恋愛なんてものはしなくて良くね?そう言ったのは、飯島元太という大学に入学して、すぐの授業前のことだ。
 大学生デビューしたわけだし、遊ぼうぜと。
 確かによくある話だ。大学生になったら、高校生のような純愛などせず遊ぶこと。
 飯島も他の友も早速、遊んでいる。
 サークルに入るだとか、バイト先の年上の女性だとか。
 大学のサークルで遊んで、バイト先でも遊んで、夜の栄えた街に足を運んでまた、遊ぶ。そんな気持ち悪い低俗さ。
 これが、世間の大学生というものなのだろうか。疑問を抱いていた。
 そんな中、俺だけは恋をして、その人を愛した。そして、その人は大学一年生の冬に亡くなり、別れた。あいつが二十歳を迎えることはなかった。

 大学3年生になった頃。俺は、毛嫌いしていた夜の栄えた街に足を運んでいる。あるビルのとある階にあるホスト店に到着した。
 飯島は、今も遊んでいる。ちゃんと大学にも通っているみたいだし、やることはやるタイプだ。真面目に遊ぶなんて意味のわからない話だけど。
「輝、今日の来客予定は?」
 光の店であり、リーダーの光に問われる。6歳年上で早いタイミングで自分の店を持つことができたすごい人だ。
 光は、源氏名であり、ヒカリと読む。本名は知らない。
 誰もそんなものに興味はないし、財布の中身だって、クレジットカードより現金を持ち歩き、その中に身分証らしきものはない。
 警察に本籍を提出しているので、警察は調べればすぐに個人情報を知れる。持ち歩く意味がないのだ。
「今日は、恵ちゃんが来ます。あと、VIP希望の真美ちゃんが」
「それだけ?」
「えぇ、今日はそれだけです」
「お前にしては少ないな。輝も人が来ない時あるんだな」
 輝とは、源氏名であり、アキラと読む。苗字は、菅沼だ。
 普段なら、もっと他にもストックされた女の子たちがいるが、木曜日は基本、人がこない。金曜日が一番来ている印象だ。
「残念ながら、人がいなくても新規捕まえるんで」
 適当に伝えると、軽く笑う光。
「俺の次に売上出してくれるから良いけどさ。じゃあ、今日もよろしくね」
「えぇ、よろしく」
 夜の街は、こんなものだ。
 お金のために仕事をするなら、この仕事で十分だ。
 実際、大学生がホストをやっている話はよく聞く。
 顔が良かったために、光直々にスカウトされてこの業界に入った。
 あいつが、死んでから俺は大学もサボって飲み歩いて、酔い潰れて。そんな中、出会ったのがこの光という男。
 今となれば、遠い出来事なのかもしれない。
 始めた頃に比べ今は一ヶ月で百万近く稼いでいる。
 光の場合、月に一千万売り上げることもあるので十倍近く負けている。
 虚無的にこの仕事に就いて、女の求めるものを言葉にして、体を売れば簡単に稼げるから安いものかもしれない。
 自分の体とか大切にしろっていうやつはよく見るけど、そもそも貞操観念なんかない方がいい。
 あんなものは、いらない。
 ほしいだろうか。いや、ほしい人もいるのだろう。
 頭の悪い胸キュン展開を求める女子どもには。
 そんなもの現実でやれば、キモがられるのがオチだ。例え、ホストであろうとなかろうとイケメンであろうと嫌悪感を抱かれて距離ができる。脳内にお花でも咲いていそうだ。
 しかし、思えば、あいつも生前はそんな展開を望んでいたか。
 奥歯を強く噛む。忘れるために、新規から頂戴したお酒を一気に飲む。
「お、輝さん、久々の一気じゃないですか!」
「望ちゃんから頂いたお酒が飲みたかったので」
 少し照れたように告げる。
 先ほど、ホストに行ったことは何度もあると聞いたのでこれくらいはできる。
 間違ったことはしていない。あくまで、女を喜ばせればいいのだから。こういう女ほど簡単な生き物はいない。ある意味、少女漫画のようなセリフは使える。展開や行動にはリスクが馬鹿でかいけど。
 男の中に経験人数を競う人もいるが、この仕事に就けばいくらでも抱けるし、いくらでも経験を積める。遊ぶくらいならこっちの方がメリットが多いのではないだろうか。
 新規の女が、黄色い声を出す。
「やだー!」
 嬉しそうにいうので、間違いじゃなかった。ただうるさいし、猿かよと毒づく。
 だが、やはり簡単だ。
 こういう女は、簡単にリピートしてくれるだろう。けど、少しの油断もできない。少しでも自分の嫌う言葉を伝えると怒る傾向にあってフォローしたところで話を聞かないなんてことはザラだ。
「じゃあ、俺はこの辺で。楽しんで。また来るね」
 コップをカンと鳴らすと綺麗に笑みを作って場を離れる。
 他のホストが来る前に場を離れ、VIP席希望の真美と連絡を取るためスマホを裏で開く。
 通知が鳴る。ちょうど、真美からだ。
『迎えに来て』
 舌打ちが出そうになるが抑える。
 地雷の女ほど、こういうことを言う。
 相手は姫だからしょうがないが、ちゃんとお姫様として扱わないと逆鱗に触れる。
 以前、経験の浅いホストが真美を汚くいじった時はそのまま帰ってしまったくらいだ。
 後で、話を聞いて慰め、お酒を飲ませ、君しかいないんだよと口づけをした。
 なんとかもう一度来るようになったが、そのホストは対応拒絶。姫直々のお言葉なので仕方がない。
「真美ちゃん、迎えに行ってきます」
 光に伝えると外に出る。
 軽く酒を飲んでいるが、真美からもらったゲロ甘バニラの香水で誤魔化せるだろう。
 酒臭があると少し面倒ごとになりそうな不安要素がある。
 他の女と今日一番に飲むなんて!みたいなこと言われたら面倒だ。
 それに、この香水は真美が俺のためにと送ってくれたもの。
 全く好きな匂いじゃないが、売上のためにはやるしかない。そもそもこれ、男にあげる香水じゃないだろうが。
 この店の売上は、他のホストクラブよりは劣る。現に、光さんがいなければ、最高売上は二番目の俺になってしまう。百万稼げる程度じゃホストと言えるだろうか。
 タクシーで迎えに行き、待ち合わせの場所に到着するとわかりやすく真美はいた。
 小柄でボブの地雷女。ちゃんと地雷メイクで地雷ファッションなのだからわかりやすくていい。
「真美ちゃん、待たせてごめんね」
「ううん。会いたかったから」
「会いたかった?本当?ありがとう、嬉しいよ」
 服装に変化は特にないが、ネイルが変わったか。
 そこを褒めるよりは、靴が新しいことを伝えるべきだな。
「なんか背高い?」
「ん?そんなことないよ」
「あ、靴変えた?前と違う気がして」
「え!?そうなの!!なんでわかるの?」
 以前、靴はあえて褒めなかったからちゃんと見てくれていることに気づいて嬉しいのだろう。
 これも全部、あいつのおかげだが今は置いておこう。
『女の子の容姿はちゃんと見ておくものだよ。少し変わったけど、何が変わったかわからなくても、ちゃんと伝えることで教えてあげるんだから。ね、これからはちゃんと褒めてよ。私、褒められたら嬉しい』
 全く、どうして俺はいつまでも心の片隅に思い出があるのだろう。置いておくと言ったばかりなのに。
 モデルのようなスタイル、ファッションの流行りも欠かさない。くしゃっとなる笑顔も見つめる瞳も今だに鮮明だ。大人っぽいのに少し子供な感じ。
 あいつは、モデルになりたいと言っていた。モデルに負けず劣らずだったからいつかはなるんだろうなと思っていた頃が懐かしい。
「俺のこと、誰だと思ってる?」
「それは」
「さ、行こうか。タクシーあるから」
「うん」
 どうせ、タクシー代も光に出してもらうから気にしない。
 客を連れてきたことで交通費として出してくれるのだから。
 タクシーに先に乗せ、隣に座る。
 適当に会話を振る。
 今回は、あまりお金を使いたくないみたいなので、高いシャンパンとかはやめておこう。
 五万くらいのシャンパンを開けさせておけばいいか。
 そんなふうに頭を回らせていると視界の端に、よく知った顔が写った。
 そいつと一瞬、目があった。
 あの人、もしかして……。
 いやでもここは東京だぞ?あいつの住んでいる地域から出てくるには遠すぎないが、近いわけでもない。
 夜中にこの辺で歩くくらいなら、そいつの家の近くにもそういう店はたくさんあるはずなのに。
 県を跨いでまでどうしてここに?
