「半身は自身の先行きよりも娘の身を案じ、そして息災であることを希求した。しかし妙だった。我は半身と娘の願いを叶えた代償として、その娘にまつわる一切の記憶を半身より貰い受けたつもりであった」
「記憶を? どうして……」
「あの世界と半身の繋がりを断ち切り、我の半身として役割を邁進させるために。そこで我は半身より略取した記憶を垣間見た。そしてその理由を見つけたのだ。半身と娘の間に結ばれし縁――契りを。その契りが未だ半身の心をあの世界に繋ぎ止め、そして半身に宿りし我の力を不均衡にさせていたのだ」
幼い蛍流が泣いていた少女と交わしたという約束――『今日悲しいことでたくさん泣いたら、明日は楽しいことでたくさん笑う』というもの。子供が考える幼稚な約束事ではあるが、約束であることに変わりは無い。それを安易に切ることは、たとえこの国を守護し、神として崇められる清水であっても容易では無かった。
そしてその約束が続いているということは、蛍流と元の世界が繋がったままであることも意味する。たとえ少女との記憶が朧気でありながらも、蛍流の心は海音たちの世界で暮らす少女に囚われていることになる。少女に関する心残りと二人の間で結ばれた約束事が、蛍流の力を不安定にさせる原因となったのだった。
「そもそも蛍流さんたちの願いを叶えるために代償が必要だったのは、賽銭と願い事が釣り合わなかったからですか?」
「左様。一枚の賽銭で二つの願い。それも共に人命に関わるもの。二つ叶えるには賽銭が足りない。故に我は対価を求めた。半身と引き換えに二つの願いを叶え、不足した対価を補う代わりに半身の御身とその記憶を貰い受けた。丁度その時、先の半身の力が衰え始め、我は次なる半身を求めて渉猟していたのだ。国を飛び、世界を越え、そこでようやく見つけた。龍を祭神とする社で肉親の無事を願い、一枚の賽銭で二つの願い事を唱える二人の幼子。その片割れは次なる半身を担うのに申し分のない人の子であった」
形代としての役割を終えつつある師匠の後継者に相応しい次代の形代を求めて、清水は海音たちの世界にも天来した。そこで偶然にも形代としての素質を持つ蛍流を見つけたのだろう。そして蛍流と少女の願いを叶える代わりに、蛍流は次の形代としてこの世界の二藍山に転移させられた。
そこで蛍流は師匠と昌真に拾われ、師匠の後継者たる形代として育てられることになったのだった。
「この国を守護する我であっても、この時まで半身と娘の間に交わされた契りを知らずにいた。その契りが結ばれている限り、半身は形代として覚醒出来ず、この地は安泰するどころか危急となってもおかしくない。そこで我は半身との契りを途切れさせるために、その娘もこの世界に連れて来ることに決心したのだ」
「わざわざその時の女の子を連れて来なくても、私たちの世界に行って、その子に蛍流さんとの約束を止めるように言えばいいだけじゃないんですか?」
「そう簡単にはいかぬ。約束とは生きとし生ける者同士を繋ぐ結び付き。約定を成就させるか、はたまた当人たちが反故にしない以上は、たとえ神であろうとも簡単に手は出せない。婚姻や親子の縁が良い例であろう」
「そうですね。親子の縁は簡単には切れません。婚姻も……」
たとえ他愛の無い口約であろうとも、約束というものは両者の結び付きを意味する。男女の誓い、親と子の血縁、いずれにしても縁であることに変わりは無く、結び付きなくして全ての生き物は成り立たない。その約束を違えるとどうなるか、良い例が「指切りげんまん」であろう。
約束を守る証として互いの小指を曲げ絡める「指切りげんまん」をする際に「嘘ついたら針千本を飲ます」と唱えるが、その言葉の通りに約束を一方的に破るということは何らかの懲罰が与えられることを意味する。
無関係な第三者が約束事の間に割って入るということは、約束に対して信義に背くということ。つまり「嘘ついたら針千本を飲ます」のと同等の罰を受けることを表す。
どのような罰かは約束の内容によるところが大きいだろうが、いずれにしても背信を犯して全くの無傷で済むはずがない。それは反故にさせた相手が神であったとしても同じ。
人間同士の結び付きに横槍を入れて縁を途絶えさせるということは、縁を失った人間の存在意義を危うくするのみならず、人々の信仰によって成立する神の身さえも危険に晒すことに繋がる。自らの下位にあたる人間たちの崇拝無くして神は存在できず、信仰を失った神はいずれ塵となって霧散してしまう。それ故に神たちは不必要な人間社会への干渉を避け、約束事については黙認を貫いてきた。
古の時代よりこの国を守護する七龍も、他の神々と同様に人々の信仰によって成立してきた守り神である。したがって自身の存在を守るためにも、清水は蛍流と少女の約束を手前勝手に切り離すわけにはいかなかった。
