夜のしじまのなか、その花嫁はやってきた。
 笠屋敷家では、贄の花嫁の嫁入りは必ず真夜中に行うというしきたりがある。
 蛇神が夜を好むためと、秘密裏に行うためである。
 贄の花嫁は七日で死ぬ。その後すぐ本物の花嫁を迎えるため、表向き贄の花嫁は存在しないものとされているのだ。
 とうとう、花嫁行列が笠屋敷家へ辿り着く。
 (かご)が静かに降ろされ、御簾(みす)が開けられる。
 白玖はなかを覗いた。暗くてよく見えない。
 籠の闇のなかへ目を凝らしていると、わずかに影がうごめいた。花嫁だ。
 白玖が手を差し出す。しかし人影は白玖の手を取ることなく、自力で籠から降りた。白玖から少し距離をとって。
 雲が晴れ、月が顔を出すと、明かりの下にその美貌がゆっくりと浮かび上がった。
 ――美しい。
 籠の前には、息を呑むほど美しい少女が立っていた。
 月明かりに青白く光る肌は白皙(はくせき)で、まつ毛は優雅に長く、瞬きのたびに音がしそうなほどだ。
 歳はたしか、白玖より五つほど歳下の十七だと聞いているが。
「よく来たな、歓迎する」
 白玖が言う。が、返事はない。
 花嫁はなにも言わず、ただ一度、ゆっくりと瞬きをした。白玖は気にせず続けた。
「俺の名は笠屋敷白玖だ。これから末永くよろしくな」
「末永く……?」
 白玖の言葉に、花嫁である橘花は首を傾げる。
「私は、七日後に死ぬ贄の花嫁ですよ。笠屋敷家の呪いによって」
「あぁ……そうだな」
 白玖は橘花を見つめた。橘花は悲しそうにするでも、怯えるふうでもない。かといって、白玖を責めるふうでもなかった。
 白玖は目を伏せた。
 橘花の認識は、間違っていない。彼女の言うとおり、笠屋敷家は橘花を贄の花嫁として迎え入れた。
 ただし、白玖は……。
「案ずる必要はない」
 ゆっくりと目を開けた白玖は、まっすぐに橘花を見つめる。
「橘花。おまえのことは、俺がぜったいに死なせない」
 白玖は言い切り、橘花の白い頬へそっと手を伸ばした。そのとき、初めて橘花が人形のような顔に表情を滲ませた。近付いてきた白玖の手を拒むように、後ずさる。
「……どういうおつもりですか」
 橘花の声には、困惑の色が浮かんでいた。
「言葉どおりの意味だ」
 白玖がはっきりと告げると、今度は橘花の瞳に拒絶の色が混じる。
 彼女のこれまでの境遇と、この屋敷での立ち位置を考えれば無理もない。
「私に触れたら死ぬのですよ」
 白玖の手は宙をさまよい、なににも触れることなく垂れた。
 白玖は橘花に――贄の花嫁に触れることができない。
 彼女の毒は、皮膚にも染み込んでいるからである。触れた者は、たちまち死に至る猛毒だ。
 だから、彼女の父は橘花を惜しげなく笠屋敷家へ嫁に出した。笠屋敷家へ嫁げばどうなるか、分かっていながら。
「……すまない」
「旦那さまが謝る意味が分かりません」
「……そう、だな……」
 彼女の生家である秋月家にはもうひとり娘がいる。姉の玲花だ。
 秋月家は、かつての先祖にあやかしと交わった者がいる混血の一族であった。
 そのため、秋月家ではごく稀に特殊な力を持った子が生まれる。橘花の姉である玲花もそのひとりで、あやかしの力を受け継いでいた。
 一族を守り、そして繁栄をもたらすであろう陽の力だ。
 しかし、姉の玲花が陽の力を持って生まれたせいか、妹である橘花は陰の力を持って生まれてしまった。じぶんでも手に負えないほどの毒を、その身に宿して。
 秋月家は、橘花を花嫁に出す際、こんな提案をしてきた。
 もし、万が一にも先の花嫁である橘花が亡くなった場合、新たな花嫁に玲花を娶ってほしいと。
 秋月家は、恐ろしい家だ。
 いらないほうも、必要なほうの娘も笠屋敷に送り込もうという。
 贄の花嫁を差し出すということは、笠屋敷家ではなく蛇神に恩を売ったことになる。
 つまり秋月家は、蛇神の加護を受ける笠屋敷家に新たに花嫁を送り、縁戚関係を結ぼうという魂胆なのだ。
 しかし、白玖の父、清雅はそれを分かっていて受け入れた。玲花の嫁入りを拒む白玖の意見を無視して。