◇◇◇

「その着物と、袴なら使っていいよ。寝巻きはこっち」
藤はそう言って、押し入れに入っていた男性用の着物を僕に渡す。
乳白色の着物と、藍色の行灯タイプの袴。
「もし破れちゃったりしたら、桃香(ももか)っていう白髪の女の子に言って。直してくれるから」
「あ、うん」
“白髪の女の子”と言われ、パッと頭に浮かんだのは、ここに来た時、藤に飛びついていた女の子だった。

……時は数十分前に遡る。

僕は、藤に手を引かれるがまま、小さな村にやってきた。
家や歩いている人の服装を見る限り、やっぱりここは、現代ではないようだ。
「着いたよ。ここが私達の“家”」
ずっと僕に背中を見せて歩いていた藤は、くるりと180度回転し、僕にそう言った。
「ただいま〜」
「あ! かぁずらぁ〜〜〜〜〜〜!」
桜が玄関の引き戸を開けた途端、大きな声をあげ、走ってくる女の子がいた。
「もう、こんな時間までどこに行ってたの? シノさん、すっごく心配してたんだよ!」
「ごめんね、桃香ちゃん。この時期は夜桜が綺麗でしょ? だから、見ておきたかったの」
そう言って桜を叱る女の子には、卯の花色の美しい髪があった。
恐らく、この子が桃香なのだろう。
藤の瞳に隠れているのがアメジストなら、桃香の瞳には、ルビーが散りばめられている。
キラキラした、二重の大きな瞳の2人。
「ねぇ、桃香ちゃん。シノさんに、「藤は2階の客人用の部屋にいます」って言っておいてくれない?」
「えー、心配かけたのは藤なんだから、藤が言いに行きなよ」
「ごめんね。今、私、お客さんのお相手しないとだから」
「お客さん?」
「そう」
僕を見た桃香は、僕をまじまじと見つめる。
「へぇ〜。不思議なお客さんだね」
「でしょ? 少しの間、私の許可で泊めてあげるの」
「ふ〜ん。まぁ、それならしょうがないか。いいよ。言ってきてあげる」
「うん。ありがとね、桃香ちゃん。……じゃあ行こう、環くん」
「あ、うん」
そして僕は、2階の客人室へと案内されたのだった。

「じゃあ、私、そろそろ準備をしなきゃだから、行くね。身支度ができたら、桃香ちゃんに言って。いい話し相手になってくれると思うから」
「うん。わかった」
そう言って、藤は階段を駆け降りていった。
そして僕は、乳白色の着物を見つめて、僕は着物の着方を必死に思い出してみる。
なんせ、最後に着物を着たのは弟の七五三の付き添いの時。10歳だった僕には自分で着物を着る技術なんてなかったのもあり、スタッフの人に着せてもらっただけで、自分で着た記憶なんて皆無だ。
けれど、わざわざ下に降りて誰かに着せてもらうのも、なんとなく恥だ。
「……仕方ない」
僕はそう呟いて、必死に着物達と戦うのだった。