「娘には半身と会って、結んだ契りを撤回してもらう必要があった。そのためにも我は半身の世界に暮らすという娘を探した。これも全ては我が半身とこの地の安寧のため。そのつもりであった……」
このまま少女と交わした約束を放っておけば、蛍流の心身に留まらず、この世界のためにもならない。そう判断した清水は、少女を探して約束を反故にさせようと動き出した。
少女との約束さえなければ、今度こそ元の世界と蛍流の間の繋がりは完全に無くなる。そうなれば蛍流も半身として力を発揮して、真なる力を目覚めさせられるはずであった。
「半身から貰いし記憶を頼りに娘を探す最中、またしても予想外の出来事が起こった。先の半身の遺言に従い、伴侶を迎えたいと半身に打ち明けられたのだ。これで自身の力と民の生活が安定すると、そう検討違いの言と共に」
「蛍流さんの力が不安定なのは、元いた世界で知り合った女の子との約束が原因だとは教えなかったんですね」
「……我の半身として自覚を持ち始めた頃から、半身は何かを心の支えとしていた。それが少女と結んだ約束だというのは知らなかったが、それを奪う愚は避けたかった。それでは心を失い、先の半身の二の舞となってしまう。この時でさえ、孤独の中に置かれた半身は思い詰めた顔をしていたのだからな」
この国の未来と蛍流の将来のため、秘密裏に蛍流と約束を交わした少女を探していた清水ではあったが、自身の力を安定させるために伴侶を迎えたいと精神的に追い詰められた様子の蛍流を無碍に扱うことは出来なかった。
清水は真実を黙したまま二つ返事で蛍流の申し出を受け入れると、伴侶の選定を始めた。
「そういえば、清水さまは反対されなかったんですね。蛍流さんが和華ちゃん――伴侶を迎えたいと言った時に。蛍流さんの元を訪れる役人さんたちは、あまり良い顔をしていませんでしたが……」
「これまで半身と先の半身について、我は幾つもの過ちを繰り返してきた。人の言が正しいことを学んだ我は半身の言葉を素直に聞き入れることにしたのだ。我は人の心を知らぬからな。人のことは人に任せるのが良いと判断したまでのことよ」
蛍流が想う追憶の中の娘と半身に相応しき伴侶。二人の娘を清水が探している最中に、またしても蛍流は予期せぬことを言い出した。
それが蛍流の元を出入りする行商人の雲嵐から、青龍の伴侶を自称する娘の話を聞かされたというものだった。
「記憶を? どうして……」
「あの世界と半身の繋がりを断ち切り、我の半身として役割を邁進させるために。そこで我は半身より略取した記憶を垣間見た。そしてその理由を見つけたのだ。半身と娘の間に結ばれし縁――契りを。その契りが未だ半身の心をあの世界に繋ぎ止め、そして半身に宿りし我の力を不均衡にさせていたのだ」
幼い蛍流が泣いていた少女と交わしたという約束――『今日悲しいことでたくさん泣いたら、明日は楽しいことでたくさん笑う』というもの。子供が考える幼稚な約束事ではあるが、約束であることに変わりは無い。それを安易に切ることは、たとえこの国を守護し、神として崇められる清水であっても容易では無かった。
そしてその約束が続いているということは、蛍流と元の世界が繋がったままであることも意味する。たとえ少女との記憶が朧気でありながらも、蛍流の心は海音たちの世界で暮らす少女に囚われていることになる。少女に関する心残りと二人の間で結ばれた約束事が、蛍流の力を不安定にさせる原因となったのだった。
「そもそも蛍流さんたちの願いを叶えるために代償が必要だったのは、賽銭と願い事が釣り合わなかったからですか?」
「左様。一枚の賽銭で二つの願い。それも共に人命に関わるもの。二つ叶えるには賽銭が足りない。故に我は対価を求めた。半身と引き換えに二つの願いを叶え、不足した対価を補う代わりに半身の御身とその記憶を貰い受けた。丁度その時、先の半身の力が衰え始め、我は次なる半身を求めて渉猟していたのだ。国を飛び、世界を越え、そこでようやく見つけた。龍を祭神とする社で肉親の無事を願い、一枚の賽銭で二つの願い事を唱える二人の幼子。その片割れは次なる半身を担うのに申し分のない人の子であった」
形代としての役割を終えつつある師匠の後継者に相応しい次代の形代を求めて、清水は海音たちの世界にも天来した。そこで偶然にも形代としての素質を持つ蛍流を見つけたのだろう。そして蛍流と少女の願いを叶える代わりに、蛍流は次の形代としてこの世界の二藍山に転移させられた。
そこで蛍流は師匠と昌真に拾われ、師匠の後継者たる形代として育てられることになったのだった。
