同期の高岡くんは、王子さまだった。
地毛にも見えるダークブラウンの髪はいつも自然にセットされて清潔感があって、スーツを纏った長身はモデルみたいにスラリとしているし、クォーターらしい掘りの深い顔はすべてのパーツが完璧でけちのつけようがない。
彼の周りだけ別空間みたいにキラキラ輝いて、内定式から周りの目を集めていた。
入社式の後、そんな高岡くんと同じ部署だと知った私は天にも昇る気持ちだった。
社会人としてうまくやっていけるだろうか、なんて不安は一瞬で消え去って。これから毎日彼に会えるんだと思うと、世界が輝いて見えたのを一年以上経った今でも覚えてる。
一目惚れだった。
もちろん、そんなかっこいい高岡くんには大学の頃から付き合っている年上の彼女がいて、平凡な私に出る幕なんかないこともわかってた。
だけど、幸運にも自宅が同じ路線で、一緒に帰ることもときどきあって話す機会に恵まれていた。彼の家は会社から四駅。私はさらに二駅先。時間にすると十五分ほど。たった十五分、されど十五分。二人きり。
ちりも積もればなんとやら。
自分で言うのもなんだけど、女子社員の中では一番高岡くんに近い存在だと自負していた。
とは言え、このときの私は恋というよりも、アイドルに思いを寄せるファンみたいな立ち位置だったと思う。毎日顔を合わせて、言葉を交わして、ときどきランチや飲み会で一緒になって愚痴をこぼして同じ電車に乗って一緒に帰って。
癒しとときめきを供給してくれてありがとう、的な。
そんな私に転機が訪れたのは半年前、入社して一年が過ぎた頃。
「もう一軒いこーぜー」
「もう終電だから無理」
どこからどう見ても酔っ払いでしかない高岡くんを連れて、私は会社の最寄り駅のホームにいた。新歓の後、二次会三次会と付き合って、終電だからとお開きになったところだ。
もう一軒!と駄々をこねるこのイケメン酔っ払いの背中を押して、なんとか終電に間に合ってほっとする。
国民的アイドルグループの大ヒット曲のワンフレーズが鳴り、電車の到着を知らせた。
「え~、冷たいのなぁ神谷」
ふて腐る高岡くんが、可愛い。
こんなにへべれけに酔っている姿は初めて見るけど、悪くない。
なんて、アイドルの新しい一面を知れたファンよろしく緩みそうになる頬を引き締めた。
「もう、ふらふらじゃない。こんなに酔うまで飲むなんて珍しいね」
降りる人が途切れるのを待ってから、私は高岡くんの背中を押して電車に乗り込み、反対側のドアの前に陣取って寄りかかった。
本当は、酔いたくなった理由を知っている。
三次会の別れ際、高岡くんと仲のいい先輩に「コイツ最近彼女と上手くいってないんだって。話聞いてやってよ」と耳打ちされたから。
そのとき胸に兆した微かな喜びに、私は戸惑う。
あぁ、だめだなぁ。
これじゃぁ、ファン失格だ。
ちゃんとファンの一人をやれていると思っていたのに……。
この一年で、私たちは近づき過ぎてしまった。
「んー……、たまには俺だって酔いたいときはある」
(やっぱり私には、話さないか)
彼女と、喧嘩したの?
それとも、別れた?
聞きたい言葉を飲み込んで、「そういうとき、あるよね」と頷いた。
言ってもらえない寂しさを少し感じながら話に幕を閉じて、ドアの外に視線を向ける。
ほんのりと青みの帯びた暗い夜空の下、きらきらと目に眩しい都会の灯りが揺れていた。白、黄、ピンク、赤、青、いろんな色が散らばっていて綺麗だなと眺めていると、ふと強い視線を感じる。
茶色い虹彩が私を見下ろしていた。
男の目だ。
焦点の合っていないような、胡乱な目。
彼にそんな目を向けられたのは、初めてで……。
視線が合っただけで、体の芯がぞくぞくと震えた。
――酔ってるだけよ。
私の中のもう一人の私が、耳元で囁く。勘違いをするなと、警告した。
その眼差しの意図がわからなくて声を発せられないでいると、アナウンスが高岡くんの最寄り駅を知らせる。
(あ、もう着いちゃう)
好きな人との時間は、瞬く間に過ぎていく。
減速がはじまって、私はドアから体を離す。開くのはこちら側だから。
未だ甘ったるい熱を帯びた視線を感じるのを、気付かないふりをしてドアの方を向いた。
プシューと音を立てながらドアが開き、高岡くんは無言で電車を降りる。
そして、なにを思ったのか、くるりと身を翻した彼は立ち尽くす私の手を掴んだ。
とても酔っているとは思えないくらい身軽な一連の動作に驚きながら高岡くんを見ると、切れ長の瞳が私を射貫く。
さっきと同じ、熱を孕んだ、愛に飢えた目だ。
手を握られたのも初めてで、私の心臓は悲鳴を上げていた。
「――もう少し、一緒にいたい」
その言葉の意味を、私は何度も頭の中で咀嚼して反芻する。
それは、どういう意味?
これ、終電ってわかってる?
酔ってるだけ?
