「おぉ、帰ったか!」
居間に入るなり、信一さんの声が響いた。
俺たちが家を出た後も酒を飲んでいたのか、前見た時よりも顔が赤くなっていた。
「どうだった。綺麗だったか?」
「海月と喧嘩しました」
「は?」
「「自分はともかく、誰かのことを憎いって言う感情、わかってくれますよね」って言われました」
「それで、なんて言い返したんだ?」
「俺の憎い人は罰せられたから、もう憎いものなんてないって言いました」
「お前も海月も気が強いなぁ」
信一さんは半分引いたようにそう言った。そんなに気が強いだろうか、俺。
「……海月に、最後にいい思い出を作ってやろうと思ったんだがなぁ」
「最後に?」
「ん? あぁ、明日、海月は家に帰るんだよ。家族3人で暮らしていた家に」
「そう、なんですか」
「月久くんのお母さんが一緒に暮らしてくれるそうだ。元々シングルマザーだったし、家も近いらしい。ここよりもずっと過ごしやすいだろうな」
そう言う信一さんの顔には、安心の笑顔が浮かんでいた。
けれど、すぐにその笑顔が曇る。
「どうしたんですか?」
「いや。……ここだけの話だが、あいつ、自殺願望があったそうだ」
「え?」
「海が死んで、月久くんが壊れ始めてすぐのこと。自分も、母親と同じ場所に行きたがっていたらしい」
信一さんが、その情報をどこから持ち出して来たのかは知らない。
でも、嘘ではないことは確かだった。
ガチャリと、玄関の扉の音がした。
それが、開けた音なのか閉めた音なのかはわからない。
けれど、外に出たのは海月だと、俺は確信した。
「おい⁉︎ 急にどうした⁉︎」
背中から信一さんの声がしたけれど、俺はお構いなしに走り出した。
外に出ると、もう海月の姿は見えない。自転車で走って行ったのだろう。
海月が行った場所はどこだろうか。どこでもいい。絶対に追いつく。
この、恋心を伝えられないとしても。

 ◇◇◇

俺は、須古星家に来るまでの道のりを思い出して、必死に走る。
クラゲの少女に追いつけるように。
そして、その少女は、俺らが出会った海辺に立っていた。
「海月!」
俺は、彼女の名を叫んだ。
「なぁに?」
海月はそう言って振り返る。
やっぱり、幽霊みたいだった。
でも、もう、怖くはないから。

「また、ここに来て!」

思いを、伝えられる。
「俺、ここでずっと待ってるから。来たいと思ったら、絶対迎えに行く。だから、また、ここに来てよ」
海月の驚いた瞳が見えた。
やっぱりそこには、クラゲがいる。
「ふふっ。約束ね!」
「うん。約束」
もしかしたら、これは、報われない恋なのかもしれない。
中学生の海月からしたら、大学生の俺なんか、知り合い程度でしかないだろう。
でも、別にいい。
少なからず、俺は海月といる瞬間が一番特別で幸せだから。
俺たちは小指と小指を繋ぐ。
互いの鼓動が、温かさが、交わるように。
海月が絶対、消えないように。
「じゃあ、またね」
「うん。またな」
ずっと、嫌だと思っていた月が、今日だけほんの少し、優しい気がした。