 確実だ。見間違いじゃない。
 待て、落ち着け。気にすることはない。まだバレたわけじゃないのだから。
 タクシーが店の前に止まる。
 真美がきたことを知らせる。VIP席に座らせて、他のホストに時間を稼いでもらうことにした。
 目のあったそいつから連絡が来てたら、困るからだ。
 しかし、そんな不安は杞憂に終わるらしい。
 安堵した。そいつは、今ここにいるだろうが、連絡を寄越すほどではない。
 他のホストに自分の事情を伝えたことはないから、それが発覚してしまうのはなんとしても避けたい。
 ホストの中には、それを利用して爆弾する奴がいる。人のプライベート利用して指名の子を奪う人だっている。
 爆弾は、自分の客を奪う行為として使われている用語だったりする。使い方としては間違いではないのかもしれない。
 ホストだけではない、キャバ嬢や他の水商売の人らはみんなプライベートは同業に秘密していることが多い。
 たとえ、キャバ嬢一人に伝えてもこの水商売の世界は狭い。すぐに広まるし、店に知られる。
 大切で尊い彼女を亡くしたなんてこと知られるわけにはいかない。
 そんなことがバレてしまえば、利用して、継続してくれている姫らを取られてしまう。
 売上が減ってしまう。
 どうして、売上にこだわるのか?
 ……考えたこともなかったな。
 考える必要もない話だ。ただ、自由になり得る時間が俺にはいらないのだ。
 自由は邪魔だ。無意味だ。無価値だ。
 不必要なものは排除するべきだ。
 自分が自分の本心を知らずにいるために。知りたくないことや現実から逃げるために。
 人の死に動じない。二十歳すぎた俺には逃げは必要なこと。それはもしかしすると、自分の気持ちを理解してしまっているのかもしれない。
 されど、俺は高校生じゃない。誰かに頼れる歳ではない。
 親の優しい言葉は苦しくなる。
 弱虫でちっぽけな俺でも、貫くべきことがある。
 大切なあいつのことをこの業界の奴らに言わないということだ。
 真美以外の他の奴らにこんなことバレていない。大切な人がいただなんてこと。
 病に体を蝕まれ死んでしまった彼女を冒涜されたくなんかない。
 水商売の世界では、どんな言葉でも面白く出来たもの勝ちだ。どんなに不名誉なことでもプライドが傷つこうとも姫を笑顔にさせることが大事だ。
 あいつをネタにして、笑いにするのは俺が許さない。感動だとか感涙だとか、エモいだとかそんなもの俺は許さない。
 守るんだ、俺が。
 守らなきゃ、いけないんだ。
 このエモを求めるクソみたいな現代から、守らねばならない。
 仕事も終わり、今日はアフターを無しにした。
 そいつがいると確定したからだ。
 先ほど、他のホストを指名している姫が見ない顔を見たと言っていた。
 その人は、ロングの髪に濃いめのメイク。可愛くてスカウトしたいそうだ。その姫もまた水商売をしている。
 キャバクラの嬢らしい。簡単に額を出してくれるから俺もまたその店に行くことになってしまったのは面倒だが。
 次からは、俺を指名してくれるらしい。また売上が上がったと言える。俺も実際、爆弾くらいするので人のことは言えない。
 いい女がいたら、その人に変更するだろう?それは、女も同じだ。
 この世界は、お互いの闇を傷を舐め合いながら、その癖それを隠しながら生きている。
 性行為に愛はない。哀の方が多いだろう。
 夜職を憐れむ学生は多い。しかし、大人は性の消費としてこの世界を好む。
 若くて綺麗な奴らが多いこの業界で、大人の女も男も遊び道具として利用する。
 この世界には、深い闇を嬢やホストに与え、汚い喜びを客に与える。
 汚れているのは、きっと元からだ。
 こんなことしているのに、警察がバックにいる。実際、警察もくるし、地下アイドルなんかもくる。
 一度抱いたことがあったな。さすが、アイドルなだけあってスタイルもいいし、何より欲望に飢えているのだから人が褒めない部分を褒めるだけですぐに抱ける。警察の女はちょっと色々、話しずらいし、やりずらい。法を振りかざされたら終わりだし。しかし、アイドルとあまり変わらない。
 大抵の女は、恋愛ごとの基礎とも言えるが、人が褒めない部分を褒めることで惚れさせる。それを何度も繰り返すことで本当は何を言って欲しいのかを知る。伝えることで、売上につながる。
 心理学をもっと学べば、もっと売上が出るだろうか。
 今の売上に不満はない。生活する上で、有り余るほどの金が毎月入ってる。
 慢心するより、精進した方がいいのだろうか。
 そこまで本気でこの仕事をしているわけじゃないけど。ただの暇つぶしだ。
 明日の大学はどうしようか。またサボろうか。そろそろ単位もやばいから、行くべきかもしれない。
「輝、この後飯行くけど、どう?美味い店があるらしい」
 隣には、あまり話したことがないホストもいた。
「この人は」
「あぁ、そうか。まだ、紹介してなかったな。クリアって源氏名。来月からは、バンバン入ってくれるんだ」
 挨拶くらい一人で済ませておけよと言いたいところだが、まだ経験も浅いらしくこの店が初めてのホスト経験だそうだ。
 酒の飲み過ぎで吐いて、それでもまた飲むことになると彼は知っているのだろうか。
 胃液を感じる頃にはもう染まってしまっているこの業界で。
「まだ、社員じゃない?」
「はい、まだ社員じゃないですけど。でも、もう指名の子がいます」
 少し思い出した。以前、クリアは俺のヘルプで隣にいたことがあったっけな。
 あの時はまだ新人で光につけと言われてきたから、名前も何も知らなかった。挨拶はしても、ろくに話すこともなく別の席に行ったので印象が薄かった。
「もう指名の子がいるのか?早いな」
 まだ一ヶ月も経っていないだろうに。
 俺が、一ヶ月目の時は喋れなかったし、指名の子もいなかった。
 この子は売れる。そう直感が働いた。
「じゃ、行こうか飯」
 光が俺の目を見て察していた。この人の洞察力は見習いたい。
 三人で、クリアが行きたいと言っていた肉の店。いい店を光が知っていた。仕事で酔いもあるから、歩きたくなくてタクシーで向かう。
 そんな遠くないし、むしろ徒歩圏内だから、使う意味は正直ない。
 でも、実際、お金を使う機会がほとんどないからこんな使い方くらいしか思いつかないのだろう。
 こんな使い方しても光にとって安いのだと思う。
 タクシーから降りると、汚れ切った夜の街の空気を吸い込む。
 酒の酔いが少し落ち着いた。
 今もまだ酒に潰れている社会人が周りにはいる。
