「離せやこのひょろひょろ優顔モヤシッ!!」
「言ってくれるね!? でもその程度の挑発には乗らないよッ!」
その細い体のどこにそんな力があるのか、聖仁さんは信乃くんを軽々と肩に担いでその場を飛び退いた。
飛び退いた場所に火の玉が降り注ぐ。信乃くんは悪態をつこうと開きかけた口を閉じた。
すかさず恵衣くんと嘉正くんが鎮火祝詞を奏上した。怪し火の火力が徐々に弱まっていく。
「二発目来るぞッ! 全員気を抜くな!」
瑞祥さんの喝に皆が顔を上げて瓏くんを見る。
「まずいな、これじゃ僕らが逃げきるよりも先に火の手が回ってくる!」
「私たちが離れた途端火の海ってこと……!?」
来光くんが苦い顔で頷いた。
「これじゃ僕たちが圧倒的不利な根比べだよ! どうするんですか聖仁さん!?」
「今考えてるッ! とにかく自分の身を守りつつ怪し火を鎮火して!」
あの聖仁さんが声を荒らげた。それだけ切羽詰まった状況ということだ。
ざっくりとした指示に戸惑いつつも燃え盛る怪し火に向かって柏手を打った。
瓏くんは次々と怪し火を放つ。言霊を奏上しないとその火を消せない時点で、私たちはかなりハンデが大きい。みんなで散らばって奏上して、やっと鎮火が追いついている状況だ。
でも何度も言霊の力を使えば体力は消耗する。瓏くんに押されるのも時間の問題だ。
「アイツとっ捕まえて叩きのめした方が早くねぇか!?」
「出来たらとうにやっとるわ!」
怒鳴りつけるように叫んだ信乃くんが瓏くんに向かって怪し火を放った。炎の塊は瓏くんが投げた怪し火によって白波のように霧散する。
火の粉が粉雪のように降り注ぐ。
「瓏のやつ強キャラすぎない!?」
「実際に強キャラなんだよ! 無駄口叩いてないで奏上して!」
「でも元凶どうにかしなきゃ埒が明かないよ!」
確かに来光くんの言う通り、怪し火を放つ瓏くんを止めない限りこのままじゃいたちごっこだ。
くそ、と唇を噛んだ信乃くんが泣きそうな顔で瓏くんを見上げる。
薫先生には連絡した。場所は伝えてあるし、競技内容的にも緊急事態に備えて各ポイントに神職さまたちが待機していると聞いている。
もう十分もしないうちにここまで来てくれるはずだ。それくらいなら私達もなんとか持ちこたえられるかもしれない。
「おい瓏ッ! しっかりせんかい!」
信乃くんが叫んだ。苦しげに頭を押えた瓏くんが私たちを睨みつける。「……逃げてッ」と絞り出したような叫び声が辺り一面に響いた。
信乃くんが目を見開いた。
「あいつ……まだ自我が残っとる! 完全に変化してしもうたら手に負えん、捕まえるなら今しかない! 頼む力貸してくれ!」
「無茶言うな信乃、瓏を助けるために皆を犠牲にする気か」
立ち上る炎に顔を顰めながら鬼市くんがその肩を掴む。
「ほんなら俺に瓏を見捨てろ言うんか!? 千歳狐かて妖やッ! 力使いすぎたら命に関わるんやぞッ!」
その言葉にハッとする。
私は自分たちが持ちこたえられるかどうかばかり考えていたけれど、それだけじゃなかったんだ。
言霊の力に限界があるように妖力にだって限界がある。活動の源であるそれが無くなれば、どうなるのかは私が一番よく知っている。
タイムリミットは私たちの力がもつかだけじゃなかったんだ。
皆が奥歯をかみ締めて視線を逸らした。信乃くんが崩れ落ちるようにその場に膝をついた。土の上できつく手を握る。
「頼む……ッ、俺が何とかするって、助けるって約束したんや。あいつは"約束"って言うた……俺に助けてくれって言うたんや!」
約束、たしか瓏くんもそう呟いていた。
きっと二人の間で大切な何かが交わされていたんだろう。
友達を助けたい、その気持ちは痛いほど分かる。私たちだって何度もその気持ちが原動力になって厳しい局面に挑んできた。
ただ今回は未来を見た。挑めばどうなるのか、みんなも知っている。
泣き叫ぶ聖仁さんを見た、酷い火傷を負う瑞祥さん、来光くん。青い火に包み込まれた皆を見た。あんな光景はもう二度と見たくない。
だったらどうすればいい?
