購入した土地には、大きな桜の木がある。
 十年前に出会った彼女との思い出の桜だ。

 桜を眺めるたびに、最後に見た彼女の姿が思い浮かぶ。窓からこっちを覗いた彼女は、両手の手のひらをずらして、前後に合わせた。そして右に移動させつつ、ぱちぱちと叩きながら少しずつくるんと回していき、左右の手の前後を逆にした。

 それから、ひらいた左手の手の甲を上にし、そこにひらいた右手を縦にしてからストンと垂直に落として上に戻した。

 そして、満開な笑顔で微笑んでくれた。

 僕はその時の彼女を鮮明に覚えていて、ずっと忘れられない――。

 今年も桜の季節がやってきた。


***

 記憶は高校二年生の時にさかのぼる。

 春、朝早くから茶色の豆柴の子犬、シロと一緒に散歩をしている時だった。最近は人が怖くて学校にはいけていない。シロと一緒に散歩をする時間は、誰にも合わないから唯一外に出られる時間だ。

「ワン!」

いつもはまっすぐ行く道なのに、シロが急に曲がりだした。道を曲がると、草がぼうぼうで、サンダルで入ると足がかゆくなりそうな広い空き地がある。その中にシロが吸い込まれるように入っていった。僕もシロと繋がっているリードに引っ張られて中へ。幸いスニーカーと長いデニムのパンツだったからかゆくはならない。

 空き地の中に入った時、突然シロが細い道路を越えたところにある、知らない人の家に向かって吠えだした。

 その家はちょっと古めな雰囲気で、誰か住んでいるのかな?って感じの家だった。

 その家の近くによると、大きな窓から外を見ている、少し年上ぐらいの可愛い女の子と目があった。彼女の全身が見えていて、着ている白いワンピースがとても似合っていた。

 目が合った瞬間に僕はドキッとして、思わず目をそらしてしまった。そしてシロのリードを引っ張り、いつもの散歩道へ戻った。

 家に帰ってからも、ずっと彼女の顔が頭の中から離れない。家族以外に珍しく目を合わせた人だからってのもあるけど……。
 だって、すごく寂しそうな表情でこっちを見つめていたから。

 次の日もシロと一緒に、彼女の家の方に向かった。そしてそっと彼女の家の方を向くと彼女はこっちを見ていた。次の日も、その次の日も……。彼女の家の前を通るのが新しい散歩コースになった。僕が散歩で彼女の家の前を通る時間、彼女は毎日こっちを家の中から見ていた。だんだんと目が合うことに慣れていき、目をそらさないでいられるようになった。彼女は口元だけで微笑む。

 彼女は毎日桜のペンダントをつけていた。
 それが目に入ったのは、僕が〝大きな桜の木を出す魔法〟が使えるからだ。ただし、それはたったの1回きり。使えるようになったのは、僕がまだ幼稚園に通っているころにおばあちゃんが「一度も使う機会がなくてまだ残ってるからあげる」と、僕に魔法の力をくれたから。

 正直、そのころは桜には興味がなかった。
 今もそんなに興味はない。

 だけど、もしも彼女が桜のことを好きなら、この魔法は彼女のためにあるのかもしれない。と思いつつも「桜、好き?」ってなかなか訊けずにいた。


 彼女を知って、二週間ぐらい経った日のこと。その日は、彼女の家の中を窓から覗いても、彼女はこっちを見てはいなかった。代わりにお母さんらしき人と彼女が、手で会話をしている風景が見えた。

 これって、手話だよね?
 彼女かお母さん、どっちか耳が聞こえないのかな?

 声をかけれないでいたけれど、手話でだったらもしかして会話が出来るかも――。

 帰ってすぐに『桜』と『好き?』の手話を調べる。僕は動画を検索して、それを見ながら何度も練習した。

 まずは『桜』を覚えた。

 両手の手のひらをずらして前後に合わせる。ぱちぱちと拍手しながら少しずつ回して、左右の手の前後を逆にするらしい。そしてその動きをしながら手を右に移動させる。説明によると、桜の花びらを表しているらしい。

 そして『好き』は、人差し指と親指を伸ばし顎あたりで開き、閉じながら下に下げる。

 最後は『?』。

 手のひらを上に向け、相手に指の先を向ける。首をかしげたり表情も合わせるといいらしい。だけど余裕はなくてそこまでは難しいかもしれない。

 覚えたけれど、本当にこれで合っているだろうか? 
 彼女に通じるだろうか?

