日が落ちた頃――羊垣内家の梨々子の部屋に、使用人がやってきた。
梨々子が入室を許可すると、使用人は入り、報告を始めた。
「梨々子さま。……伊織さまの、草履が、見つかったそうです」
「へぇぇ……」
姉が家を出て行って、もう五日になる。あれから羊垣内家は、使用人に伊織の行方を捜させていたのだ。梨々子は言った。
「履物だけ? ……どこで?」
「はい。ひとつは、山道に。もうひとつは……水深の深い湖の畔(ほとり)に落ちていたそうです」
「あっは!」
梨々子は、笑い声を上げた。
「やだ、お姉さまったら、身投げしたのぉっ!?」
「近くをくまなく捜索しましたが、見つからず……。未だ、目撃情報もありません。……なので、おそらくは、そうかと」
「ぷっ! あっはははは!」
梨々子は声を上げて笑う。
「報告ご苦労さま。……もう下がって良いわよ」
使用人がでていくと、梨々子はニヤリと笑った。
「これでようやく、目の上のこぶがいなくなったってわけね……」
無能な姉と違い、自分が羊垣内家を継ぐ。それは間違いない。
だが、姉は一応長女だし、姉の実母は羊の分家で一番優秀な能力者だったと聞く。一方で、梨々子の実母――嘉代子は一般人だった。少しでも自分を揺るがす芽は、摘んでおかねばならない。
「でも、心配することなかったわね。最期まで、弱かったわねぇ。……本当、無能なお姉さま」
梨々子は頬に手をやって、愉快そうに窓の外を眺めた。
翌日の昼間。梨々子は、屋敷の廊下で父と会った。
「あら。お父さま。おはようございます」
「梨々子か、ちょうどよかった。実は、急に商談が入ってな。私は今から、しばらく家を空ける。その間、敷地内の結界を張り直しておけ。三日以内に、頼んだぞ」
「あー。あれね! 任せてよ!」
梨々子は快諾した。
十二支の家の人間は、妖怪を祓えるが、それだけ妖怪が引き寄せられてくるともいう。そのため、家に妖怪どもが侵入してこないように、敷地内に結界を張る必要があった。他の家なら何度も結界を張り直さなくても良いのだろうが、羊垣内の力の持続は弱く、呪符を二週間ごとに貼り直していた。
父が出発して、梨々子は自分の部屋に戻った。
梨々子は、呪符のストックを入れている棚を開ける。すると、数が残り少なくなっていることに気がついた。姉がいなくなって、ストックが補充されなくなったのだ。
「ま! 迷惑なこと! 死んでも呪符だけ書いてくれないかしら!」
梨々子は机につくと、頬杖をつきながら呪符を書き始める。
「……こんなんだったかしら」
普段は伊織に書かせていたので、梨々子が書くのは久しぶりだった。当分書いていないものだから、文様を忘れている。
「まーいいわ。こんなんで。正直、今まで一度も家に妖怪が来たことなんてないんだもの。頻繁に貼り替えだなんて、お父さまも神経質すぎるわよ」
書いている途中で、体が、重くなる。呼吸がしんどく、息が切れた。
「はぁっ!? なんでこんなっ、……はぁっ、はぁっ、一枚書いただけで……っ!? お姉さまには、一日に百枚書かせたこともあるのに……っ!?」
あのノロマにできて、この私にできないわけがない。その思いで、梨々子は呪符を四枚仕上げた。
本当は二十枚ほど必要だったが、「そんなに書けるわけがないでしょ」と言い放つ。
「今あるやつを剥がすんじゃなくて、その隣にこれを足しとけばいいでしょ。次の時は、ちゃんとしたやつを、お父さまに書いてもらえば良いんだから」
梨々子が呪符に手をかざすと、墨が赤く光り、やがて元の黒に戻る。
「あー、もうっ! イライラするわ! こんな雑用、お姉さまが化けて出て、やっといてくれないかしらっ!」
梨々子はぶつぶつ言いながら、呪符を貼りに行った。
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