「この国を守護する我であっても、この時まで半身と娘の間に交わされた契りを知らずにいた。その契りが結ばれている限り、半身は形代として覚醒出来ず、この地は安泰するどころか危急となってもおかしくない。そこで我は半身との契りを途切れさせるために、その娘もこの世界に連れて来ることに決心したのだ」
「わざわざその時の女の子を連れて来なくても、私たちの世界に行って、その子に蛍流さんとの約束を止めるように言えばいいだけじゃないんですか?」
「そう簡単にはいかぬ。約束とは生きとし生ける者同士を繋ぐ結び付き。約定を成就させるか、はたまた当人たちが反故にしない以上は、たとえ神であろうとも簡単に手は出せない。婚姻や親子の縁が良い例であろう」
「そうですね。親子の縁は簡単には切れません。婚姻も……」
たとえ他愛の無い口約であろうとも、約束というものは両者の結び付きを意味する。男女の誓い、親と子の血縁、いずれにしても縁であることに変わりは無く、結び付きなくして全ての生き物は成り立たない。その約束を違えるとどうなるか、良い例が「指切りげんまん」であろう。
約束を守る証として互いの小指を曲げ絡める「指切りげんまん」をする際に「嘘ついたら針千本を飲ます」と唱えるが、その言葉の通りに約束を一方的に破るということは何らかの懲罰が与えられることを意味する。
無関係な第三者が約束事の間に割って入るということは、約束に対して信義に背くということ。つまり「嘘ついたら針千本を飲ます」のと同等の罰を受けることを表す。
どのような罰かは約束の内容によるところが大きいだろうが、いずれにしても背信を犯して全くの無傷で済むはずがない。それは反故にさせた相手が神であったとしても同じ。
人間同士の結び付きに横槍を入れて縁を途絶えさせるということは、縁を失った人間の存在意義を危うくするのみならず、人々の信仰によって成立する神の身さえも危険に晒すことに繋がる。自らの下位にあたる人間たちの崇拝無くして神は存在できず、信仰を失った神はいずれ塵となって霧散してしまう。それ故に神たちは不必要な人間社会への干渉を避け、約束事については黙認を貫いてきた。
古の時代よりこの国を守護する七龍も、他の神々と同様に人々の信仰によって成立してきた守り神である。したがって自身の存在を守るためにも、清水は蛍流と少女の約束を手前勝手に切り離すわけにはいかなかった。
「娘には半身と会って、結んだ契りを撤回してもらう必要があった。そのためにも我は半身の世界に暮らすという娘を探した。これも全ては我が半身とこの地の安寧のため。そのつもりであった……」
このまま少女と交わした約束を放っておけば、蛍流の心身に留まらず、この世界のためにもならない。そう判断した清水は、少女を探して約束を反故にさせようと動き出した。
少女との約束さえなければ、今度こそ元の世界と蛍流の間の繋がりは完全に無くなる。そうなれば蛍流も半身として力を発揮して、真なる力を目覚めさせられるはずであった。
「半身から貰いし記憶を頼りに娘を探す最中、またしても予想外の出来事が起こった。先の半身の遺言に従い、伴侶を迎えたいと半身に打ち明けられたのだ。これで自身の力と民の生活が安定すると、そう検討違いの言と共に」
「蛍流さんの力が不安定なのは、元いた世界で知り合った女の子との約束が原因だとは教えなかったんですね」
「……我の半身として自覚を持ち始めた頃から、半身は何かを心の支えとしていた。それが少女と結んだ約束だというのは知らなかったが、それを奪う愚は避けたかった。それでは心を失い、先の半身の二の舞となってしまう。この時でさえ、孤独の中に置かれた半身は思い詰めた顔をしていたのだからな」
この国の未来と蛍流の将来のため、秘密裏に蛍流と約束を交わした少女を探していた清水ではあったが、自身の力を安定させるために伴侶を迎えたいと精神的に追い詰められた様子の蛍流を無碍に扱うことは出来なかった。
清水は真実を黙したまま二つ返事で蛍流の申し出を受け入れると、伴侶の選定を始めた。
「そういえば、清水さまは反対されなかったんですね。蛍流さんが和華ちゃん――伴侶を迎えたいと言った時に。蛍流さんの元を訪れる役人さんたちは、あまり良い顔をしていませんでしたが……」
「これまで半身と先の半身について、我は幾つもの過ちを繰り返してきた。人の言が正しいことを学んだ我は半身の言葉を素直に聞き入れることにしたのだ。我は人の心を知らぬからな。人のことは人に任せるのが良いと判断したまでのことよ」
蛍流が想う追憶の中の娘と半身に相応しき伴侶。二人の娘を清水が探している最中に、またしても蛍流は予期せぬことを言い出した。
それが蛍流の元を出入りする行商人の雲嵐から、青龍の伴侶を自称する娘の話を聞かされたというものだった。