「……お前こそ、お人好しだろ。なんでそこまでやられて何一つやり返さないんだよ」
珍しく恵衣くんが会話を続けた。
頬が緩む。目元に乗せていたハンカチをきゅっと握った。
「薫先生とかお兄さんとか、相談しないのか」
そんな質問に「あー……」と言葉を濁す。
「お兄ちゃんに相談したら、次の日には校舎がなくなってるかもしれないから」
恵衣くんは無言だった。
お兄ちゃんは二学期の奉納祭を見に来ていたので恵衣くんもお兄ちゃんのことは知っている。
あの兄ならやりかねないとでも思っているんだろうか。
本当にやりかねないのがうちのお兄ちゃんなんだけれど。
「恵衣くんは兄弟いるの?」
何となくそう尋ねた。しばらくの沈黙の後「兄貴がひとり」と答える。
ちょっと意外、恵衣くんって次男だったんだ。
「いくつ離れてるの?」
「十六」
「結構離れてるんだね。本庁の人?」
「生きてたらな」
言葉に詰まった。
生きてたらな、つまり今はもうこの世にはいない人だということだ。
触れていいのか分からず黙り込んでいると、幹の向こう側で恵衣くんがため息をついた。