淡い月が照らす夜。少女は自室で、鈴蘭ランプの灯りの下熱心にペンを走らせていた。

 すでに机の上に積み上がってる便箋の高い山が、それを象徴している。


「――できた!」


 やっとの思いで完成した手紙は、まるで一冊の本。ついついあれもこれもと世界観を広げてしまい、壮大な物語が完成してしまう。もし相手があの毒舌少年ならば一体どうなってしまうのか、考えただけでも恐ろしい。


 引き出しの中から蝶のスタンプを押す。それは瞬く間に星の雫を纏った蝶になり、開け放たれた窓から夜空へと飛び立つ。


「今日は疲れたし、もう寝ようかなあ……あ! 今日は月灯蜜の湯だって、ももちゃん言ってたっけ。お風呂入ってこようかな」


 ももちゃんは――“魔法使い”じゃなくても、最初から仲良くしてくれた、唯一無二の友達だ。


 女の子らしい女の子で、よく気が利く。その上可愛いときたら、特に周りの異性はほっとかないだろう。

 
魔法の植物で編まれた不思議な籠を持って、大浴場へと急ぐ。そこは、大浴場の他にも露天風呂、魔力回復の湯、治癒の湯といった様々な湯が用意されている。


 月灯りが差し込む長い廊下の大きな窓からは、椿のような紅い花

 レモネードの大きな満月。

 
 本当に、どうして私はここへ呼ばれたのかな……。


 『魔法使いの素質ゼロ。それでも僕らには、君が必要。語りはしないけど』


 私をここへ呼んだ人は、ミステリアスな人だった。 

 呼んだ側なのに、謎を振り撒くだけ振り撒いて、その人は。


『じゃあ――後は任せた』 と言い残し、姿を消した。


 いつか、呼ばれた意味を知りたい。いつか――考え事をしながら歩いていたせいか、曲がり角で誰かと派手にぶつかって、尻餅をつく。

考え事は歩きながらすべきではない。と、前にも学んだはずだったのだが、それは幻想だったかもしれない。

 それよりもだ、まずは謝るのが先決だ。


「前をよく見てなくて、ごめんなさ……あ」



 思いがけない人物に、少女は目をぱちくりさせる。


 目の前にいる不機嫌そうな少年こそ、例の毒舌少年である。ただでさえ鋭い目つきが、より鋭さを増す。


「あんたの目は飾りなわけ? いい加減にしてよね。これで、何回目?」
 

 高位の魔法使いだけが着ることを許されていローブを纏った少年は、半ば呆れたような顔をする。

 「あいくん……! こんな時間にいるの珍しいね、元気だった?」


 顔をぱっと輝かせ、今すぐ飛びつかんばかりの少女に少年は、さらに眉間に皺を寄せる。

あいと呼ばれた少年は、螢川藍(ほたるかわあい)。“月下の魔法使い”――言葉の通り《月灯りさす美しい夜》でのみ魔法が使える者を、そう呼ぶ。


「しょうがないだろ。僕たちに回ってくる仕事は、厄介つきの黄昏案件だ。これでもまだ、マシな方だ」

「黄昏案件?」

「お前は知らなくていい。僕はもう行く、深央に伝えなきゃいけない事があるから――それと。僕と深央はまだいいけど、誰彼構わず飛びつこうとするの禁止」

「どうして?」

「どうしても」




 説明するのも面倒臭いと言わんばかりに、さっさとその場を離れてしまった。本音を言うともう少しだけ、話したかったのだが。


 名残惜しい気持ちもあったが、冷えた身体を温めるために今度こそ風呂場へと向かった。


誰もいない広い大浴場で、少女はひとり湯に浸かる。綺麗に磨かれた汚れひとつない空間は気持ちいいが、むしろ逆に緊張してしまう。


 「今度は誰かと一緒がいいな」


 あいくんは嫌がりそうだ。さっきも怒られてしまったから、望みは薄そうだ。もっと仲良くなりたいけど――少女はうーんと唸る。

 ふと露天風呂の存在を思い出す。いつも大浴場で終わってしまうのだが、せっかくだから気分転換に行ってみるのも悪くないかもしれない。

 少女は丁寧にタオルを巻き直し、それから露天風呂へ続く扉を開ける。その瞬間――花の香を纏う夜風が吹き込んだ。


 星の形をした白銀の花が咲いている。それはまるで、小さな庭のようでもあった。その花弁が纏う光は、ランプのように辺りを照らしだす。


 足をそっと湯に沈める。暑すぎずほどよい温度で管理された温かさが心地いい、月下の露天風呂はいいものだ。



 神秘的で美しくて――その時、少女の背後で扉が開く音がした。


月灯りを集めたような髪から見え隠れするステンドグラスのように、美しい煌めきを宿した水天の瞳が、不思議そうにこちらを見つめる。


 麗しい見た目からは、筋肉があるようには見えない。細マッチョなのかもしれない。母がそういう人が好みなのだと熱心に語っていたのを、何故か今思い出す。



「どうして、ささらがいるんだ?」



 月灯りのように柔らかい声が少女の名を呼ぶ。翡翠の海が広がる長い髪から、雫が肌に零れ落ちる。

 自分の名前を呼ばれ少女は、我に返った。


 「お風呂入りに来たからです。……女風呂だから、です」


 納得したように、月下の魔法使い――宵森深央(よいもりみお)は頷き、そうかと一言つぶやく。     
 
 本当に理解してるのか、いまいち謎だが。

 てっきり出ていくのかと思えば、そのまま露天風呂に身体を沈めてしまった。