今の私たちに何ができる?
助けたい、皆誰一人欠けることなく。
助けたい、皆を助けたい。
「要はあいつを拘束できればいいんだろ」
怪し火をで煤けた頬を拭いながらそういったのは恵衣くんだった。
「攻撃が通じないなら反対に防御を固めて近付けばいい。全員で一斉に突撃すれば、少なくとも一人はあいつに手が届くはずだ。あとは祝詞は使わず物理的に気絶させれば問題ない」
「恵衣! そんな簡単な話じゃないんだよ!」
ふん、と鼻を鳴らした恵衣くんは聖仁さんの叱責にも耳を貸さず顔を背ける。
訴えるような信乃くんの視線に唇を噛む。
「聖仁! お前なら何とかできるだろ!? ていうか何とかしろよそれでも男かッ!」
瑞祥さんが聖仁さんの胸ぐらを掴んで譲った。聖仁さんの瞳が揺らぐ。
クスノキの上から呻き声が聞こえた。信乃くんの表情が強ばる。今にも飛び出していきそうな身体を、聖仁さんが咄嗟に捕まえる。
「離せやッ、もうお前らには頼らん! 俺一人で何とかする!」
「一旦落ち着くんだ!」
「落ち着いてられるかアホンダラァッ!」
「そんなんじゃ救えるものも救えないだろ!?」
信乃くんの瞳に力が宿った。
瑞祥さんが弾んだ声で名前を呼んだ。皆が期待を込めて聖仁さんを呼ぶ。
「恵衣と俺で作戦考えて30秒後に共有するから、火鎮祝詞を奏上しながら耳だけ貸して! いいね!?」
気合いの籠った返事が揃った。
「あと全部終わったら瑞祥は説教!」
「望むところよッ!」
ダハハッと高らかに笑った瑞祥さんに、聖仁さんは苦い顔を作って息を吐いた。
作戦開始の合図は最後の一人が火鎮祝詞を奏上し終わったその瞬間だ。
一足先に奏上を終えた私と瑞祥さんは木の裏に身を潜めてその時を待つ。皆を指揮する聖仁さんの背中を後ろから眺めた。
「緊張してるのか? 巫寿」
いつの間にかがちがちに強ばっていた両肩に手が乗せられた。
「……はい。すごく」
にかっと笑った瑞祥さんが私の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「大丈夫だ、巫寿の事は死んでも私が守る!」
「縁起でもないこと言わないでください……!」
「アハハッ悪い悪い! でも聖仁が考えた作戦なんだぞ、成功間違いなしだ!」
胸を張ってそう言いきった瑞祥さんに、私は曖昧に頷いた。
「おっと、もうそろそろだな」
最後の一人は泰紀くんだった。火鎮祝詞の最後の一節を奏上し始める。
これが終われば作戦開始、まずは泰紀くんたち三人が瓏くんに向かって飛び出す手筈だ。
悪いことをあれやこれやと考えるのは止めよう。今できる最大限のことをするまでだ。
「みんな準備はいいッ!?」
聖仁さんが叫ぶ。皆が瓏くんを見上げた。泰紀くんが最後の一言を奏上する。
「行け!」
恵衣くんの掛け声とともに一斉にみんなが駆け出した。
第一陣は泰紀くん、慶賀くん、来光くんの三人が真正面から瓏くん目掛けて突撃する。
勢いよく土を蹴った三人が飛び出した。
「二人とも日和るなよッ!?」
「来光にだけは言われたくねぇ!」
青い顔をして笑った泰紀くんが自分を鼓舞するようにそう叫んだ。
瓏くんが走り出した三人に気が付いた。三本の尾っぽを打ち付けるように勢いよく振りつける。大きな火の玉はゴォォと音を立てて三人目掛けて宙を横切った。
火の玉は三人の目の前まで迫っていく。皆は走り続けた。祈るように指を組む。
