「十八歳になったら抱いてください」

 目の前の鉄板はすでに熱く、じゅうじゅうと音を立てている。
 木目の大きなテーブルの並ぶ、予備校最寄りのお好み焼き屋。テーブルを挟んで向こう側にいるのは、私の予備校の元チューターの八代さんだ。都内にある有名な私立大学の四年生で、就活を理由に予備校でのアルバイトをやめた、私の好きな人。
 やめた後も連絡したらこうしてたまに予備校帰りの私と会ってくれるのだから、ちょっとは脈ありなんじゃないかなって思う。

「またそれ? 夜ちゃんにそんなことしないよ」

 しかし、八代さんは涼しい顔していつものセリフを吐き、片面が焼けたお好み焼きの生地をヘラでひっくり返した。

 就活する時だけ一瞬髪を黒く染めていた八代先生の髪は今や明るい茶髪で、ピアスもバチバチ。以前見た目が派手な女の人たちに囲まれて遊んでいるのを見たことがあるし、彼が大学で入ってるサークルがいわゆるヤリサーだってことも私は知っている。
 このチャラッチャラした見た目からも女遊び激しいんだろうなってことは容易に想像できる。規範意識も多分彼にはそんなにない。
 なのに――ここまで手を出してこないのは想定外だ。

「つーか、先月できた彼氏はどーしたの」
「別れました」
「また?」

 八代さんがぷっと噴き出す。
 自分で言うのも何だが私はモテる。顔が可愛いから。だからそれなりに彼氏はすぐできるけど、長続きしない。

「好きになってくれた男の子のことは大事にしなよー?」
「……好きになれないんですもん」

 私はごにょごにょとそう言って、八代さんがひっくり返してくれたお好み焼きを皿に移す。

「どういうところが?」
「なんか、同い年の男の子って子供っぽい。変な下ネタ言うし、教室の後ろで授業で配布されたプリント丸めてキャッチボールしてるし」
「あ~……」
「だから八代さんに抱いてほしい」

 思い切って話を戻すと、八代さんは腕を伸ばして私にデコピンしてきた。

「った!」
「そういうこと安易に言わない。自分の体大事にしな」

 何度言ってもいくら誘っても返ってくる、似合わない答え。八代さんがこうして私との関係を進展させようとしないから、こんな意味もない関係をズルズル続けることになる。同じテーブルを囲んで座っているのにどうしてこんなに遠いんだろう。どうしたって年齢の距離は埋まらない。
 私は額を押さえながら八代さんに恨みの目を向けた。

「八代さんは遊びまくってるくせに」
「男はいーの」
「八代さんが遊びまくってる相手も男と遊びまくってるじゃないですか。私知ってるんですよ? レミさんでしょ、マミさんでしょ、あとはサクラさん。この三人ですよね、八代さんの固定のセフレ」
「こわ。何で知ってんの」
「八代さんのインスタの相互フォロワー全員監視してるから」
「マジで怖いじゃん。執念やば」

 ケラケラと笑う八代さんは、私が指摘した事実を否定しない。
 やっぱりか、と思って内心舌打ちをする。

「私とあの人達の違いって何なんですか? あの人達とヤってこんだけ会ってる私とヤらない意味が分かんない」
「高校生に手ぇ出すのはアウトでしょ。しかも、バイト先の予備校で出会った子だし」
「……随分と常識的なことで。」

 そんなルールをいちいち守るような、ちゃんとした大人じゃないくせに。
 厭味っぽく吐き捨て、怒りに任せてお好み焼きを口にかき込む。

「今は周りが子供っぽいから身近な大人がいい感じに見えてるだけだよ。大学入ったら他に好きな人できるって」
「言っときますけど八代さん、結構損してますよ? こんなに若くて可愛い子がこんなに熱心に誘ってくれるなんて今だけなんですからね? 多大なる機会損失です」
「自分で言う?」

 ばんばんとテーブルを片手で叩いて訴える私に、八代さんはクスリと笑って言った。

「綺麗な子には綺麗なままでいてほしいじゃん」
「別に私は……」
「夜ちゃん、処女でしょ」
「しょッ……」

 声が裏返った。確かにそういう経験はないから口籠る。
 そんな私を、八代さんは見透かすような目で見ていた。

「大事な初めては頂けないな~?」
「……もういいです」

 私は俯き、皿に残ったお好み焼きに勢いよく青海苔を振った。
 その日も八代さんは私に何もしなかった。私はいつも持ち帰られることなくただ駅まで送られて、八代さんは軽い足取りで夜の街へ出かけていく。


 ――“綺麗な子”って何なの。バカみたい。私だって八代さんのセフレ達と同じで、高校じゃ色んな同級生と付き合ったり別れたりを繰り返してる。
 穴に棒突っ込んだことがなければ綺麗なの。色んな男と付き合ってても、凹凸擦ってなければそれだけで綺麗なわけ。
 色々と言いたいことはあるが、門限までに帰らなければならない八代さん曰く“子供”である私は、改札を通らずに戻っていく八代さんの大きな背中を見つめることしかできない。

 溜め息を吐いて電車のホームに並んだ。
 電車が来るまでの時間、スマホを開いて、八代さんのSNSのストーリーを眺める。
 八代さんが載せる写真に写っているのは決まって、大人で綺麗なお姉さん達。化粧慣れしていて、お酒を飲めて、煙草を吸えて、えっちな出会いの場に合法的に行けちゃう人達。私とは立場も経験も考え方も違う。
 八代さんと私の間にある境界線の向こう側へ行きたい。あとほんの少し早く生まれていたら、今頃この人と対等な女の人になれていたんだろうか。

『家着いたら連絡してね』

 八代さんからのメッセージ通知が届く。
 『八代さん、生まれるの早いんですよ』って脈絡のない文句を送ったら、『君が遅かったんでしょ』って返された。