 さすがに三人でいれば、声をかけてくる奴なんていないだろうけど。
「拓実?」
 その声にゾッとする。新規できた嬢が言っていた予想は当たりだ。
 ロングで、メイクの濃い女。
 振り向いてみれば、確かにそいつはいた。美波だ。
「知り合い?」
 光がいう。めんどくさいことになった。しかも、源氏名じゃないから本名がクリアに知れたわけだ。光は店のリーダーだし、本籍を預けた相手でもあるから本名を知っている。
「えぇ、まあ。先に行っててもらえます?」
「了解。じゃ、先に行くから、店のURL送っとく」
「ありがとうございます」
 クリアと二人でスタスタと行ってしまう。
 まさか、どうしてここで会ってしまうのだろうか。
「なんか雰囲気変わったね」
「美波さんこそ、雰囲気変わったじゃん」
 美波さんは、あいつのお姉さんで三つ年上だ。
 あいつが、病を患い入院した頃に出会った。二人で会って話す事もよくあった。
「会社じゃ、メイクも薄くしなきゃいけないからね。香水もつけれないし」
「マナーだししょうがないんじゃない?」
「そうなの。だから、こうやってたまには息抜きみたいに豪遊してる」
 人を亡くし、辛いのは家族の方だろう。美波が変わったのはきっと、あいつを亡くしてからだ。だから俺は、いまだに泣くことはなかった。
「いいと思う。それで、後ろの人は?」
 さっきタクシーで見かけた時も二人でいた。
 とてもあいつにそっくりな女子だ。
「会社の後輩。ユナって名前。仲良くてさ」
「仕事って、仕事の関係以上にはならないと思ってた」
「そんな事ないよ。私が先輩らしくないのもあるけどね」
「それこそそんな事ないでしょ」
「優しくしてもらってます。厳しいところもあるけど、愛があって」
 なんだか話し方まであいつに似ている気がした。表情もそうだ。全部があいつに似ている。
「仕事、頑張ってるなんてすごいですよ。俺じゃ、まるでできそうにないので、尊敬しますよ」
 社会人なんてものはみんな頑張っている。偉いのは当たり前だと言われてしまう。
 だから、こういう時、頑張ってねとか偉いねとか気安く言うものじゃない。
「二人でなにしてたの?」
 気になったので聞いてみた。
「ホスト行ってた。興味あるみたいでさ」
 あいつに似ているユナは、ホストに興味があるのか。
 ハメてしまうのもアリかも知れない。
 美波には言わず、こっそり持ちかけるのもいいだろう。
「ホストね、ああ言う場所ってほんと高いお金払わせてきたりするから、気をつけてよ?」
 心配してしまうが、俺自身、姫にたくさん高い金払わせて売掛金を肩代わりすることもある。連絡がつかなくなり飛ばれた時は、さすがにイラッとしたが。
「さすがにその辺は弁えていますよ」
 と、小さく笑うユナ。
「よかったら、連絡先交換しません?ホストに興味があるなら、いいお店紹介できますよ」
「ほんとですか?じゃあ」
 と、あっという間に連絡先を交換した。
 なんでもまだ、今年23の歳らしく遊びたい時期で、少し前に彼氏に振られたそうだ。何だか嘘をついているように見える。
 二十三の歳なら新卒で入社したのか。俺の二つ上。そして、美波の一つ上だ。
 ここまで話してくれるなら、簡単に金を払わせられそうだし、抱くこともできるだろう。少なくとも俺は、ユナに興味があった。どことなく俺と似たような気持ちを抱いていそうだなと。
 軽く話も終えたので、離れることにした。
 あまり話しすぎても次に繋がらない。会話の盛り上がったタイミングで切るのがベスト。
 URLの店に到着すると、クリアはもう酔っているのか俺に抱きついてきた。
 こいつ、よく店ではこんなことにならなかったな。
 光が手を振るので、俺の隣にクリアを座らせた。
「さっきの二人、連絡先交換して店来てくれそうです」
「二人とも?」
「いや、多分一人ですね」
「お前は、人の感情を察する能力ずば抜けてるよな。お前がいなかったら、俺の指名の子も指名しなくなってたと思う」
「褒めなくていいですよ別に」
 あなたの洞察力に劣っているので。
 すみませんと、店員に声をかけてハイボールくださいと頼む。
 おしぼりをもらうと、手を拭いて三角形に三回ほど折り、端に置いた。
「ホストがバレるぞ」
「今、この辺で飯食う人、大抵はホストとかでしょ?」
 今更気にしない。ただの同業者だ。
「まぁ、そうだけどな」
 酔って黙り込んでいるクリアを視界の端に、口を開く。
「明日、大学行くんで、少し早めに帰ります」
「そうだったな。お前、大学通ってたな。進路どうすんの?このままホスト続けてもいいと思うけど?」
 親身になってくれる光にはとても感謝している。
 この人がいなければ、今頃死んでいてかもしれない。あいつの跡を追って自殺とか有りえたと思う。
 焼けた肉を光の小皿に置く。もう一つの焼けた肉を勝手にもらう。
 ハイボールが届いたので礼を伝えてから、飲む。
「まだ決めてないです。ホスト続けるかどうかもわからないですね」
「そうか」
 今までも、大学卒業すると同時に辞めた人もいた。大学中退して、ホストに専念すると言って一ヶ月で飛んだ人もいる。
 この店ができる前からもやめると伝えればちゃんと辞めさせてくれるから、店としての評価は従業員から高い。
 面倒なホストもいるし、言葉がきついホストもいるけど、結局今はみんなやめていない。
 ホワイトな会社と言える。居心地も悪くない。
 だけど、母親には言ってないし、お金の出どころがわからない以上変な仕事についてないか心配に思うだろう。
 数ヶ月前の母の日に久々に実家に帰り、高いシャンパンを持って帰って飲んだ時はさすがに怪しまれた。
 バイト掛け持ちして母さんと飲みたくて買ったんだと伝えれば、渋々だった。多分、まだ怪しまれている。
「親にバレたらまずいんで、就職すると思いますね」
 それに、もう一つ。指名してくれるようになり、お金もたくさん入り車校に行き、納車した車で実家に帰ったことがあった。一括で買うには馬鹿みたいに高いその車で帰ったせいで、どうやって買ったのかと問い詰められたこともある。
 父親は、小さい頃に家を出て行ったきり、会うこともなくて、生活も貧しかった。
 大学辞めて就職して購入したわけでもないので、大学の友達の親がこの会社の人でお願いしてくれたと真平な嘘をついた。
「親にバレちゃいけない理由でも?」
「そりゃあ、やってほしくはないでしょ。世間体とかありますよ。その人の子供、夜職やってるみたいって噂流れたら大変ですよ」
