「でも、それ以外、思い付かなかったから」


本当に困った顔をしたそいつは、俺が泣いているのに気付いてぎゅっと眉を寄せた。


「信乃、大丈夫?」


いきなり部屋に怒鳴り込んできたような俺を。掴みかかって殴りつけようとした俺を。友達でもなんでもない俺を。

なんでこいつは、そんな顔で真っ先に心配するんだよ。


「どこか、痛い?」


昔お袋が夜寝る前に、千歳狐のおとぎ話を読んで聞かせてくれたことがあった。その本にはこう書かれていた。


千歳狐は傷付けない。千歳狐は貶めない。千歳狐は友を慈しみ、守り、導くお狐だ────。


こいつには生まれたその瞬間から、人を呪う感情なんてひとつもなかったんだろう。

だからあんなに強くても地下牢から逃げ出さなかった。初めて俺と会ったあの日も俺を傷付けないように縮こまった。俺がどんなに酷く当たろうとも、一度も俺を責めなかった。


「嫌なことは嫌って言えや。ムカつくことには怒鳴って怒れや。何やられっぱなしになっとんねん……ッ!」


そいつは不思議そうに首を傾げた。


「嫌じゃない、同胞だから。それに、信乃の大切な人だから」


ハッと顔を上げる。

僅かに口角を上げたそいつが目を細めた。


「信乃は初めて友達になってくれた。俺に優しくしてくれた。だから、俺も優しくしたい。信乃の大切な人は、俺も大切にする」


何を、言うとんのやこいつは。

俺がこいつに構ったんはオヤジに言いつけられたからで、別に自分から優しくしてやろうと思って近付いた訳じゃない。

里の子供らや友人たちに比べたら酷く適当に扱っていたし、感謝されるようなことなんて何も。

これぽっちも、していないのに。