 自分から相手に何かアクションを起こすのは本当に苦手だし、しかも初めて覚えた手話だし……不安は増すばかり。

 次の日、彼女がいつものように外を見つめていたから、彼女と目が合った時、勇気を出して実行してみた。手が震えすぎたけれど、なんとか出来た。

 彼女は『桜、好き』と口を動かしながら手話で返してくれた。そして、桜みたいに優しく微笑んでくれた。

――ドキッとした。

 僕は彼女と、初めて言葉の交流をすると、顔が熱くなってきた。心臓の音も早くなってくる。どうしよう――。

 僕は恥ずかしくなって……シロを抱っこして逃げた。

 多分彼女は逃げた僕の姿を見て、不思議な気持ちでいっぱいだろう。僕も微笑み返せば良かった。でもそんな心の余裕はなく、むしろひどい表情を彼女に向けてしまったと思う。

「はぁ、どうして逃げたんだろう僕……」と部屋の中でひとりごとを呟いた。

 でも、彼女は桜が好きなんだということが分かった。
 魔法を使う決心をした。

「魔法は誰にも見られないように、誰もいない夜中にそっと実行してね」と、おばあちゃんから教えられていた。

 早速真夜中、ひとりで広い空き地の隅に来た。大きな桜がそこに咲いている風景を想像した。そして手から桜が出るようにイメージして、手のひらを桜の木が立ってほしい場所に向ける。

 一瞬だけ光ると、目の前に桜が現れた。
 本当に僕が、魔法で桜の木を出したんだ……。

 しばらく桜を見つめた。
 出てきた桜の木は、ちょっと想像と違った。

 なんと想像よりも小さく、僕の身長である168cmよりも少しだけ高い大きさだった。

 ちなみに桜の木が急にこの空き地に現れたけれど、驚く人はいない。なぜなら桜の木が魔法で出てきた瞬間を目撃した人を除き、元からここに桜があったように人間たちは錯覚するらしい。なんて都合の良い魔法だ。

 次の日の朝、シロと散歩をしながら桜の木をあらためて確認する。変わらず夜中に魔法で出した桜の木は、空き地の隅にあった。

 桜の木を眺めていると、シロが突然彼女の家の方向へ行こうとした。いつもよりも勢いと力が強いシロ。子犬だから大丈夫だと油断していた僕はリードに引っ張られる。

「待ってよ!」
「ワン!」

 シロは彼女の家の窓に手をやり、カリカリと爪を立てている。

「ちょっ、ダメだよ!」

 窓越しにはいつものように彼女がいた。

 こんなに彼女の近くに来たのは初めてだ。
 今日も心臓がうるさくなる。

 だけどそんなことよりも、彼女に言いたいことがあった。シロは僕の気持ちに気がついて、だから引っ張ってくれたのかな。

『一緒に、桜、見る』

 昨日寝る前に練習した手話を彼女に披露した。桜はすでに覚えていて、〝一緒に〟は、左右の人差し指を合わせる。そして〝見る〟は、調べた時にいくつか表現方法があったけれど、今回の場合は多分、右手の人差し指と親指で丸を作り、右目に当てて少し前に出す。