「俺は流された」
「……あんな大々的に広告流していればバレますよ」
 トラックに広告貼って走っていれば目に付く。
「親との関係は?」
 気になったので、軽く聞いてみる。
「良好だよ。元々、親も夜職の人間だからな」
「え?そうなんですか?」
「前の店、あれ親父の経営だからな」
「……知らなかった」
 だから、若いうちに店を任せてもらえたのか。今、納得した。
「まぁ、就職するならするで頑張ってくれな」
「ありがとうございます。たまに遊びに行きますよ」
「逃さんけど大丈夫そ?」
「飛ぶことはないので安心してくださいよ」
 軽口を叩き合う。
 仕事終わりのたまにあるこの時間が俺は結構好きだった。

 昼間、大学に向かった。
 タクシーがあるので移動は楽だ。みんなみたいに電車や車を使わなくていい。
 車を使うと車種がバレて金銭的にホスト説流されるので、近くまでタクシーを使うのが主流だった。
 この辺に大学生が徒歩通学するなんてこともないし、別にバレることはない。
 後ろの席を確保する。
 どうせ、俺の知りたいことは学べないし、大した価値はない。
 それでも学校に通うのはきっと、就職活動をより良くするためだけ。いい会社に入ることを望む母さんの言葉を思い出す。
 やっぱり俺は、ホストをやめてちゃんとした職に就くべきなのだと思う。
 そんなことを片隅に、昨日出会ったユナとの連絡は早いペースで続いている。
 普段、女性と連絡先を交換しても後でブロックされることだってあるのに、よくもまぁ、連絡を続けてくれるものだ。
 どうして、ホストに興味があるのか真意を知りたいが、それが地雷の可能性もある。
 この歳の女どもは地雷が多い。というか、ホストに来る女が地雷だ。そんな奴らの相手をするのだ。触れぬ神に祟りなしだ。
 ちょっと可愛いといえば、どうせ本気で思ってないだとか、あの子の方が可愛いくせに嘘つかないでとか。キリがない。
 女という生き物は面倒だ。だから、先に何が可愛いのか物体を入れてから伝える必要がある。
 例えば、その服着ている子可愛いのに滅多にみないよね?〇〇ちゃんが着てるとやっぱ可愛いよ。みたいな感じだ。
 元から可愛いのは当たり前で、その可愛さを再認識するような使い方が一番無難だと思う。
 実際に今もユナに対し、そんな使い方でLINEをしている。
 すぐに喜ぶ彼女の文字を読めば、なんだかあいつとは似ていない気がした。
 あいつはこんなチョロくないし、遊ぶこともない。いつかは遊ぶかもしれないけど、少なくとも死ぬまでずっとそんな姿はなかった。最後にあった時の姿は……。止そう。心がもたない。
 昨日の夜に思ったことは、夜の明かりに照らされた幻影だろう。
 いまだにあいつのことを思い続ける女々しい男。それが、飯沼拓実だ。
 ため息をつくと、隣に飯島がきた。
「よ、久しぶり」
 確かに久しかった。
 ここ数ヶ月会っていないと思う。
 いつの間にか冬服に衣替えしている彼を見ると、季節はあっという間に過ぎていくのだと実感する。
 三年目が近づいている。あいつは、東京に雪が降った珍しい時に息が溶けて消えていった。
 雪が見れたことが嬉しいのかはわからない。それでも、死に顔は、微笑んでいるように見えたらしい。俺は見ていないのでわからない。死に顔も、彼女の骨も。
 どうして、若くして癌を患い余命宣告された君が、笑みを浮かべて眠りにつけたのかわからない。あれだけ傷付けられたけど、本心だったのかもしれない。
 抗癌剤治療もまるで受け付けなかった彼女の体は、衰弱していく。抗癌剤の副作用で髪の毛も抜けていったというのに。
 その生々しさにあいつの家族は段々と病室に行くことさえやめた。美波はそれでも週に二回は来ていた。
 あいつが倒れる前に診察で気付けていたなら、こんなことにはならなかったはずなのに。
「お前も、相変わらず遊んでんだね」
 ユナとのLINEをチラッと見た彼がいう。
「飯島に言われたくない」
「俺はこれでも、単位は取ってるし、バイトもしてる。就活だってもう始めてるよ?お前は、今何してんの?もう三年生の冬だしちゃんとしようぜ」
 ちゃんとしよう、その言葉にイラッとしなかったかといえば嘘だ。
 何がちゃんとしようなのか。
「やりたいことなんてない」
「そんな冷たいこと言わないでさ。なんかとりあえず給料のいい会社とかエントリーしてみたら?」
「お前は、やりたい仕事でもあんの?」
 今時そんなやつ珍しい。
 俺はお前らと違ってやりたいことなんてない。
 あいつみたいにモデルになりたいとかそんな大層な夢はなかった。
「あるよ。だからこの大学の授業受けてんじゃん」
 何になりたいとは言わないらしい。重ねて聞く意味もない気がして、それ以上質問することはしなかった。
「俺とお前は違うだろ」
 代わりにぶっきらぼうに吐き捨てた。
「……いや、まぁ、そうだけど。もういい加減、奈々のことばかり考えるのはやめたらどう?」
 お酒があったなら、俺は夜と変わらず笑顔で言葉を返すだろう。
 しかし、寝不足であいつに似ているユナのこともあってそれどころではなかった。
 机を乱暴に叩く。
「お前、二度と名前出すなよ」
 禍々しい気持ちに蓋をすることなく、睨みをきかす。声のトーンが低かったと後で気づく。
 人の死を簡単に忘れられる方がおかしいだろうが。少なくとも俺はあいつの彼氏だった。今もそうだと思ってる。
 大切な人の死を容易に乗り越えられるわけがない。
 カバンに教材を乱暴にしまい、キャンパスを出た。
 来なければよかった。
 後悔した。
 みんな、当たり前に就活して内定もらって就職する。大人になる。
 大人でも子供でもないこんな歳で、相談もできない、悩みは自力で解決しなければならない。誰も真剣に人の悩みを聞かないくせに、反吐が出るような助言をしてくる。
 じゃあ、就活でもしたら大人になるのか?
 夜の仕事を始めてから、みんな子供に見えるようになった。醜く思える。図体がでかいだけ、ただ金を持ってるだけ、欲に純粋で、人を汚す。
 誰も大人なんかじゃない。酒を飲んで、言いたいこと押し殺して、金で買った愛に縋ってる。
 みんなそうだ。
 普通に仕事してる奴が来ると腹が立つ。ちょっとした遊び程度でくるのだから。
 そして、そいつらは言う。『なんで水商売してるの?親の気持ち考えたことあるの?これで得たお金は嬉しい?』出せば出すほどキリがない。
 クソみたいな世の中だ。こんな社会でどうして、貢献なんかしないといけない?
