「はぁ……」
「十夜さん、どうしました? また頭の痛い案件ですか?」
「いや、そういうわけではない」

 十夜は、秘書の男に返事をしながら、九頭竜財閥の本社ビルへと入る。

 明令百六年。日本国、首都・頭京のオフィス街――そこは特に都市開発が進み、発展していた。町や村はまだ木造家屋も多いが、頭京の中心部だけは違う。道路もコンクリート舗装になり、洋風の建物も増え、会社はビルになってきている。そして、高くても六階建て程度のビルが並ぶ中、九頭竜財閥の本社ビルだけが、二十階建てだった。
 二十階には、当主である祖父の社長室があり、次期社長の十夜は、十九階を丸々使用していた。

 十夜が社内に入ると、女子社員たちが色めき立った。

「見て! 十夜さまよ……! 今日も素敵……!」
「あのキリッとしたクールなお顔がたまらない……!」
「私、十夜さまがいるから九頭竜に入社したの! こうしてたまにでもお顔が見れるなんて、本社勤務になれて本当によかった!」

 それらは十夜に聞こえる大きさの声だったが、彼はそれらをスルーした。
 もし、彼女らが妖怪に襲われでもしたら助けはするが、そうでないなら眼中に入らない。――だいたいいつも、そんな感じだ。

「いいですね、十夜さん」
「なにがだ」
「……いえ」

 十夜と秘書の男――()(ぬま)(けい)()は女子社員を振り返らずに、一階を通り抜け、十九階へと上る。
 啓吾は、『蛇』の家の分家の者である。十九歳の青年だが、外見は年齢よりも少し幼く見える印象だ。
 蛇の家は十夜の母方の実家であり、十夜と啓吾は従兄弟にあたる。
 昨夜、十夜に連絡を取ってきたのは、啓吾だった。

 十九階の執務室につくと、十夜は さっそく仕事を始めた。机の上には、下の階から回ってきた書類が山のようにあり、十夜はしばらく仕事に没頭した。

 しばらく経った頃だった。

「十夜さん、銅山からまた銅が採れたみたいですよ」
「ああ、管理を頼む」
「わかりました」

 そんなやり取りをしていると、
 コツコツ――窓を叩く音がして、啓吾は振り返った。

「ん? あれ? 兄さんかな」

 カラカラと窓を開けると、蛇式神が室内へひらりと入ってきた。細長い白い紙は、しゃくとり虫のような――蛇なのに――動きで啓吾の前まで歩く。
 そして、ぼやけた音声で話し出した。

「啓吾か? 十夜くんとはいっしょなのか?」

 蛇式神は、蛇の術者の気配をたどってやってくるが、目はない。そのため、他の家の者――十夜がいても、ぼんやりとしかわからないのだ。
 連絡をしてきたのは、啓吾の従兄弟、巳沼の当主だった。

「兄さん、どうしたんですか? 十夜さんはいますけど」
()()の南部に妖怪が大量発生している。双馬から応援要請があった」
「……他の家に任せられないんですか? 十夜さんは忙しいんですけど」
「双馬からは『九頭竜だと早く終わる』とのことだが……。九頭竜は昨夜はおじさまが夜通し見回りにでていただろう」
「うーん……」

 啓吾は渋るが、十夜は蛇式神に近付いた。

「大丈夫だ」
「おお。十夜くんの声! 行ってくれるか? ありがとう! じゃあ今から詳細を別紙で送るよ」

 蛇式神はちょこんとお辞儀をすると、スゥーと消えた。

「十夜さん、すみません」
「悪いのは、だらしない双馬だろう」
「ははは……」

 啓吾は曖昧に頷くと、

「では、車を手配します」
「ああ、頼む」

 高く積み上げられた書類を残したまま、十夜は執務室を出た。


        *     *     *


 地葉の南部――都心部から離れると、景色はすぐに田舎道になる。山や畑、そして小さな集落がぽつりぽつりとあるだけだ。
 とある集落に到着すると、十夜と啓吾は車から降りた。

「十夜さん、あっちみたいです」
「……そのようだな」

 村の中央から上がる土煙 を見て、十夜は頷いた。
 騒ぎの方へ近付いてみると、十人程度が戦闘をしているのが見えた。全員白衣を身につけており、あれは双馬なのだとわかる。
 そのうちのひとりが十夜に気がつくと、戦闘を離脱してこちらへやってきた。
「とーやくん! 来てくれたんだね!」