逡巡する私の手を、高岡くんは握るだけだった。
離しも、引っ張りもしない。
ずるい。
ひと思いに、男らしく引っ張ってよ。
そしたらなにも考えずについていけるのに。
あなたのせいだよって言えるのに。
『ドアが閉まります……』
アナウンスと警告音に背中を押されるように、気付いたら私は一歩踏み出していた。
私たちを隔てる、電車とホームの隙間を越えて、ホームに降り立つ。
その後ろで、見計らったように電車のドアが音を立てて閉じた。
地毛にも見えるダークブラウンの髪はいつも自然にセットされて清潔感があって、スーツを纏った長身はモデルみたいにスラリとしているし、クォーターらしい掘りの深い顔はすべてのパーツが完璧でけちのつけようがない。
彼の周りだけ別空間みたいにキラキラ輝いて、内定式から周りの目を集めていた。
入社式の後、そんな高岡くんと同じ部署だと知った私は天にも昇る気持ちだった。
社会人としてうまくやっていけるだろうか、なんて不安は一瞬で消え去って。これから毎日彼に会えるんだと思うと、世界が輝いて見えたのを一年以上経った今でも覚えてる。
一目惚れだった。
もちろん、そんなかっこいい高岡くんには大学の頃から付き合っている年上の彼女がいて、平凡な私に出る幕なんかないこともわかってた。
だけど、幸運にも自宅が同じ路線で、一緒に帰ることもときどきあって話す機会に恵まれていた。彼の家は会社から四駅。私はさらに二駅先。時間にすると十五分ほど。たった十五分、されど十五分。二人きり。
ちりも積もればなんとやら。
自分で言うのもなんだけど、女子社員の中では一番高岡くんに近い存在だと自負していた。
とは言え、このときの私は恋というよりも、アイドルに思いを寄せるファンみたいな立ち位置だったと思う。毎日顔を合わせて、言葉を交わして、ときどきランチや飲み会で一緒になって愚痴をこぼして同じ電車に乗って一緒に帰って。
癒しとときめきを供給してくれてありがとう、的な。
そんな私に転機が訪れたのは半年前、入社して一年が過ぎた頃。
「もう一軒いこーぜー」
「もう終電だから無理」
どこからどう見ても酔っ払いでしかない高岡くんを連れて、私は会社の最寄り駅のホームにいた。新歓の後、二次会三次会と付き合って、終電だからとお開きになったところだ。
もう一軒!と駄々をこねるこのイケメン酔っ払いの背中を押して、なんとか終電に間に合ってほっとする。
国民的アイドルグループの大ヒット曲のワンフレーズが鳴り、電車の到着を知らせた。
「え~、冷たいのなぁ神谷」
ふて腐る高岡くんが、可愛い。
こんなにへべれけに酔っている姿は初めて見るけど、悪くない。
なんて、アイドルの新しい一面を知れたファンよろしく緩みそうになる頬を引き締めた。
「もう、ふらふらじゃない。こんなに酔うまで飲むなんて珍しいね」
降りる人が途切れるのを待ってから、私は高岡くんの背中を押して電車に乗り込み、反対側のドアの前に陣取って寄りかかった。
本当は、酔いたくなった理由を知っている。
三次会の別れ際、高岡くんと仲のいい先輩に「コイツ最近彼女と上手くいってないんだって。話聞いてやってよ」と耳打ちされたから。
そのとき胸に兆した微かな喜びに、私は戸惑う。
あぁ、だめだなぁ。
これじゃぁ、ファン失格だ。
ちゃんとファンの一人をやれていると思っていたのに……。
この一年で、私たちは近づき過ぎてしまった。
「んー……、たまには俺だって酔いたいときはある」
(やっぱり私には、話さないか)
彼女と、喧嘩したの?
それとも、別れた?
聞きたい言葉を飲み込んで、「そういうとき、あるよね」と頷いた。
言ってもらえない寂しさを少し感じながら話に幕を閉じて、ドアの外に視線を向ける。
ほんのりと青みの帯びた暗い夜空の下、きらきらと目に眩しい都会の灯りが揺れていた。白、黄、ピンク、赤、青、いろんな色が散らばっていて綺麗だなと眺めていると、ふと強い視線を感じる。
茶色い虹彩が私を見下ろしていた。
男の目だ。
焦点の合っていないような、胡乱な目。
彼にそんな目を向けられたのは、初めてで……。
視線が合っただけで、体の芯がぞくぞくと震えた。
――酔ってるだけよ。
私の中のもう一人の私が、耳元で囁く。勘違いをするなと、警告した。
その眼差しの意図がわからなくて声を発せられないでいると、アナウンスが高岡くんの最寄り駅を知らせる。
(あ、もう着いちゃう)
好きな人との時間は、瞬く間に過ぎていく。
減速がはじまって、私はドアから体を離す。開くのはこちら側だから。
未だ甘ったるい熱を帯びた視線を感じるのを、気付かないふりをしてドアの方を向いた。
プシューと音を立てながらドアが開き、高岡くんは無言で電車を降りる。
そして、なにを思ったのか、くるりと身を翻した彼は立ち尽くす私の手を掴んだ。
とても酔っているとは思えないくらい身軽な一連の動作に驚きながら高岡くんを見ると、切れ長の瞳が私を射貫く。
さっきと同じ、熱を孕んだ、愛に飢えた目だ。
手を握られたのも初めてで、私の心臓は悲鳴を上げていた。
「――もう少し、一緒にいたい」
その言葉の意味を、私は何度も頭の中で咀嚼して反芻する。
それは、どういう意味?
これ、終電ってわかってる?
酔ってるだけ?
逡巡する私の手を、高岡くんは握るだけだった。
離しも、引っ張りもしない。
ずるい。
ひと思いに、男らしく引っ張ってよ。
そしたらなにも考えずについていけるのに。
あなたのせいだよって言えるのに。
『ドアが閉まります……』
アナウンスと警告音に背中を押されるように、気付いたら私は一歩踏み出していた。
私たちを隔てる、電車とホームの隙間を越えて、ホームに降り立つ。
その後ろで、見計らったように電車のドアが音を立てて閉じた。