 性に飢えてる女が、性を求める。チヤホヤされてこなかった女どもが寄ってたかって顔のいい男に抱かれたいと願う。呆れる。失望する。だから、お前モテないんだろって。
 でも、その相手をするのがホストだ。
 ライブ後にくるアイドルも似たようなもんだ。顔は全く違うのに、求めているものは同じ。
 誰も変わらない。みんな本当は、何かを求めてる。どす黒く濁ったものをお金という手段を使って求めるものを供給する。
 そして、枯れ果てれば、もう一度くる。何度も盛り上げる。嘘を言う。
 時折、あいつの顔が浮かぶ。虚しくなる。何やってんだろう、俺って。
 しかし、みんな俺の悩みなんかに興味がない。
 そんなものなのだ。俺に興味を持つ奴はいない。需要があるから、くるだけ。ホストがなければ、求められることもないだろう。
 人の死も似たようなものだ。人の死には需要がある。だから、そんな作品が世に出る。
 飯島と同じだ。結局、関係性がないとただその人に起きた出来事の一つ。理解とか、共感とか何一つでわかることはない。
 きっとこんなふうに思う今も誰かが死んで、誰かが生まれて、誰かが傷ついて、誰かが喜んでいる。
 誰かが泣いていれば、誰かがどこかで笑っている。
 それを誰かが知るわけでもない。
 たまに夜の街で泣き叫ぶ女性がいたりする。きっとその人も何かに傷ついて、でも俺たちはそれを知らない。他の人はそれをみて笑うかもしれない。
 誰も、人に興味がない。愛に縋る醜い若者が汚く歪んでいくだけ。
 ただそこに偽りの愛を持って親切にしてくれる人がいるならば、縋ってしまうだろう。偽物でもすがるのだ。
 大人はそうやって食いついた人を利用する。それに気付けないのが若者だ。
 だから、分かり合えると思える醜い若者同士が傷を舐め合う。
 キスをして、もう一度キスを求めて、求められて、抱き寄せて、全てを欲する。満遍なく求める。求められる。抱いて、抱かれて。そこに愛はないのに、愛を感じる。
 やめられなくなる。求め合うもの同士、縋り合う。そこに恋心なんてものは存在しない。
 なのにやっぱり、求め合うのだ。
 その者たちにしかわからない感情。どこまでも深く暗いもの。
 それを今、ユナに求めているのかもしれない。
 あいつに似ているユナに。
 美波のことは頭になかった。
『今から会える?』
 送ってから気づく。ユナは、社会人だ。今、仕事の最中だろう。
『仕事終わりに会お!』
 まさか、ここまで遊びたがりの人がいるとは思わなかった。
『ほんと!?じゃあ、終わったら教えて、近くで待つよ』
『神田の方だから、その辺で!』
『わかった!お仕事終わったらまた教えてね!』
 絵文字もつけて送り返す。
 すると、スタンプを送ってきたのでこちらもスタンプを送る。
 夕方になり、仕事が終わった彼女の近くの日本橋元町のスタバで席を確保する。
 少し歩くことになってしまうだろうけど、職場まで流石に教えてくれなかったのでしょうがない。
 それにまだ親しいほどの関係ではないから、教えることはまずないだろう。
 ホストをしていても、仕事関係は安易に聞けない。同業者でも聞かれたくない人の方が大半だ。
 散々、例に出しているがアイドルなんかは自分から言ってくれたりする。
 承認欲求の強い人ほど自分から言って、褒めてもらおうとする。
 慣れてこれば、アイドルやってる?だよね、そんな気がした!だって、アイドルやってる可愛さ!みたいな。
 人それぞれ、ちゃんと言葉を選ばないといけないから正確なものはない。馬鹿にしていると思われかねない。
 アイドルは、表に立つ前でもバンバン連絡を送ってくるからしつこくてうざい。
 ホストにガチ恋したって意味はない。どの姫にも言える。
 あぁ、でも、姫と同棲する人もいるし、付き合ってる人もいる。たまにヘルプでついた人が爆弾かますこともある。それで、何人か店から消えたし。
 ほんと良くないことする奴もいるんだよな。俺が言えることじゃないけど。
 一回、光指名の子を抱いたことあるけど、よくバレなかったなと思う。
 汚れちまったぜ。笑えないな。
「お待たせ!拓実さん!」
 普段、女と会うときは輝と呼ばれるから一瞬、理解が追いつかなかった。
 そうだ、この人は美波の後輩だし、俺の名前を知ってる。
「いえいえ、よかったら飲みます?カフェラテですけど」
「え!?いいんですか?」
「さむいでしょ?風邪ひいちゃうよ?」
 年上相手にちょっと子供っぽさ出しておけば、母性本能がどうとかで可愛く見えるらしい。
 なのに、どうして俺はあいつとしたデートの時みたいな会話をしてしまうのだろう。
 姫として店に連れ込んで金にしようと思っただけだったはず……。
 違うのか、俺は。
 それから、気付く。素直になっている自分がいる。
 こんなに普通に楽しいと思えたのはいつぶりだろうか。
 夜の窓に映る自分の顔が、自然体だった。
 今の俺はこんな顔ができるのか。
 あいつがいなくなってから、まともに笑ったことはなかった。仕事で笑顔を作ることはあったのに、今は違った。自分でも良くわかった。
「にしても、なんで今日誘ってくれたの?」
 昨日の今日で早すぎるかなと思ったけど、そうではないみたいだ。
「なんとなくかな。美波さんとは親しくしてもらっててさ。ユナさんと仲良くなりたいなって思ったから」
「美波さんって、仕事人間ですよ?どうやって親しくなるんですか?」
「仕事人間なの?あまり仕事の話は知らないけど……。でも、話しやすいでしょ?」
 美波の妹が病で死んだから、忘れたいのだろうとは言わなかった。きっと、誰にも言わないんだろうなと思ったから。
 話を逸らすことにした。
「話しやすいです。すごい怖い人なのかなって思ったけど、全然違いました」
「でしょ?だから、親しくなれたんだよ」
 別にそうではない。ただ同じなのだ。同じように今が苦しいのだ。だから、仕事に集中して逃げ込んで、それでもあいつの死が、記憶が、襲ってくるならば夜の街に出かけようとする。
 人は逃げたいんだ。嫌な出来事から、知りたくなかった絶望から、亡くした悲しみから、必死に逃げ出そうとする。
「似たもの同士だからかな」
 ふと、思う。ユナもまた誰かを亡くした経験があるのなら、俺たちは同じなんじゃないかって。
 しかし、すぐに消した。そもそも美波の後輩ってだけだ。同じような目をしているわけでもない。先輩後輩の関係ってだけだろう。
 もし、同じだったらと期待してしまった自分を悔いた。彼女に何を求めているのか。
 まだ俺は、傷を舐め合いたいのか、と。
「いいですね、そういうの。私は誰とも似てないので」
 めちゃくちゃあいつに似てるとは口が裂けても言えなかった。
「似てない方が良くない?ユナさんにしかないものがあるっていいことだと思う」
「嬉しい。褒め上手だね」
「そんなこと初めて言われた」
 何度も言われてきたけど。
「嘘だよそれは。なんだか、いろんなものを見てきたような目をしてる」
 すぐに言い返せなかった。だから。
「そうかな?」
 と、言葉を待つ。
「そうだよ。辛さとか悲しさとか昨日は見えなかったものが見えた気がする」
 ハッとした。俺は今、ユナに本心で話していたんだと。それが、顔にも出てしまったこと。
 後悔した。
 しかし、このままいけるんじゃないかと思った。
「いつもいつも明るいってわけじゃないよ。たまには苦しくなるし、悲しいこともある。ユナさんだってそうじゃない?」
「そうかも。人のこと言えないね、私」
「棘を感じたわけじゃないし、気にしないで。俺は、聞くよ。辛いこととかあったら。いつでも頼ってね」
 そういうと、彼女はなぜだか目を潤わせた。泣いてしまいそうな顔にドキッとした。
 だけど、彼女はスッと奥にしまってありがとうと優しく告げた。
「夜、何か食べよう?この辺で美味しい店があるんだ」
「この辺美味しい店あるの?」
「あるよ、東京を舐めちゃいけないよ?」
 と、ドヤ顔する。
 本当に子供に戻ってしまいそうだ。カッコ悪い。
「紹介してほしいな」
 その甘える声は、やっぱり遊びたいだけなのだと悟る。
 このままお酒を飲ませれば、間違いなく近くのホテルに向かうことになる。
 ここまでわかりやすい人を俺は見たことがない。
 あいつでさえ、もう少し躊躇いもあったし、恥じらいもあった。
