「すみません。ついぼんやりしてしまって……」
「いえ。こちらこそ危ないところを助けていただきありがとうございました。服を濡らしてしまってすみません……」
男性の胸元を見れば、星来の身体が接していたところに染みが出来ていた。きっと星来のジャケットに付着していた水滴が付いてしまったのだろう。
その場で軽く頭を下げれば、「気にしないでください」と穏やかな声音で返されたのだった。
「あなたが無事で本当に良かったです。失礼ですが、傘はどうされたんですか?」
「部屋で乾かしている内に、そのまま忘れて出てしまって。途中で気付いたんですが、今朝は曇っているだけだったので、持って行かなくてもいいかと思っているうちに降ってきてしまって……」
「それは災難でしたね。この辺りは梅雨の時期以外でも急雨は珍しくないので、折り畳み傘を持ち歩くのが一般的なんです」
「そっ、そうなんですね……! 最近越してきたばかりで何も知らなくて……っ! それでは先を急いでいますので、これで……」
星来の視界の隅では青信号が点滅を始めていた。走ればギリギリ渡れるだろう。
男性の元から離れようとした星来だったが、またしても「待ってくださいっ!」の声と共に手首を掴まれる。
「その……良ければうちで服を乾かしていきませんか。この角を曲がったすぐそこなんです。予備の傘も貸しますので……」
「折角の申し出ですが、見ず知らずの方のご自宅にお邪魔するわけにもいきませんし、急に押しかけてご迷惑になるのも……」
「ああっ、言葉が足りなくてすみません。うちと言っても喫茶店なんです。そこに看板を出しているのですが、見えますか?」
青年が示した細い路地の先にはどこかレトロな雰囲気のある看板が出ていた。くすんだ色合いの白熱電球に照らされて「喫茶・スターダスト」の文字が薄暗い街並みに浮かび上がっているように思えたのだった。
「はい。えっと、喫茶店の店員さんですか……?」
「マスターです。他のお客様にも言われますが、やっぱりそう見えませんよね……」
「いえいえっ! お若いのにマスターなんて凄いです!」
「ありがとうございます。丁度、買い出しの帰りなんです。この雨で他のお客様も来られないと思うので、服が乾くまで寛いでいってください」
星来に褒められてどこか嬉しそうな青年に案内されるまま、喫茶店まで連れて行かれる。そうして青年が扉を開けると、カランと鈴の音と共に昔懐かしい年季の入った喫茶店が目の前に現れたのだった。
使い古して黒ずんだ木製の家具やよく磨かれた陶器の白さが眩しい食器類、外国産のコーヒー豆が入った麻袋、そしてどこかの公園を描いた絵画。
時代の流れに取り残されたような喫茶店ではあったが、そんな店のカウンター席には古びた店の雰囲気には似つかわしくない派手な容姿の青年が扉に背を向けてスマホを見ていた。
「おー。お帰り、輝星」
「ケン、店番ありがとう。言ってた通り、誰も来なかっただろう」
軽やかな鈴の音が微かに残る店内で二人の青年が肘を合わせる。見た目は正反対な二人だが仲は良いのだろう。星来をここに案内した青年の口調も、さっきと違ってどこか軽い。長年苦楽を共にした知友そのものといった感じであった。
「そうだな。てか、天気になく全然客が来ないじゃん。商売上がったりだろう。いいのかよ、商売人としてこれで」
「良いんだよ。好きでやっているから。そうだ、少しだけ待ってくれるか」
輝星と呼ばれていた先程の青年は、星来に向かって「こちらへどうぞ」と手招きしてくれる。そうして休憩室と思しき奥まった部屋に連れて行かれると、タオルと男物の衣類を渡されたのだった。
「いえ。こちらこそ危ないところを助けていただきありがとうございました。服を濡らしてしまってすみません……」
男性の胸元を見れば、星来の身体が接していたところに染みが出来ていた。きっと星来のジャケットに付着していた水滴が付いてしまったのだろう。
その場で軽く頭を下げれば、「気にしないでください」と穏やかな声音で返されたのだった。
「あなたが無事で本当に良かったです。失礼ですが、傘はどうされたんですか?」
「部屋で乾かしている内に、そのまま忘れて出てしまって。途中で気付いたんですが、今朝は曇っているだけだったので、持って行かなくてもいいかと思っているうちに降ってきてしまって……」
「それは災難でしたね。この辺りは梅雨の時期以外でも急雨は珍しくないので、折り畳み傘を持ち歩くのが一般的なんです」
「そっ、そうなんですね……! 最近越してきたばかりで何も知らなくて……っ! それでは先を急いでいますので、これで……」
星来の視界の隅では青信号が点滅を始めていた。走ればギリギリ渡れるだろう。
男性の元から離れようとした星来だったが、またしても「待ってくださいっ!」の声と共に手首を掴まれる。
「その……良ければうちで服を乾かしていきませんか。この角を曲がったすぐそこなんです。予備の傘も貸しますので……」
「折角の申し出ですが、見ず知らずの方のご自宅にお邪魔するわけにもいきませんし、急に押しかけてご迷惑になるのも……」
「ああっ、言葉が足りなくてすみません。うちと言っても喫茶店なんです。そこに看板を出しているのですが、見えますか?」
青年が示した細い路地の先にはどこかレトロな雰囲気のある看板が出ていた。くすんだ色合いの白熱電球に照らされて「喫茶・スターダスト」の文字が薄暗い街並みに浮かび上がっているように思えたのだった。
「はい。えっと、喫茶店の店員さんですか……?」
「マスターです。他のお客様にも言われますが、やっぱりそう見えませんよね……」
「いえいえっ! お若いのにマスターなんて凄いです!」
「ありがとうございます。丁度、買い出しの帰りなんです。この雨で他のお客様も来られないと思うので、服が乾くまで寛いでいってください」
星来に褒められてどこか嬉しそうな青年に案内されるまま、喫茶店まで連れて行かれる。そうして青年が扉を開けると、カランと鈴の音と共に昔懐かしい年季の入った喫茶店が目の前に現れたのだった。
使い古して黒ずんだ木製の家具やよく磨かれた陶器の白さが眩しい食器類、外国産のコーヒー豆が入った麻袋、そしてどこかの公園を描いた絵画。
時代の流れに取り残されたような喫茶店ではあったが、そんな店のカウンター席には古びた店の雰囲気には似つかわしくない派手な容姿の青年が扉に背を向けてスマホを見ていた。
「おー。お帰り、輝星」
「ケン、店番ありがとう。言ってた通り、誰も来なかっただろう」
軽やかな鈴の音が微かに残る店内で二人の青年が肘を合わせる。見た目は正反対な二人だが仲は良いのだろう。星来をここに案内した青年の口調も、さっきと違ってどこか軽い。長年苦楽を共にした知友そのものといった感じであった。
「そうだな。てか、天気になく全然客が来ないじゃん。商売上がったりだろう。いいのかよ、商売人としてこれで」
「良いんだよ。好きでやっているから。そうだ、少しだけ待ってくれるか」
輝星と呼ばれていた先程の青年は、星来に向かって「こちらへどうぞ」と手招きしてくれる。そうして休憩室と思しき奥まった部屋に連れて行かれると、タオルと男物の衣類を渡されたのだった。