 またきちんと通じるか不安だったけれど、彼女の前でやってみた。そして、桜の方向を指さした。

 彼女はうんと、頷いてくれた。上手く通じてくれて、ほっとした。彼女は目の前から一瞬消えて、戻ってきた。そして、窓を開けて靴を履き、外に出てきた。

 シロが彼女の所へ行くと、彼女は笑顔でシロの頭をなでる。

 僕は桜の方を指さし、彼女に目で合図すると、空き地の草むらの中に入っていく。かゆくならないかな?と彼女の足元を見ると、ちょっとだけ草が足にかかっていた。

 大丈夫?って聞きたいけれど聞く方法が分からない。

 だけど、昨日は気が付かなかったけれど、桜の木周辺だけ草はなくなっていた。

 かゆくなるのは大丈夫そうだ。

 ところで、彼女とはどうやって会話をしよう? 他の手話を知らない。それに僕は、元々上手く人と会話が出来ないし。

 そう考えていると、彼女はスマホを出して、何か文字を打ち出した。

『朝ご飯、食べた?』

 僕はスマホも家だし、ペンも紙もない。それに気がついてくれたのか、彼女はアイコンタクトをしてスマホを貸してくれた。

『まだだよ』

 そう文字を打つと彼女は『待ってて』と打ち、家に戻っていく。

 そっか、こうやって会話が出来るのか……。

 戻ってきた彼女は袋を持っていた。中にはレジャーシートとパン、そしてペットボトルのお茶。僕の分も持ってきてくれた。

 彼女は『犬の分はないけど、ごめんね』と眉尻を下げ、シロにその言葉が書いてあるスマホの画面を見せる

 彼女はレインボーのパステル色したレジャーシートを引き、桜の木の前で座った。

 隣に座るのはドキドキするけれど、僕も一緒に座る。

 彼女は袋の中に入っているパンを出して、並べた。

 僕はカレーが好きだから、カレーパンを選んだ。彼女はイチゴパン。

 これは、花見だろうか。無言のまま、ただ桜を眺めながらふたりでパンを食べている。

 食べ終わると彼女は『桜、綺麗だね。私、桜大好きなの。久しぶりに見れて嬉しかった』と言葉を打ち、見せてくれた。

 僕はスマホを借りて『良かった!』とだけ打ち彼女にスマホを返した。そして慣れない笑顔で彼女を見る。

『私の名前は桃音。そちらは?』
『僕は春樹』。

 名前を伝えあってから、彼女は何か文字を打とうとしていたけれど、その手を止めた。少し経つと再び打ち出した。

『私ね、実は外に出れたの久しぶりなの。外が怖くなって、最近ずっと家の中にいたんだ』

 外に出るのが怖い……僕と同じだ。
 同級生と会うのはもちろん、知らない人とも目が合うだけで怖い。だから朝の、人と会わなくてすむ時間の散歩でしか外に出られなかった。

 だけどなんでだろう。彼女といるのは平気だし、むしろ居心地がよい。

 再び彼女からスマホを借りた。

『僕も同じ。外に出るのが怖くて、人と目が合うだけでも怖い。だけど、君となら平気だ』

 どんな反応するんだろう。ドキドキしながらスマホを返し、ちらっと彼女の顔を見る。ばちっと彼女と目が合うと微笑んでくれた。

『平気なんだね、うれしい』

 彼女はそう返事をくれた。その言葉を読むと、これ以上は何も言葉が思いつかないから、再びパンを食べながら桜を一緒に眺めた。

 小さな桜とシロと僕、そして彼女と。

 少しの期間だったけど、朝は彼女とシロと静かにお花見を堪能し、家では手話を覚える日々を過ごした。

 だけど桜の花びらが全部落ちた日、彼女は『私、明日の早朝に、ここからいなくなるの』と、文字をスマホに打った。親の都合で引っ越すらしい。その言葉の衝撃はすごかった。心の中に隕石が落ちてきたみたいに、痛かった。

 彼女が家に戻る時は、彼女が家の中に入るまで見送った。

 彼女の姿は消えた。ここから離れたくないなと思いながらも、窓から覗いてくれる彼女を期待していたら、期待通りに窓のところに彼女の姿が現れた。

 僕は手を振る。

 彼女は微笑みながら『桜、ありがとう』とゆっくり口を動かし、手話をした。

 僕も『ありがとう』と、それから『また、一緒に桜を見たい』と手話をした。

 すると彼女は『うん』と口を動かしながら頷いた。

 いなくなる話は夢だったらいいのになと現実逃避をし、次の日も彼女に会いに行く。だけどやっぱり彼女は……いなかった。窓から見えるリビング。そこにあったはずの家具もなくなっていた。