 家に行くって言い出した時、十八のピュアな俺には何言ってんこいつ?終電なくなるぞ?はよ帰れ!とさえ思っていたのに。同じ十八歳なのに全く違った。
 人は変わる。悲しいね。
 結局その後、彼女がリードしてくれたし。初めてが彼女でよかったと思う。その頃はまだ、癌も知らなかった。
 地元の奴らには遅いと言われたけど。それでもよかった。彼女とできたのだから。
 それからはどうしたら、気持ちよくさせられるかたくさん勉強してシチュエーションも学んだ。
 二度目の時には、彼女も楽しそうだった。
 きっと愛でるようなその瞳に吸い寄せられたんだ。
 愛を感じたんだ。
 あれが愛だと思った。
 耳に触れる指先も、求めるように腕を伸ばして、顔を近づけて唇に吸い付いて。
 愛のない性行為に楽しさはない。義務的で虚無である。
 想像する。ユナとはどうなるだろう。彼女にこんなにも似ているのだ。愛を感じるだろうか。
 お酒、飲ませよう。ほぼ確定だが、やっぱりお酒を入れてからが本番だ。
 近くまでタクシーを使い、店に入る。以前、光が教えてくれたお店だ。
 何度か行っているので、顔を覚えてもらっているし、個室を予約している。
「な、なんか、高そうだね」
 年上のくせに行ったことないのか?金銭的な負担がでかいから仕方ないか。
「ワインが好きだって聞いたので。ここ、肉料理がメインなんですけど、ワインも絶品で」
「行ったことあるの?」
「男友達が、紹介してくれたんですよ。美味しいから、是非食べて欲しくて」
 個室に案内され、彼女の正面に座る。
 おどおどしている彼女。予約時に、金額が書かれていない品書を出してほしいと頼んで正解だった。
 スタッフから渡される品書を見ると、彼女はいう。
「値段がかいてない……。絶対、高いよね、ここ」
「大丈夫ですよ。ここ、気持ちだけでも高級感を味わってほしいって店なので。少し見栄を張りたくなってここにしたんです。だめ、でした?」
「あ、いや……」
「それにここ、口コミでも評判いいんです」
 スマホをとり、この店の評判を彼女に見せる。
「本当だ」
 これで、彼女も安心して楽しんでくれるだろう。
 実際は、ちゃんと肉もワインも高いけど、安いシャンパンより高くないから問題はない。社会人が付き合い、デートに選ぶくらいのランクだし、ちょっと貯金をすればいけるところだと口コミに書いてあった。
 どうせ、初任給なんて十八万程度なのだから、三ヶ月以上は貯金しないといけないけど。
 新卒がすぐにデートなんか行かないだろうし、気にしたら負け。
 そうか。この子は新卒なんだよな。心理的負担をもう少し考えておくべきだった。
「気にせず、食べて。バイトしてるから、お金に余裕はあってさ」
「大学生って基本、バイトよね」
「そうだね。みんなバイトだね」
「でも、ここでパッと使っちゃっていいの?」
「問題ないです。バイト頑張るだけなので」
 今回、金額払ってもそれなりの額が残るので問題ないですけどね。
 普段から使わないし、光が夜飯奢ってくれるし。
 その分、食べすぎるので運動しないといけないのはネック。
 雰囲気が良ければ、正直ホストはなんでもいいと思うけど、俺も光もそうじゃない。アイドル売りみたいなところがあるから少しでも太れば人気も落ちる。だから、体重を落とす。
 と、言いながら肉を食べるわけだけど。まるで、ダイエットするといった女子が翌日にはカロリーの高いものを食べている光景に似ている。不覚だ。あいつでさえ、そんなことしなかったのに。そもそもダイエットする前に体重が落ちてたらしいし。癌の前兆を見落としたんだ。
「昨日夜の街にいたのはなんで?理由聞いてもいい?」
「あまり聞くものじゃないと思うけど?」
 美味しそうに食べていた彼女に見惚れていたが、突然の投石に対応が遅れた。
 適当に誤魔化したかったが、昨日は明らかにホストに見えるスーツを着ていたので無理だろう。
「ほら、そういうの着るタイプじゃないでしょ?」
 誰と勘違いしているのか。俺は、ここ2年以上ずっとこんな服で接客しているんだが。他の男に面影を寄せているのか。
「まぁ、ちょっと空気感を合わせたっていうか。他に二人いたでしょ?あいつら、ホストやってんだよ。それで、俺も似たような服着せられてさ」
 薄々気づいてくる。俺がホストやっていること。この人は、店に来ることはないこと。会話の中で理解する。
「ホストと一緒に出歩いているの?」
「それは悪いことってわけじゃないでしょ?友達がホストやるなんて良くある話。大学生にもなればあるよ」
「でも」
「確認だけど、ユナは、ホストに行ってみたいんだよね」
 俺を誰かと勘違いしている。そして、その勘違いを俺に押し付けている。それがわかっただけで十分だった。
 この後、一緒に夜を過ごす必要もない。そんな必要はないのに、俺は……。俺が、ユナと一夜を過ごしたい。あの頃のあいつをもう一度知りたい。本当はどう思っていたのか。
「……そ、そうだね。ごめん。忘れて」
「いいよ。たまに言われるから。印象は良くないよね」
 直接的な言葉は今まで何度も聞いてきた。どうして、ホストやってるの?お金に困ってるならちゃんと就職しなよ?とか。
 何かに困っているというのなら、きっと愛に飢えているというだけ。愛が欲しいだけ。
 でも、みんなそうじゃないか?その形が少し違うだけ。職が違うだけ。アイドルをやれば良く思われて、夜職をやれば悪く思われる。
 ほんの少しの違いなのに、愛を求めただけなのに、こうも印象が変わってしまう。
 そんなものわかっていたはずなのに、あいつに似ているユナに言われるとダメージを喰らう。
 昨日の今日で、気持ちが揺らぎすぎている。
 焼けた肉を小皿に置く。
 思えば、昨日も今日も肉を食べるなんて嫌な話だな。太るんだが?
 スマホに着信が届く。
「ごめん、ちょっと」
 光からだった。
 まだ、ユナといるということは伝えていない。
 仕事前に飯でも誘うつもりなのか。
「はい、お疲れ様です」
 個室から出て、場を離れる。
『おう、お疲れ。今日さ、俺、いないから回してもらっていい?』
 それは、つまり俺に店を任せるということ。今までも少しあったことだけど、今日は厳しい。
「有難いお話ですが、申し訳ないです。今、昨日連絡先交換した女の子と一緒にいるので」
「会うの早っ!流石にすごいぞそれは」
「いえいえ、売上のために」
「店のこと考えてくれてるのは嬉しい。まぁ、今回はしょうがないか。社長に任せることにする。お前は今日、来なくていいよ」
 何度か俺が、そのまま店に来なかった事例があるから配慮してくれたのだと思う。
 行為を行ってから、店に誘うこともあったので意外と理解してくれているのだろう。
 社長ということは、光の父親ということか。
 あの人、酒強いし、めちゃくちゃ飲ませるし、最悪なんだよな。
 ただ、シャンパン開けるためのコミュニケーションが上手いので売上は常にトップクラス。
 社長になったことで、ホストという座にはいないので、接客はしてない。本来はいけないこと。
 たまに一緒に飲む程度で、最近はもうホストの育成、メンタルケア、会社の方針あたりを行なっている。
 それがなければ、今頃俺は続けられていないだろう。アドバイスがわかりやすいし、実践しやすい。自然とコミュニケーション能力が上がっていく。
「申し訳ないです。売上につなげるんで」
「おう、頼むわ。俺も今日は、女の子と一日飲むことになってるから」
 お互いそういう日もある。そういう時の客の入りは最悪だけど、クリアみたいな努力家が評価されるにはいいタイミングだろう。
 他にも売れそうなホストは何人かいるし、気にかける必要もない。ましてや、社長が見てくれるなら問題は一切ない。
 個室に戻ると、いつの間にかめちゃくちゃ高そうなワインをユナは注文していた。
「ユナちゃん、飲むねぇ」
 つい、ホストのテンションで言ってしまった。
「どうせ、奢ってもらうので!」
 酒が入ったせいで少し子供っぽくなったのか。
「ほら、テメェも飲メェ!」
 ワインなんかそんな好きじゃないのに、彼女はグラス一杯に入れてきた。
 一気飲みするためのお酒じゃない。
 彼女のグラスにもワインを一杯に入れてそれを一気に飲み干す。
 おい、俺、酒強くないんだが?一気したくないんだが?
