言祝ぎの子 伍 ー国立神役修詞高等学校ー


「みみみ、巫寿さん。ああああの女の子はどちら様でしょうか……? ままままさか彼女じゃ……!」


引き攣った顔の玉珠ちゃんが私の二の腕をガッツリと掴んで目をかっぴらく。


「あー……違うよ」

「本当ですか……!?」

「うん、違うよ」


今はね、と心の中で付け足す。

良かった!と安心する玉珠ちゃんに、少し申し訳ない気持ちになった。

やっぱり泰紀さんには慶賀さんがいるから云々という話を暫く聞かされていると、社務所の扉が空いて「おおっ」とどよめきが上がった。

視線を向けるとお内裏さまの装束を纏った聖仁さんが中から出てきたところだった。

深い緑色に金の糸で模様があしらわれた束帯衣装(そくたいいしょう)だ。シンプルだけど品があって、聖仁さんの雰囲気によく似合っている。

近くにいた女の人が「格好いい〜」と息を吐くのが聞こえた。


聖仁さんが振り返った。すっと右手を差し出せば白く細い腕が載せられる。

美しい朱色の袖がちらりと見えて、頭飾りが揺れてしゃなりと雅な音を奏でた。色鮮やかな衣に身を纏ったその姿に誰もが息を飲む。

白い肌に赤い紅がとてもよく映えていた。


俯きがちに外へ出てきた瑞祥さんを、聖仁さんがすかさずエスコートする。まさに平安貴族そのもののような二人の立ち姿に言葉が出てこない。


二人揃って社務所の外に出てきた。参拝客たちが自然と二人のために道を開ける。

手を取り合うふたりに、もう昨日のぎこちなさはすっかりなかった。


聖仁さんが何かを耳打ちした。それを聞いた瑞祥さんが目を丸くして首まで真っ赤にする。そんな姿に聖仁さんはとても優しい目をして小さく笑った。

一体何を言ったんだろう?


「あらら、本当に新婚さんみたいなお二人ね」

「真っ赤になって可愛らしいわぁ」


参拝客の年配女性たちが「うふふ」と目尻を下げる。

雛人形は宮中の婚礼をもしたものだからそう言ったのだろう。


巫寿ちゃん集合だって、盛福ちゃんに呼ばれて「はーい」と応える。

仲良く肩を並べる先輩二人に駆け寄った。




緋袴(ひばかま)