「安心して! "一発目は絶対に当たらない"からッ!」
来光くんがそう叫ぶと同時に、三人を囲うように卵色をしたドーム型の膜が光る。火の玉が膜に触れた瞬間、激しい火花が音を立てて散った。
三人の背中に張り付いていた御札が微かに光り役目を終えてはらりと落ちる。来光くんが用意した御札だ。
驚いた瓏くんが僅かに目を瞠る。
「来光! 背骨は踏むなよ、踏むなら腰骨にしろ!」
瓏くんが立つクスノキの下で、泰紀くんたちが膝に手を着いて背中を丸める。数歩遅れて走っていた来光くんが二人の背中を踏み台にして飛んだ。
ふわりと宙を舞った来光くんが「うわぁッ!」と叫ぶ。
「ていうか何で僕選んだんですかッ! 運動音痴なのにぃッ!」
嘆きと共に手を伸ばす。その手は瓏くんの足首を掴んだ。
「そのまま引きずり下ろせ、来光ッ!」
二人の体がぐらりと傾いた。重力に逆らえず二人は真っ逆さまに落ちる。
ずしゃ、と音を立てて落ちたのは来光くんだけだった。宙で体制を整えた瓏くんは綺麗に二本足で着地する。
瓏くんの周りを火の玉が飛んだ。息を飲んだその時。
「おい信乃、後で文句言わないでくれよ」
木陰に隠れていた鬼市くんが瓏くんの背後に飛び出した。妖力で引っこ抜いた太い木を肩に担いでいる。
「構わん許す! やれッ!」
「ん」
バッドを素振りするかの如く軽々と振りかぶった大木がブォンと音を立てて風を切った。振り切ったそれは野球ボールを打ち抜くように瓏くんの腰にヒットする。
体はくの字に曲がって木の幹に乗っかかった。そのまま空高く舞い上がる。
「手筈通り、風神祝詞!」
恵衣くんの指示が響きわたり、みんなの柏手が揃った。
来光くんが用意した守り札を付けた三人が飛び出し、瓏くんを木から引きずり下ろす。そして木から降りた瓏くんを、鬼市くんが天高くほうり上げる。問題なく宙に浮いたら、今度は下へ落ちてこないように私と瑞祥さん以外の全員で風神祝詞の奏上。
ここまで綻びひとつなく全て作戦通りに進んでいる。
「絶対に落としちゃダメだよ! 瓏を鼓舞の明の範囲外にキープするんだ!」
おう!と皆が応える。
「今だ巫寿、始めろ! 瑞祥さん頼みます!」
恵衣くんが振り返って私を見た。大きく頷き手を差し出す。天高く両手を差し出す動作は鼓舞の明の最初の型。
次は私の番だ。
舞い始めたと同時に、私の周りに半透明の膜がかかった。背後で瑞祥さんが絶えず祝詞奏上する声が聞こえる。
「瑞祥そっち行ったッ!」
聖仁さんの焦った声に思わずハッと顔を上げる。放たれた怪し火がこちらへ向かって降ってくる。
「わーってるよ!」
ひひ、と得意げに笑った瑞祥さんの声がして怪し火は半透明の膜に当たった。
バケツの水を地面に勢いよく巻いた時のように細かい火の粉がぼわりと広がり僅かに熱を感じる。
「どうだ見たか聖仁、凄いだろ!」
「後でいっぱい褒めてやるから、今は役割に集中しなさい!」
「ったく、少しは褒めろよ! 巫寿、今の見ただろ? 私を信じろ、絶対に守ってやる!」
振り向けば瑞祥さんはグッと親指を立てて笑った。白衣は火の粉が降りかかったのか所々に焦げがあって、頬も煤けている。
私を守るということは、瑞祥さん自身の体は危険に晒されるということだ。瑞祥さんはそれを承知で引き受けてくれた。
それだけ私が重要な役割を担っているということだ。
「……よろしくお願いしますッ!」
両頬を叩いて自分に喝を入れる。
瑞祥さんを、皆を信じて私の役目を全うするんだ。