 こんな高そうなワインをどうして、その辺の安いお酒と同じ勢いで飲めるんだ。
 一口飲んでみる。
 ……あれ、美味しいぞこれ。
 高いからこそ上品な美味さというか。いや、それより。
「潰れるぞ?」
「いいのいいの。もう別にどうでもいいの」
 投げやりだなと思う。
 よくみるタイプの女だ。
 いるんだよ、こういう人。人生諦めて、誰かに求められたら、愛もないのに行為をする人とか。
 破滅願望というかそれに似ているというか。
「私はもう、どうだっていい」
 普段なら、会話の一つとして返せていた言葉が、今は出てこなかった。
 あいつも死が近づくにつれて自暴自棄になった。どうだっていい。どうでもいい。消化もできない体でお酒を飲ませろとか、甘いものが食べたいとか。もうこなくていい、会いたくない、元からあなたのこと嫌いだった。エトセトラ。
 結局、『もうどうでもいいの。そもそも私は、元からあなたのことが嫌いだったの。頑張って付き合ってあげただけ。もう会わないで』それが俺に告げた最期の言葉だった。
 そうだ。あれから、美波が亡くなったことを伝えてくれた。葬式に出る資格もない俺は、行かなかった。
 嫌いな奴が会いにくるなんて拷問だ。
 会わないほうがいい。墓も行かない方がいい。
 そうやって、一度も彼女のお墓に手を合わせたことはなかった。
 行くこともしなかった。
 行かない理由を作った。ホストをしているのもその類だ。車を取る事にしたのもその一つだ。親に会いに行ったのも、親孝行なんかじゃない。無性にその場から離れたくなっただけ。
 そのくせいまだにあいつを忘れられないままでいる。
 そして、俺もよく思う。こんな人生、どうだっていい、と。
「ほら、飲め。飲んで忘れろ」
 一度も忘れたことなんかないくせに俺はそんなことをいう。
 たっぷりとワインを注ぐと彼女はまたそれを飲み干した。
 十分食べたのか、ワインを堪能したのか帰ろうと彼女は呂律の回らぬ言葉を発する。
 先に会計するから水を飲みなと促すと今度は水をごくごくと飲み出した。
 会計をするとありえないくらい高い額に面食らう。
 食事代でこんな出したことないんだが……。こんなことなら、ここを選ばなければよかった。
 いいや、ユナを店に連れて行って必要経費だったといえば許してもらえるかもしれない。わずかな可能性を信じて見ようか。
 とりあえず、払うだけ払うと個室に戻る。
 酔い潰れている。これは、もうホテルで寝かせるしかない。抱くことはないな。
 どうせ、起きるのは朝だ。
「ほら、いくぞ」
 トロンとした目で俺みる彼女。やっぱり子供みたいに見える。なんだか甘えたそうな顔をしている。
 抱いている最中に吐かれたら嫌なんだけど。
 首を縦に振るとおぼつかない足でふらふらと寄ってくる。
 腕にしがみつくと手を貝殻繋ぎしてきた。
 ……したいのか。
 抱くか抱かないかをずっと右往左往している。
 悩んでいる。この子としてしまってもいいのだろうか。
 ダメだと思う。この子にもきっと言えない傷があって、性を使って逃げようとしている。
 純粋そうな彼女にこんなことしていいのだろうか。
 破滅的な人はこれまで何度も見てきた。何度も抱いてきた。
 でも、彼女は……。
「しよ」
 小さく彼女がいう。
 やっぱりどこの誰とも変わらぬ破滅的な子だ。
 ゆっくりと歩を進める。
 冬の風が痛い。
 心が痛い。
 鼻がツンとする。
 目が沁みる。
 せめぎ合う葛藤を置いて、近くのホテルに着いた。
「行く?」
「……うん」
 小さく微笑んでホテルに入る。
 少し酔いが覚めた彼女に水を飲ませる。
 コンビニで買ったサワーを二人で開ける。
 乾杯と缶を当てる。
 一口飲むと彼女が誘導してくる。
 もしかすると彼女はリードしたいタイプなのかもしれない。
 この子に彼氏がいたら、きっとデート中もリードしてくれるのだろう。
 一緒にシャワーを浴びる。キスをして、愛撫をした。
 彼女もまた求めるようにキスをする。
 それが、一段落すると待ってるねと、彼女は先にベッドに着いた。
 バスローブを見に纏う姿は、夕食を取った時のスーツ姿とは違って色気のあるものだった。
 火照る体が隣り合い、座る。
 お互い見つめあって、恥ずかしくなって目を逸らす。そこにいるのは、ユナではなくあいつに思えた。
 また目を合わせる。彼女の顔が近づく。唇を軽く舐めて、目を閉じる。優しく触れる。目を開ける。また、唇が触れる。何度も触れて、抑えが効かなくなって唇の中に突っ込む。
 後頭部に触れて、離さない。逃しはしない。もう、一人にしないで欲しい。
 押し倒して、キスをする。愛撫をする。
 行為に及ぶ。
 あいつと行為をしている気分になった。
 あいつはもうこの世にいない。どこにもいない。あの世なんてない。
 なのに、今ここにあいつがいる気がした。
 もう一度、愛を感じた。
 愛している人の面影がそこにはあった。
 何度も体を重ねる。触れた体があいつだ。
 俺はあいつを思いながら。
 彼女もまた小さく俺じゃない誰かの名前を言った。
 彼女もまた誰かを思いながら。
 そうだ。きっと、みんな誰もが誰かと重ねて愛を感じている。
 哀れな行為だと思う。
 間違いであると思う。
 許されないことだと思う。
 でも、今この瞬間だけは愛を感じた。
 あいつが、俺のこと嫌いなわけ一切ないじゃないか。嘘だとすぐに気づけばよかった。後悔がドッと押し寄せる。
 なぁ、会いたい……。
 事が終わり、シャワーを浴びにいく彼女。
 幻想は終わり。重ね合う体も、面影も消えていく。
 ユナはあいつじゃない。
 そして、俺もユナの誰かじゃない。
 哀しみが残る。憂いが残る。虚が残る。
 あいつは、あいつしかいない。
 今までで初めての経験だった。
 誰かに面影を重ねながらする行為。
 そんなものしたことなかった。
 誰かが求めた行為に流されるだけ。自分の意思はそこになかった。
 今は確かに、意思がそこにはあった。
 トイレで用を足す。彼女がシャワーから出る。次に俺が入る。
 鏡に映る自分と目があった。
 どうして、泣いているのだろうか。
 あぁ、そうか。ずっと苦しかったのか。
 あいつに言われた言葉に傷ついて、その言葉を最期に会話は無くなって、言いたいことも言えずに死んでいった。嘘だと気づけなかった。自分もあの頃は、余裕なんてなかったのだと知った。
 憐れだなと思った。今の自分も、あの時、それでも気持ちを伝えなかった自分も。
 今更気づいた。俺はもうとっくに汚れちまったんだと。
 会いたい。でも、会っていいのだろうか。
 嗚咽が漏れる。
 ベッドにはユナがいるのに。
 それでも構わなかった。
 ごめん。もっと早くいうべきだった。
 君の言葉を鵜呑みにしなきゃよかった。
 迷惑になるくらいなら会わないべきだと思ってた。だけど、違う。無理矢理でもあって、自分の気持ちを伝えるべきだった。
 泣いている今、許されるわけじゃない。
 もう遅いんだ。
 全てが遅い。
 親を不安にさせて、飯島を傷つけて、美波を利用して、ユナに会って、こんなことして。
 君の本音から目を背けて、弱っていく姿から逃げ出した。
 逃げる理由が欲しかったのかもしれない。
 弱っていく姿を見ていること、どれだけ話を盛り上げようとしても無理だったこと。一緒に笑い合うことができなかったこと。
 自分には彼女の隣にいる資格もないんじゃないかって思うようになったこと。
 いいきっかけだったんだと思う。
 だから、そのまま会うことをやめた。
