わずかに開けた窓から長風に乗って小鳥たちのさえずりが入り込んでくる。ようやく訪れた春を詠うような可愛らしい合唱に対して、伴侶のために整えられた部屋では若き青龍の声息が響いていた。

「ほら、冷ましたぞ。口を開けてくれ」
「あの……そこまでしていただかなくても、一人で食べられますから……」
「何を言っている。昨日もそう言って、ほとんど食べていなかったじゃないか」
「昨日まではまだ身体が怠かったからか、食欲が湧かなくて……でも、今日は大分良くなりましたから……」

 そう言い掛けた海音の口元に、土鍋から掬った少量の粥――蛍流が息を吹きかけて冷ましてくれた、を乗せた匙が近付けられたので、渋々口を開ける。
 程よく冷めた粥をもぐもぐと咀嚼していた海音だったが「んんっ!」と気付いて、粥を吹き冷ましていた蛍流に声を掛ける。

「今日は卵粥なんですね。葱も入っていて美味しいです」
「先程、雲嵐殿が到着したからな。ようやく山中の整備が終わって、屋敷までの動線が確保されたらしい。食料以外にも頼んでいたお前の薬も届いたぞ。食後に飲むと良い」

 それで昨日までの白粥と違って、卵と葱が入っているのかと納得する。滑らかな舌触りの甘い卵粥に、アクセントとして加わった葱の辛味と独特の香りがクセになる。粥自体も昨日まで食欲が無かった海音の身体を気遣って消化しやすい七分粥にしてくれたのか、喉につるんと入って食べやすい。

「早かったですね。もっと掛かると思っていました」
「おれが急がせたのだ。早くお前の薬を届けてもらいたかったから。それにしても、目覚ましい回復力だな。あれからまだ三日しか経っていないというのに……これも青龍の神気がもたらす効果か」

 三日前、蛍流と共に昌真と黒龍の魔の手から清水を取り戻した海音だったが、屋敷に戻ってすぐ高熱を出して倒れてしまった。
 心配した蛍流が清水を呼んで診立ててもらったところ、ほぼ丸一日雨に打たれていたことに加えて、蛍流から流れてきた青龍の神気とこれまで清水が隠していた海音自身が持っていた神気が一挙に押し寄せたことで、海音の身体が限界を迎えたのではないかということであった。
 神気を除いて、これが常人なら発熱で一週間は苦しむところだが、青龍の加護を受ける海音は数日で回復した。思えば、この世界に来てからというもの、いつも怪我の快復が異様に早かった気がした。これも青龍に選ばれ、青龍の神気に守られる伴侶だからなのか。
 
「神気だけじゃありません。蛍流さんが甲斐甲斐しく、看病をしてくれたおかげです」
「そうか……それなら早く元気な姿を見せてくれ。お前と愛を語らうためにも」
「愛って……」
 
 出会った頃とは打って変わって、饒舌なまでに恥ずかしい言葉を衒いなく話す蛍流に戸惑うが、海音がそれを指摘する前にまた薄黄色の卵粥を口に入れられてしまう。やはり昨日までの食欲不振が相当蛍流の痛心に堪えたのか、卵粥の入った土鍋と匙を海音に渡すつもりは無いらしい。
 こうなった以上、質実剛健な蛍流は海音が完食するまで解放してくれないだろう。ここは仕方なく蛍流に甘えて、卵粥を食べさせてもらうことにする。

「これまではずっと我慢していたが、相思相愛の間柄になったのならもう語り合っても良いだろう。早くこの胸の内で滾る、お前への愛を伝えたいのだ。昼も夜も関係なく、言葉でも身体でも全身全霊をかけて情愛を語りたい」
「身体でも、ってことは、やっぱり、その……私たちもいずれ大人の関係を持つということですよね」
「当然だろう。おれたちは青龍によって選ばれた夫婦だ。まだ政府に通知を出しておらず、祝言も挙げていないが、おれたちの関係は清水も認めている。背中にもその証が現れているのだからな」
「龍の形をした痣ですよね。この髪色もでしたっけ?」
「ああ。その青みのかかった髪色は間違いなく青龍の神気によるものだ。出会った頃の緑の黒髪も似合っていたが、今の色もよく似合っている」

 海音は改めて自分の髪を見つめる。長さや質こそ変わらず胸元までの伸びたストレートヘアだが、色は蛍流の藍色の目とよく似た青みのかかった黒色に変わっていた。
 発熱で倒れた後、鏡に映った自分の姿を見て仰天した海音が蛍流に尋ねたところ、この青色は青龍の神気を纏っている証であり、蛍流の髪や目の色と同じものだと教えられたのだった。
 髪色以外にも肌は蛍流と同じ抜けるような白色に変わっており、背中には右を向いた龍の痣がくっきりと現れていた。痣については発熱で沐浴が出来ない海音に代わって、背中を拭いてくれた蛍流も確認しており、そんな蛍流の背中にも青龍に選ばれた形代の証である左を向いた龍の痣があることを教えてもらったのだった。
 七龍によって選ばれた形代と伴侶が一夜の夢を結ぶ姿は番の龍が交わうようであり、信愛によって結ばれた二人がもたらす神気は自身が治める龍脈をより活性化させる効果があるという。
 
「ありがとうございます。まだしばらくは鏡を見る度に違和感を覚えて落ち着かない気持ちになりそうですが、早く慣れるようにしますね」
「そうだな……でもそれくらいなら、おれでも手伝えそうだ。見る機会を増やせば良いのだからな」

 そう言って蛍流が海音の髪をひと房手に取って軽く口付けを落としたので、海音はぎょっとしてしまう。そんな蛍流は眉一つ動かすことなく、「全快したら毎日しよう」とさも当然のように返しただけであった。