 一緒に見たいと伝えた時に彼女は頷いてくれたから、お花見をした思い出と、そしてこの桜を守ろうと誓った――。


 それからもずっと、シロと一緒に桜の前を通った。桜の木がいなくなる様子は少しもなくて安堵する。

 桜はだんだん大きくなっていった。
 桜が成長する姿を見るのはうれしかった。

 自分が魔法で出した桜。子供を産む気持ちは分からないけれど、もしかしたらそれに近い感情を桜に持っていたのかもしれない。

 けれど、何かずっと物足りなかった。

 桜は成長するのに、僕は何も変わらないまま。そう考えた僕は、もっと手話を勉強することにした。

 手話はひとつひとつ意味がきちんとあって、顔の表情や動きにも意味があって……覚えるのが楽しかった。彼女と再会出来た時には、あの日々よりもスムーズに会話をするんだ。という思いを胸に強く抱く。手話のボランティアにも登録して過ごしていくと、外に行くのも人に会うのも、怖さは残るものの、以前よりすんなり出来るようになっていった。

 桜の周りも少しずつ変わっていく。

 彼女が住んでいた家は壊され、新しい家が建ち、新しい家族が住んだ。桜の木が立っている空き地には、売地の看板が立てられた。

 土地が誰かに買われ、家が立ったりしたら桜の木が抜かれてしまう可能性を考えて、焦った。今あらためて考えると、看板が立てられる前から抜かれる可能性はあったわけだけど。僕は、看板に書いてあった電話番号に電話をかけて「土地を予約したい」と言ってみた。「二週間ぐらいまでなら……」と返事が来る。土地代を二週間で貯めるなんて出来なかった。

 この土地が売れませんようにと毎日願いながら土地代を貯めた。そして桜の木があるこの土地を購入した。





 ちょうど桃音ちゃんとお花見をしてから約十年が経ち、今年も桜が満開な季節がやってきた。

 シロといつものように桜を眺めている時、僕は視線を感じて後ろを振り向く。

 桃音ちゃんが、いた。

 彼女は微笑みながら会釈をする。
 僕は迷うことなく『久しぶり。元気だった?』と手話をした。

 彼女は驚いた様子の表情をした。あのころはぎこちなかった手話を、スムーズにやったからだろうか。『手話、出来るの?』と訊かれると『出来るよ』と答える。

 続けてふたりは手話で会話をした。

『桜、綺麗。まだここにあって、嬉しい』
『ここの土地、購入した。これからもずっと、桜はある』
『いいね』
『今日は、用事で、ここに来たの?』
『そうだよ。ここに来たら、あなたに会えるから。初めての一人旅。すごく頑張って、緊張した』

 僕に会えるから? 初めての一人旅。本当に頑張ってここまで来たんだろうなって思った。僕も外には出られるようになったけれど、いまだに遠くに行くのは緊張するし……きっと、着くまで色々大変だったこともあっただろうに。

『僕のために、ここに来たの?』
 答えは聞いていたけど。もう一度確認するように尋ねると、彼女は頷いた。
『どのぐらい、時間、かかった?』
『二時間』
 来てくれるって知って、彼女の住んでる場所が分かっていれば、どんなに遠くても迎えに行きたかった。
『どうして、僕に会えると思った?』
『あなたが、この桜を産んだから。あなたなら、桜を見捨てないと思った。桜が咲く季節には、絶対、ここに来ると思った』

 誰にも魔法で桜を出したことを知られていないと思っていたのに……彼女は知ってたんだ。

『この桜の木、僕が出したこと、知ってたの?』
『知ってた。桜が産まれた日、夜中に外を見ていたら春樹くんがいて、桜の木を出してた。春樹くんが帰るまで、ずっと見てた』
『あの時から、知ってたんだ……』

ということは、ずっと頭の中に残っている彼女の最後の『桜、ありがとう』は、僕が魔法で桜を出したことも含めてなのか。そう考えていると、彼女はピンク色の大きなカバンからカレーパンを出して『好きだよね?』と訊きながら僕にくれた。そしてあの時と同じレインボーのパステル色したレジャーシートを出して、桜の木の前で座った。

『二日間、こっちにいるから、また明日、ここに来ていい?』と訊かれ、僕はうれしくて「うん」と大きな声を出して頷く。彼女は笑顔になって、それからイチゴジャムパンを食べだした。

『最近は、どんな、人生過ごした?』
『あの桜を見せてくれた日からね……』
 僕が訊くと、彼女は詳しく教えてくれた。
 それからずっと手話で会話を続けた。僕は外に出られるようになって、昔よりは人と話せるようにはなったけど、口数は少なかった。会話が苦手なのはきっと、生まれながらに持った性格だから変えようがなく、誰とも会話を続けられないと思っていた。

