インターホンが鳴る音で、私はふと目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。大きく伸びをしてから、未だにやまないインターホンの鳴る方へふらふらと歩みを進める。

「……はあ〜い、どちらさま」

 ドアを開けるとそこには、端正な顔立ちの青年が立っていた。年は私と同じくらいに見える。どこかで見覚えがあるような気がした。どこだっけ……。

「レンタル彼氏のリョウですけど。宮崎悠依さんであってる?」

「レンタル? は……え……? 何ですか?」

「ってか酒くさ……酔った勢いで頼んだパターンかよ……」

 青年がわかりやすく顔を顰める中、私はまだ理解が追いついていない脳内で必死に考える。一体私は酔った勢いで何をしでかしてしまったんだろう。

「あー、とにかく中入らせてもらうんで。ここにきた以上はタダで帰るわけにはいかないから。一夜分の金はもらうからな」

「えっ、中に? な、なんですか、金って」

 私は思わず動揺してしまって、酒で嗄れた声のまま声を上げる。青年はやはり不機嫌そうな顔をしてこれ見よがしなため息を吐く。言葉には出さずとも、いかにも「めんどくさい」という感情を顔面に貼り付けている。
 貼り付けていながらも、青年はずかずかと部屋の中へとあがっていく。

「あ、ちょっと、なに勝手に」

「だから、俺はサイトで指名されたからきてるわけよ。どうせ酔っ払った勢いで間違ってボタンでも押したんだろうけど、俺もここまで来るのに金と時間を要してるわけ。タダで帰るわけにはいかないからさ、とりあえず上がらせてもらうって話。おーけー?」

「お、おう……う……?」

 酔いが回った頭でとりあえず返答し、いやいや待て待てと思いながらも男を部屋に上がらせてしまった以上は仕方なく、私はその後を静かについていく。
 彼は部屋のソファにどかっと腰を下ろすと、立ち往生している私をチラリとみてから「とりあえず座れば?」と顎で自分の隣を指した。一応この部屋の主は私なんだけどな……と思いつつ、ふわふわした頭で言われるがままに彼の隣へ腰掛ける。どこか懐かしい匂いがした。

「あのさ、そんなに俺を非常識なやつだと思うなら、自分のスマホのメールボックスでも確認してみなよ。たぶんサイトから俺を指名した履歴が残ってるはずだからさ。すぐに自分の方が非常識だったって、気づくはずだよ」

 脳はショート寸前だったけど、なんとか情報を咀嚼し理解してスマホの画面を見た。ロックを解除すると最初に出てきた画面にはデカデカと「レンタル彼氏」の文字がある。そして注文履歴には自分の隣に座る青年の顔と「リョウ」の文字があった。

「ほんと……だ」

「はぁ。これで分かった? だいたいさぁ、酔ってる時にこういうサイト見るもんじゃないよ。仕事でなんか悩みでもあるわけ? ほんの出来心だったんですって泣きつくわけ? 泣いたって俺はあんたから金を取るからな。一夜で5000円。安い方っしょ。そこらへんのホストよりはよっぽど親切な商売だよ。たまーにあんたみたいに酔った勢いでとか間違えてタップしちゃってとかいう客いるけど、こっちだって仕事なんだから。世の中舐めんなってんだよ全く」

 青年はやってらんねーよ、と悪態をついて膝を組んだ。細くしなやかで、長い足だ。漠然とそんなことを思う。

「安心して、お金はちゃんと払うから。私の不注意であなたをここまで来させてしまったわけだし、相応の対応はする。その分の料金も上乗せするから。だから悪いけど、帰ってもらっていい?」

 私なりには誠意を込めた対応をしたつもりだ。だけど青年の顔はうんともすんとも言わず、私はどうしたらいいかわからず首を傾げてしまう。

「あのね、悠依さん」

 いきなり下の名前で呼ばれ、私は少し狼狽える。

「俺もさ、仕事でやってんだよ。働いてないのに賃金をもらうことはできない。それにこんなにすぐ帰ったら、上司に怒られるんだよ。ちゃんと働けやとか、金ひったくってきたんだろとか有る事無い事言われてさ。だから悠依さん、間違って俺をリクエストしてそれを詫びるつもりなら、一晩はここに泊めてほしい」

 まじまじと正面から見つめられてしまったので、私はもはや何も言えなくなった。
 確かに彼の言うことには頷ける。このまま返してしまって絵も彼が咎められるだけなら、むしろ家にいてもらった方がこちらの罪悪感も少しは和らぐだろう。

「分かりました。そういうことなら」

 私が承諾すると彼は口元だけで笑って「じゃあ今夜は俺が、悠依さんの彼氏ね」と甘ったるい声で言った。別にただここで一晩を過ごすだけでいいのに、彼はわざわざ「レンタル彼氏」の仕事をこなすらしい。

 しかし親友に勧められ、酔った勢いでとはいえ私も一瞬、揺らいでしまった責任がある。
 ところで私がこの「リョウ」を指名したのは何故だろう。適当に一覧画面をスクロールして何となく引き寄せられた顔をタップしてしまった、ところまでは覚えている。どこか懐かしかったから。……懐かしい?

「あの、リョウさん?」

「彼氏にさん付けすんのかよ」

「いや、そんなことどうでもよくて。リョウさんって、本名はなんていうの?」

 リョウは明らかに怪訝な顔をした。普段は公表していないはずの本名を初日の酔っ払ったOLに尋ねられているこの状況は、たしかに彼にとっても訝しいものだろう。だけど、聞きたい。どうしても。だって君はもしかしたら。
 その思いが通じたのかどうかは分からないけど、彼は逡巡の間に私の目を見返して、口を開いた。

「三崎涼、だけど」

「あぁ……」

 思わずため息が溢れた。そうか。今ならはっきりと分かる。今日私が、ここに君を呼び寄せた理由。

「……好きだったの」

「え?」

 彼の低くて穏やかな、だけど疑問を纏う声が耳を撫でた。

「私、君のことが好きだった」

 疑いが確信に変わる。
 君は間違いなく、私がかつて夢中になった人だった。