「なかったね。これからも色々ありそう」
くすくすと笑いながらそういえば、隣から深いため息が聞こえた。
顔を上げると腕を組んだ恵衣くんが苦い顔で私を見下ろしている。
「口に出すな、言霊になるだろ。これ以上俺に迷惑をかけるな」
「またそんなこと言う」
「だからなんだよ。うるさい」
今日は鼻を鳴らす代わりに、小さくふっと笑った恵衣くん。珍しいものを見て少し驚いたけれど、口に出すとすぐに怖い顔に戻りそうなので黙っていることにした。
横目でその優しい横顔を盗み見て頬を緩めた。
「そろそろ戻ろうか」
皆が寮へ向かって歩き出す。
空には三日月が昇っている。鎮守の森に住む虫たちの声がいつの間にか賑やかになっていた。社頭を吹き抜ける風は湿気を帯びていて顔を火照らせる。
神修へ来て二度目の夏がもうすぐやってくる。
【続く】