 次々と出てくる言葉、しかも手話で会話をしている。
 手話を覚えて良かったと、初めて実感出来た時だった。

『明日、朝からここに来るね。朝ご飯、一緒に食べよう』
『朝ご飯、僕が準備する』
『ありがとう』

 夕方になると明日の約束をした。それから僕は彼女を、彼女が泊まるホテルまで送った。
 僕はまた空き地に戻ると、暗くなるまで桜を見つめ、彼女と過ごした一日を振り返り、余韻に浸っていた。

 次の日の朝、桜の木の前でシロと待っていると彼女が来た。

 二日間続けて彼女と会えるなんて、夢をみているようだ。

『おはよう』
『おはよう』

 同じ手話で会話がはじまる。
 僕はコンビニで買ったおにぎりとイチゴジャムパンを『どっちが、好き?』と手話をしながら彼女に見せた。彼女はパンを手に取った。食べるか分からないけれど、卵焼きやポテトサラダのお惣菜と割り箸も並べて置いといた。シロの朝ご飯と水も持ってきたからお皿に入れて並べる。

『食べて、いい?』
『いいよ』

 彼女は僕が選んだお惣菜を食べてくれた。

『これから、どうするか、考えているの?』

 昨日は過去の話をしたから、今日は未来の話を彼女に問いかける。だけど彼女は何も答えない。難しい質問をしてしまっただろうか。言い終わってから、言わなければ良かったと思うことはよくある。今もそうだ。

 彼女はじっと桜を眺めた。桜を眺めている彼女を僕は見つめる。彼女の瞳は桜色に染まっていた。桜の木を眺めて動かなくなった彼女。僕は彼女の肩を優しく叩いた。

 彼女はこっちを向く。

『今、恋人、いる?』

 僕にとっては踏み入った質問で、緊張した。
『いない』と、彼女は答える。

 その答えにほっとした。
 もう一生会えなくなるかもしれないから、どうせなら、正直に気持ちを伝えよう。

『ずっと桃音ちゃんと、桜をみたい。この土地に家を建てて……』

 一緒に住まない?って訊きたかった。けれど久しぶりに再会して、いきなりそんな風に言われても迷惑だろう。

『私、この桜の近くに、住みたいな』
 予想外に、彼女からそう言ってくれた。
『……ここに家を建てたら、一緒に住む?』

 さっき閉じかけた言葉を彼女に伝えた。
 彼女は頷いて、桜に似合う笑顔を見せてくれた。

 一緒に住むためにはやることが沢山あるだろう。

 まずは、彼女の一人旅をすごく心配して反対していたらしい、彼女のお母さんに伝えないと。というか、お付き合いしてるわけでないのに一緒に暮らすとか絶対に反対されそう。

 お付き合い……もう、言ってしまおうか。

 僕はごくんと唾を飲んだあと、勇気を出して『僕と、恋人になりませんか?』と、手話をした。

 彼女と出会った時に『桜、好き?』って手話で初めて質問をしたけれど、その時ぐらいに手が震えた。

 僕はずっと桃音ちゃんを想って生きてきた。彼女はどうだったんだろう。
 
一緒に住む?って質問をしたら頷いてくれたから、恋人になってくれるだろうか? それとも無理だと、振られてしまうだろうか……。

 彼女は放心状態になった。それから、はっとして顔を赤らめて『なります』と返事をしてくれた。

 泣きそうになったけれど、涙をこらえた。

 実際出会ってからはかなり経つものの、こうやって一緒に話をした時間は、まだほんのわずかだ。

 だけど、イメージは沸いた。
 建てる家は、外観も内観も彼女に選んでもらって、彼女の好みな家がいい。
 家を建てたら、桜の花が咲く時期は毎日庭でお花見をして、毎日笑って桃音ちゃんと過ごして……。明るい未来の想像が、桜の花びらと共に、一気にシャワーのように降ってきた。

 この桜がここにある理由は、僕と桃音ちゃんだけが知っている。

 そしてこの桜の木は、僕と彼女が初めて一緒に過ごした日も知っていて、これからの僕たちも知ることになるだろう。そんな桜の木を僕は、桃音ちゃんとずっと一緒に眺めていたい。

 永遠に――。

 彼女と目を合わせた。
 一緒に、はにかんで笑った。

 
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