?」
沈黙。
つまり図星ってことね。
「店長は来たばかりで知らないでしょうけど、私たちはプロです。
営業中はふざけたりしていますが、裏では切磋琢磨してケンカしながらもお店とお客様のために情熱を注いできました。
それを何も知らない部外者の店長が、横から口を出すのっておかしいと思います!」
私は思い切ってまくし立てた。
「来月の売上次第では、みんなバラバラに異動させられてしまいます!
全部店長のせいです‼」
「そんなことはさせないよ。」
「でも、樒さんが・・・!」
思わずその場に立ちあがった私は、穏やかに腕を組んで正面を見すえる彼を見て驚きを隠せなかった。
「藻岩店の店長は俺だ。
俺の承諾なしにチームを解散だなんて、社長だろうと絶対にさせない。」
淡々と吐き出される熱い言葉に【怪物】の片鱗はどこにも見えない。
むしろ、こんなに挑発的な私の言葉に全く動じないのが不思議でならなかった。
「エリアマネージャーに店の印象を聞かれたときに『スタッフが慣れ合っていて緊張感がない』ということは、確かに俺が言った。
そこに悪意はなかったけど、梅原さんやみんなを傷つけたなら謝るよ。ごめん。」
あの【怪物】が素直に謝った!
私は行き場のない怒りを持て余してストンと座った。
「分かりました。悪気がなかったから許すというわけではないですが、もう二度と店の悪口を樒さんに吹きこまないでくださいね。
あの人、性格悪いんで。」
「そうする。共有ありがとう。」
店長はそこで初めて私と目を合わせた。
「梅原さんは正義感が強いんだね。
もしかして、俺が彼岸くんのこと悪く言ったのも気に障ったかな?」
「あ、それは全然ですよ。事実なんで。」
ずいぶん心の機微に敏い人なんだ。
私は重い空気を一蹴するために、ワインをがぶ飲みしてわざと彼岸の話をした。
「実は彼岸とは高校時代からの腐れ縁なんです。
ヤツが結婚するまではお互いの家を行き来するくらい仲が良かったんです。
さすがに奥さんに気が引けて、店でしか会話はしなくなりましたけどね。」
「へぇ。それは羨ましいな。」
羨ましい?
私は背中が痒くなった気がして不意に身をよじった。
この人との会話が、なんだかくすぐったい。
「そういえば、店長っておいくつなんですか?」
店長はワインを飲み干すと、口の端をあげてニヤリとした。
「いくつに見える?」
「飲み屋の会話じゃないんだから。
ん-と、私よりは若いですよね? 24か5くらいかな・・・。」
「惜しい、26。」
「えっ、タメっすか⁉ 若っ!」
「そんなに予想より外れてなくない?
でも 梅原さんは肌がピチピチしてるから、もっと若いと思っていた。」
恥ずかしい。私は自分の肌に自信なんてないのに。
奥さんとでも比べているのかな。
「タメに言われても嬉しくないし、ピチピチとか言ってる時点で若くないですよ。」
「じゃあお互い若くないということで、敬語やめよう。
俺もみんなが呼んでるように『梅ちゃん』って呼びたい。
いい?」
酔いが回ってきたのか同い年ということで気が緩んだのか、店長は急に甘えた態度を取ってきた。
「どうぞ。でも、私からあだ名では呼べませんよ。」
「どうして?」
「店長だからです!」
「マジメか!」
ずっこけながらバーカウンターにうつ伏せた店長は、頭だけ動かして私を見上げた。
眼鏡越しの店長の目つきが、少しだけトロンとして色っぽい。
「さっきの話もだけど、そういうの嫌だ。
俺だけよそ者って思われてるんだとしたら、悲しくなっちゃうな。」
「ごめんなさい。気をつけるね。」
私は下唇を噛んだ。
怒ると人を責めすぎるのが欠点だと元カレにも言われていたのに。
「じゃあ、『新』って呼んでくれない?」
「それはムリ!」
「2人でいるときだけ!」
酔うとタチが悪いヤツだな。
私はしょうがなく小声でつぶやいた。
「あ・ら・た。」
「ん?」
「新!」
私が勇気を出して名まえを呼ぶと、新は満足そうに笑って私の頭を犬みたいにワシャワシャと撫でた。
「よーしよし!
これは2人だけの秘密にしようね。」
そういうと新は、私の右手の小指に自分の左手の小指を絡めて【ゆびきりげんまん】をした。
あれ?
私はその時、気づいてしまった。
新の左薬指にあるはずの結婚指輪がないことに。