懐かしや、屋根より聞こゆ、鳥の音
乱れし世の中、変わらなき声

本日は、また、石川のあたりで大きな地震があったり、午後はすごい雨が降ったりして、恐ろしい一日になりました。そんなわけで、屋根から聞こえてきた鳥たちのこえを聞いて、思いついたのが、この和歌でした。
なんか、もう学生時代とか、音大からでて、仕事始めた時代はとうの昔というか、大昔になっているようです。なんなんだろうね、いろんなことがありすぎて、もう思い出せなくなるほど、いろんなことがありました。私が個人的にどうのではなく、世の中の動きも、変わってしまいました。これからは、直に触れない文化というのが流行ってくるのかなと思います。預言者ではありませんが、直接見るのではなく、スマートフォンやパソコンなどで、結果だけわかればもういいや、でおわる時代になるのでしょう。そのうち、というか最終的には、いきるだけで精一杯の人と、様々なものを駆使してつまらなく生きる人と、激しい対立が発生するのかもしれません。現に、ロシアの戦争も、そう言う一面があるのかもしれないです。
いずれにしても、最近は鳥の声や花の美しさに惹かれています。そうやって変わらないで花が咲いてくれたり鳥が鳴いたりしてくれることが、なんだか素晴らしい気がしてくるのです。人間社会は悪化するばかりですが、他の動物や植物の世界は、変わらないでいてくれるのが、本当に嬉しいです。
同時に、恐怖ばかりの夏がやってきます。夏といえば山とか海を連想する時代は過ぎ去り、夏といえばいまの時代は避難です。大雨や、雷、停電やら土砂崩れなどが頻発し、避難指示が散々出される季節が夏なのです。
だから、楽しむという言葉も過去のものになるでしょう。
不思議なもので、過去というのは、なにか魅力があるのでしょうか。変えることができない過去、きらめく過去などの表現がありますが、人間はどうしても過去の話になりますと、熱弁をふるいます。本当はそんなことを話しても仕方ないのに、なぜか話したくなってしまう、そんな不思議なものが、過去なのです。
つまりきっとそれだけ現在は辛い、苦しいものなんですよ。文献などにもよくありますが、現在というのは、なかなか目を向けにくいもののようです。どこの時代の、どこの国の文献にも、現在を明るく楽しく生きようという言葉はなかなか出てきません。日本では見かけませんが、辛い現在を変えるために、ひたすら祈り続ける国も、ある。本当に、現在を楽しむということは、どこの国でも難しいことなんだなあと思います。
そう考えると、ぐちばかりこぼしてしまう、人間というのは、そういう宿命なのかもしれないよね。
なんとなく、そんなことが思いついた日でした。
もちろん、将来にむけてどうのというのも大切なのかも知れませんが、今一番良いときにしておかないと、いざというときに、戦えないのかもしれないですね。
生きるのは苦しみだともいわれますが、のんびりと生きたいものです。