 双馬満成が、もともとのタレ目をもっと垂らして言った。白衣は汚れており、後ろで結んだ髪は解けそうだ。
 啓吾が、ずいっと割って入る。

「状況はどうなんですか? 十夜さんを呼び出すなんて!」
「おー。巳沼の伝書鳩くんだ」
「蛇式神です!」

 満成は笑ってから、言った。

「あれ、見える? 黒いの」
「ああ。……数は多いな」

 十夜は頷いた。
 井戸のまわりを、真っ黒いイタチのようなものが蠢いている。数は、三十匹程。四つ足のそれはうごうごと動き回り、井戸を出入りしていた。

 満成が言う。

「あの黒いのが、井戸に住み着いたんだって。このままじゃこの村は井戸が使えないからね。依頼が来たんだ」

 様子を見ると、妖怪の一匹が他の双馬に飛びかかり、双馬の男は咄嗟に足で蹴り返した。妖怪はころりと転がっただけで、あまりダメージはなさそうだ。

「近付くと攻撃されるんだけどさ。見ての通り、物理攻撃はあんま効かないみたいなんだよね。足技が効かないんじゃあ、双馬じゃ無理だよ」
「お得意の毒薬でも、使えばいいんじゃないですか?」
「飲み水の井戸だからね。たとえ井戸の周辺であっても、できないよー」
「ふん……」

 十夜は、井戸に近付く。彼に気がついた双馬の人間たちは、喜びの声を上げた。

「九頭竜だ!」
「十夜さまが来たぞ!」
「下がっていろ」

 十夜が言うと、双馬たちは走って井戸から離れる。

 ――十夜の右手が、次第に白く、大きくなっていく。爪が伸び、鱗が生え――それは、『白龍の腕』になった。腕の周りを、パチパチと火花が散る。電流を纏った腕を広げ、十夜はゆっくりと歩いた。

 井戸まであと、五メートル。

「キィー! キィー!」

 妖怪たちは、高い声を上げながら一斉に十夜に向かって飛びかかってきた。

「はぁっ!!」

 叫びながら、十夜は腕を振るう。
 バリバリッ!! ――雷のような電撃が、巻き起こった。

「ギィー!」

 電撃が当たった妖怪が、祓われて消えていく。
 何度目かの雷鳴が響いた後、たくさんいた妖怪どもは、すっかりいなくなった。

「――完了だ」
「ひゅう。あっという間に片付けたね。すご~」
「さすが十夜さんです!」

 十夜の周りに、満成と啓吾が駆け寄った。
 十夜が、満成に尋ねる。

「他には?」
「ここだけだよー」
「そうか」

 十夜の腕は、元の人間のものに戻る。能力を使うときだけ、龍の腕に変わるのだ。
 妖怪が祓われたとわかると、野次馬をしていた村人からも、わぁっと歓声が――いや、黄色い声が上がる。

「きゃー! 素敵ー!」
「あの人、かっこいいー! 一撃だわ!」
「あれってもしかして、九頭竜家の若さまじゃない!? 最強って噂の……」
「えー! 本物ー!?」

 そして村娘たちは、円になってこそこそと話し――やがて村一番の美人が前に出てきた。

「ありがとうございますぅ! おかげで助かりましたぁ!」
「そうか。もう大丈夫だろう」
「あのぅ! お礼をしたいのですがぁ……! ぜひ、家 へいらしてください!」
「必要ない。では気をつけて」
「え? あ、はぁい……」

 十夜は、スッと村娘から離れると、車へと向かう。

「他にいないなら、俺は会社に戻る」
「他にいないから、お呼ばれしたらいいのにー」

 と、ついてきた満成が言った。

 十夜は、後ろを振り返らず、前を向いて歩いたまま言った。

「皆が平穏に暮らせれば、それでいい」
「まー。いつも通りさっぱりしてるねー」
「人々を助けることは義務だ。だが、こういったことは面倒くさい」
「もったいなーい」
「うるさい」

 十夜はその見目麗しさと能力の高さ、そして九頭竜家の家柄から、女性がよく近寄ってくる。だが、見知らぬ女性たちと時間を過ごすことに、特に価値を見いだせず――いつも断ってきた。先ほどの村娘が美人だったことなど、十夜にはまるで関心がなかった。

 しかし、

(今のが、……伊織嬢だったら。どのように言うだろうか)

 彼女の、少し眉を下げた、弱々しい笑い方。

(彼女がもし、もう少し笑えたなら――)

 十夜は、車に乗り込む。
 そして、足を組むと、窓の外を流れる景色を見た。



「どう思う? 兄さん」
「……満成。どうもこうも、喜ばしいことじゃないか?」

 去って行く車を見送りながら、双馬(とも)(なり)が言った。
 満成は、もう見えなくなった車の方角を見たまま、続けた。

「オレは、とーやくんは(あや)()と婚約すると思ってたんだけどなー」
「〝虎〟か……」
「ねぇ、彩女に言った方が良いかな?」
「……まだどうなるかわからないぞ」
「〝羊〟だしね。正直言って羊なんて、誰も欲しがらないと思った。だって弱い家って、ずぅっと弱いんだもん。……でも、そうだなぁー」

 そこで満成はニコ、と笑った。

「オレなら、いつでも伊織ちゃんを治してあげられるんだけどなー」
「満成、お前……」
「冗談だよ☆ とーやくんの面白い顔、また見たいなー☆」

 その時、双馬の車の方から声がした。

「おーい、みんな、帰るぞ! 乗れ乗れ!」
「はーい」
「…………」

 双馬たちは揃って、車へと向かった。


        *     *     *