神職のうち、巫女が身につける和服。





「おっ、巫寿! 久しぶり〜」


神修へ向かう車の乗り場へ着くと、既に到着していたクラスメイトたちが私に向かって大きく手を振った。

大きくてを振り返して側へ駆け寄る。


「久しぶり、皆! 春休みどうだった?」

「相変わらずだよ。家帰ったら結局は社の手伝いしなきゃいけないし」

「そうそう。夕拝出ないといけないから学校にいる方が楽だな〜」

「俺もそんな感じ。いいよな来光はのんびりできて〜」

「僕だって遊び呆けてた訳じゃないし! 薫先生にあちこち連れ回されて大変だったんだから!」


口々に春休みの思い出を語るみんなに目尻を下げる。

しばらく雑談して過ごしていると「出発しますよ」と声がかかりみんなで車に乗り込んだ。

新一年生の盛福ちゃんの姿を見つけて小さく手を振る。三年生の姿はちらほらしか見かけない。神修では三年生からご神馬さまに乗って通学することを許されるからだろう。

私たちは部屋の隅を陣取って腰を下ろした。


「毎回思うけど学校始まんの早くね〜? 次の長期休暇夏だぞ、夏!」


慶賀くんは深く息を吐いて畳の上に大の字になった。


「次の休みの前に色々行事あるじゃん。勉強だって難しくなるし」


確かに二年生からは進路に応じて授業内容が変わってくる。巫女職を希望した私は二年生から巫女職に応じた科目の授業が増えるらしい。


「にしても薫先生に採点してもらったとはいえ、合格通知届くまでヒヤヒヤしたよなぁ。落ちたらまた一年やり直しだぜ?」

「来光の後輩になるとか笑えねぇよなぁ」

「ちょっとそれどういう意味?」


いつも通りのやり取りにくすくす笑っていたけれど、「ん?」とすぐに首を傾げた。


「ねぇねぇ、合格通知って何?」


今度は皆が「え?」と首を傾げた。


「何って、巫寿のとこにも届いただろ? あなたは直階四級に合格しましたって書かれた手紙と合格証明書」

「そうそう。一週間くらい前に届いたよ」

「A4の白い封筒に入ってたぞ」


え?と眉をひそめた。

実家のポストは定期的に確認していたけれど、折り込みチラシばかりで白い封筒が入っていたことは一度もなかった。

私が見ていない時はお兄ちゃんが確認していただろうけれど、私宛の手紙や書類を勝手に開けるような人ではない。

それに本庁から届くものなら、届いた時は必ず知らせてくれたはずだ。


「え……もしかして巫寿だけ落ち……」


慶賀くんがそこまで言ってハッと口を閉じた。

さぁっと顔から血の気が引いていく感覚がする。


「落ち着いて巫寿。合格でも不合格でも連絡はくるから、何かの手違いで届かなかったんだよ」


すかさず嘉正くんがそう言う。

確かに、そうだよね。普通試験結果はどんな結果になろうと連絡が来るものだ。


「それに開校の手紙は届いてるよね? 新二年生の皆さまへってやつ」

「あ、うん。木箱で迎門の面と一緒に……」

「じゃあ大丈夫だよ巫寿ちゃん。進級できてなかったら"新二年生"とは書かないだろうし、嘉正の言う通り何かの手違いで届かなかったんだよ」



メガネを押し上げて来光くんが微笑む。

二人からそう言われて、不安だった気持ちが少しだけ和らぐ。

二人の言う通りだ。もし進級できなかったとしたら薫先生や学校から連絡が来るはずだ。

何も無いということは、本当に手違いで送られてこなかったんだろう。

とにかくお兄ちゃんにメッセージを送って、届いたらすぐに連絡をして欲しいと伝えておこう。


「じゃ、気晴らしに花札やろーぜ!」

「おっしゃ、俺今日のデザート賭ける!」


すぐに切りかえた皆は鞄を隅に寄せて花札の準備を始める。

なぜか胸のざわめきは一向におさまらなかった。




車に揺られること一時間と少し、ゆっくりとスピードを落とした車がやがて停車して、私たちはぞろぞろと車から降りた。

降りた瞬間、強い風が吹いて髪を押さえた。

微かな生花の匂いが届き顔を上げる。景色を埋め尽くすほどの桃の花とそこからぬっと顔を出す朱い鳥居に顔をほころばせた。


「帰ってきたね」


そう呟くと皆が「だな〜」と相槌を打つ。

たった一年しか過ごしていないけれど、間違いなくこの場所は私のもうひとつの帰る場所になっていた。


「おーい、皆」


鳥居にもたれかかって手を振る人影が私たちを呼ぶ。

紫色の袴を身につけ、微笑みを浮かべたその人物に私たちは「あっ」と声を上げた。


(くゆる)先生!」

「久しぶり。春休みは大人しく過ごしてた?」


一年の時の私たちの担任、神々廻(ししべ)(くゆる)先生だ。

みんなで先生の周りを囲むと、薫先生は嬉しそうに笑った。


「朗報だよ、今年も君らの担任はこの俺になりました」

「ええ〜」

「あはは、何その反応。もちろん嬉しいよね?」

「中学の時から薫先生だぜ? そろそろ飽きたって」


ひどい、と泣き真似を始めた薫先生に思わずくすくす笑う。

このやり取りですら神修に帰ってきたんだと実感させる。



「わざわざそれ言うために俺らのこと迎えに来たの?」


やれやれと首を振った慶賀くん。


「んー、それもあるけど実は本当の用は別にあってね。────巫寿」


急に名前を呼ばれて目を瞬かせる。ワンテンポ遅れて「はい?」と返事をすれば薫先生は少し手招きをした。


「ちょっと巫寿に用があるんだ。制服に着替えなくてもいいから、そのまま俺についてきて」

「えっと……分かりました」


目を細めた薫先生は私の頭に手を乗せた。


「君らはさっさと着替えてちゃんと報告祭に参加するんだよ〜」


はーい、と答えたみんなが鳥居を駆け上がっていく。

その背中を見送って薫先生を見上げる。


「じゃ、俺らも行こうか」


いつも通りの声色でそう言った薫先生がスタスタと階段を登り始める。

その背中を追いかけながら、ずっとあった胸騒ぎが大きくなるのを感じた。


薫先生に連れられてやってきた場所は、神修の研究室でも職員室でも寮でもない。私もまだ一度しか足を踏み入れたことがない日本神社本庁の庁舎だった。

勝手知ったる様子で中を進む薫先生。本庁の役員は基本スーツ姿だから、神修の敷地内なら違和感が無いはずの紫色の袴がかなり浮いている。

なんなら私服姿の私はもっと浮いている。


建物の二階の一室に連れてこられた。"会議室 梅"と書かれたプレートがはめてある。

カチャリと扉を開けたけれど中にはまだ誰もいない。

ローテーブルにふかふかそうな一人がけの革張りの椅子が六つテーブルを挟んで並んでいるだけの質素な部屋だ。


「少し早かったか。でもちょうどいいや。巫寿、そこ座って」


椅子を指さした薫先生に、ひとつ頷き腰を下ろす。薫先生はなぜか私の隣に腰を下ろした。


「あの、薫先生……?」

「ごめんね急に。本庁のヤツらよりも先に巫寿と二人で話したくて、門まで迎えに行ったんだ」


はぁ、と曖昧な返事をする。

一体薫先生は何が言いたいんだろう。

きゅっと眉間に皺を寄せる。


「巫寿ん家に届かなかったでしょ? 合格通知と証明書」

「あ、はい。どうしてかなって丁度考えてました」


だよね、と薫先生がひとつ頷く。


「学生が受験する場合、進級とかクラス分けにも関わってくるから、一旦結果は神修の教職員を経由してから学生に伝えられるんだ。だから巫寿の合格証明書は俺が持ってる。ちゃんと合格してるから安心して」