「この祝詞が危険な理由はそこだ。己の言祝ぎをぶつける事が危険なんだ」
でもその祝詞の何がいけないんだろう。禄輪さんの説明に危険な要素はなさそうに思える。
私の考えが読めたのか禄輪さんは険しい顔で続けた。
「言祝ぎはどこにある?」
「え……? 言霊の力の中、です」
「言霊の力はどこにある?」
「血液みたいに体の中を巡ってます」
神修では初等部で習うような基礎的なことだ。
言霊の力は呪と言祝ぎから成り立ち、体の中を血液のように巡っている。
それとこれとどういう関係が……?
「言祝ぎだけを取り出すのは血液の赤血球だけ取り出すのと同じ。まぁまず不可能だということは分かるな? じゃあ言祝ぎに穢れをぶつけるにはどうする?」
取り出せないなら、それはもう中に入れるしか────そこまで考えて目を見開いた。
嘘、まさか。この祝詞は。
お兄ちゃんや禄輪さんがあれだけ怒ったのは、そういう事だから……?
「天地一切清浄祓は、穢れを己の中に取り込んで言祝ぎで浄化する祝詞だ」
穢れを己の中に取り込む。
それがどれほど危険の伴う行為なのかを私は知っている。何度もこの身でその苦しみを味わってきた。