「ごめん、奈々」


 それから、一ヶ月が過ぎた。
 俺は、月末ホストをやめた。光はまた飯でも行こうと誘ってくれた。クリアにはたくさん教え込んだ分、嫌うと思ったが何故だか悲しそうだった。
 就職を真剣に考える事にしたのだ。
 あの時からずっとホストを続けられなかった。偽りの笑顔さえ作れなくなっていた。
 光にはたくさんお世話になったし、またどこかであって仕事で得たお金で飯でも行きたい。
 ユナからLINEが来た。
 この後会おうという話だ。
 あの一夜以来、何度かあったけど、彼女と体を交えることはなかった。
 しかし、彼女は行きたい場所があるとそこを指定してきた。
 どう見ても高校なのだが仕方ない。
 23区の高校でよかったと思いながら、車を走らせる。
 名古屋より東京の方が運転しやすいのはやはり東京の方が都会だからだろうか。
 のちに知ったのだが、彼女は東京の学校に進学し、就職活動を機に他県に移動したそうだ。
「お待たせ」
 先に来ていた彼女は、今日もスーツ姿だった。
「お仕事ですか?」
「仕事終わり。今日は残業せずにきた」
「ここ、人いないんですか?」
「休みの日だからね」
 部活くらいやっているだろうと思ったけど、何せ世間ではもう年末の気分だ。
「時間の流れは早いな……」
 思わず声が漏れる。
「だね」
 校舎に入っていく彼女の後ろをついていく。
 田舎出身の俺は、都会の学校も似たようなものなのかとがっかりしていた。
「この学校でね、彼に出会ったの」
 一夜を過ごしたあの日、男の名前を言ったその人だろうか。
「高校三年生の時から五年くらい付き合ってた」
「……」
 長い間付き合って、別れたから遊び始めたとかそんなところだろうか。
「けどね、事故で死んじゃったの。彼は何も悪くなかった。信号を渡ってるところを六十代の後半の女性の車に轢かれて死んじゃった」
「……」
 あまりにもディープな話に言葉が出ない。
「青信号渡れば、問題ないと思ってたのにね。結婚も考えてたんだよ?もう23歳だし。会社員やってるし、彼も頑張ってたし。支えたいなって」
「……」
「やけくそになって、遊んじゃえって夜、美波さんと街に出たの。でも、あなたに会った。彼にとても似てた。雰囲気も顔も。勘違いしたの、彼はまだ生きているんだって」
 三年生の教室のA組。ユナは、机を指でなぞるとため息をついた。
「全く違うのにね。ここで会った彼は、明るい人だった。死ぬことなんてないんじゃないかってくらい。彼と話すうちに気があって、趣味があって、話が合うの。会えてよかったって思う。一生、一緒がよかった。結婚したかった」
「……」
「知りたかったでしょ?私とした時、彼の名前出しちゃったから」
 別に興味なんかなかったけど。
「そっか。辛いな、それ」
「あなたは?私のこと思ってしてくれた?してないでしょ?誰を思ってたのかいってみたまえよ」
 なんて口調しやがる。奈々と似たようなこと言うな。
「……」
 奈々を思っていただなんて、誰が言えるだろうか。
 でもまぁ、お互い誰かを思ってしていたなら、おあいこか。
「モデルになれるような容姿や顔を持った彼女が、癌で死んだ。ユナと似てたよ。初めて、あんな最低なことしたよ」
「……そっか、似たもの同士だね」
「似てない。俺は俺だし。お前のことなんか全く知らない」
「今、教えた」
「それ以上のことを知りたいとは思わない」
「なんで?」
「……なんでって。失うだろ。出会えば、その数の分だけ人は死んでいく。俺は誰かが死にゆく姿を見たくない」
「私は死なないよ?」
「死ぬね。みんな死ぬ。俺もお前もみんな死ぬ。どこかでいつか突然命を奪う。奪われる。ユナといて、逆に俺が死んだら?結局、死んでいくんだよ」
 彼女の前ではずっと本心だ。
 素直になれてしまう自分が恐ろしい。
「死ってそんなに怖い?」
「怖いさ。今までろくに人の死を経験してこなかった。生きてきて、こんな早いタイミングで同じ歳の誰かが死ぬとは思わなかった」
 二十歳になることもなく病を患い死んだ彼女。
「そりゃ、そうだよ。どんな出来事も突然だよ。私たちは当事者じゃないから」
 当事者には、突然の出来事だとは思わないのかもしれない。予兆があったりするのかもしれない。
「それをどうして、教えてくれないんだろうな。心配かけさせたくないとか、そんなのどうでもいいのに」
「君は、本当に誰にも死んでほしくないんだね。私はてっきり、誰が死んでも動じない人なのかと思ってたよ。その裏返しだったね」
 図星だ。返す言葉もない。
「人の死は、耐えられない」
「3年くらい逃げてきてどうだった?気持ちは晴れた?」
「まさか」
「それでいいと思う。私もそう。だけど、それを理由にいつまでも弱ってちゃいけない。亡くなったこと受け入れていくしかないんだよ。後追いなんて絶対にダメ。あなたは、後追いしそうで怖いよ。絶対にダメだよ。死んじゃダメ。生きて、彼女に今を聞かせてあげなよ」
「……でも、この世にはもういない」
「どこかにいる」
「いない」
「いるよ」
「いないんだよ!いるわけないんだよ!死んだ。もう、この先会えない。思い出も作れない。思い続けるだけ。後悔が残るだけ」
 最後に彼女の言葉を否定していればよかった。
 それでもって。ずっと君をって。
「あなたはずっとそうやって、可哀想な人でいたいの?」
「……」
「ダメだよ、それは。幸せを手に入れるべきだ」
「哀れでいいさ……。可哀想な人で」
 刹那、彼女のビンタを食らった。
 思考が真っ白になる。
「目、覚ましてよ。だったら、なんでホストやめたの?なんで就活してるの?可哀想でいたいなら、ずっとホスト続けて就活から逃げていればよかったじゃない!」
 僕は彼女にホストをやっていることを伝えていない。
「何で」
「あなたの電話聞こえてた。だから、あんな高いワイン頼んだ」
 ちょっと怒るのやめろ。
 このタイミングでいうことじゃないだろ。
「でも、やめたんでしょ!?やめた理由があるんじゃないの!本当はもう、わかってるんでしょ!」
 彼女の目は、真剣で見透かされているような気分だった。
「……そう、だな」
 ぎゅっと抱きしめられた。
 温かい愛を感じる。
 愛ってこんな感じなのかな。
 子供でも大人でもない俺にはわからない。
 それでも、濁ったきりが少しずつ晴れていくような感覚だった。
 年明け、美波にお願いしてお墓の場所を聞いた。
 彼女の眠っているお墓に花を添える。
 なぁ、あの時の言葉、言い返していいか?喧嘩になっちゃってもいいか。
 目を閉じ、手を合わせる。
 自己満だ。都合がいい。だけど、少しくらい愚痴らせろ。
 俺は、あれ結構きつかったんだぜ?喧嘩した時だってそんなこと言わなかったのに、嫌いってさ。
 おかしいじゃんか。俺とお前ってこんなんだっけかって思ったよ。
 まぁ、そのさ。本音がどうであれ、やっぱりあの言葉は信じられない。
 俺の一方通行の思いを伝えていい?
 お前から言いたいことあるなら、先にどうぞ。
 でも、言わないでしょ?言えないっていうか。
 いつもこういう時、俺からいうもんな。
 その後でまた聞かせてよ。答え合わせしようよ。
 夢に出てきてくれてもいいぜ?それか、この墓の前に出てきてもいいぜ?後ろから泣きついてもいいぜ?
 あぁ、でも、お前が死んでから俺、結構汚れちまってさ。
 抱きしめたりとかよりも、泣かせるだろうし、ビンタの十発くらい食らってやるから。
 だけど、言うよ。やっぱり俺は。

「それでもずっと好きだった」