「……我は人心を知らぬ。青龍としてこの地に降り立ち、我が選んだ半身と長らく過ごしながらも、人が脆い存在であることを理解出来ていなかった。ゆえに幾つもの過ちを犯した。一世代前の半身の心を無視して、我に都合の良い伴侶を選定したがために長らく孤独を強いたこと。その結果、長きに渡る孤独の中で、半身は人の心を見失ってしまい、それが要因となって伴侶との仲を違えさせてしまったこと……。半身が人の情愛を取り戻した時には全てが遅きに失した。伴侶は悠遠へと消え、遺された半身は遺愛となった小倅を抱えて悲嘆に暮れることとなった」

 この一世代前の半身というのは、以前蛍流から聞いた伴侶を亡くしたという先代の青龍――蛍流の師匠であった茅のことだろう。
 夫婦の証である幼子の昌真を残して、先立ってしまったという先代の伴侶。青龍と人の間に立つ形代として、人里を離れて空寂な世界に長く一人で生きてきた蛍流の師匠にとって、伴侶というのは唯一無二の光だったに違いない。
 それを失うということがどれほどの痛苦なのか、海音は到底計り知れないが、きっとこの国を守護する清水でさえも推し量れなかったのだろう。

「そんなかつての半身が嘆き憂いたからこそ、我はその力に翳りが見え始めてすぐに新たな半身をこの地に招いた。次の半身を父性愛で慈しみ、ほんの少しでも長く人としての温かみを保てるように……しかしそれさえも間違いだったのだ」
「蛍流さんを連れて来たことが間違いだった……?」
「新たな半身は未熟だった。あの世界から強引に引き離されたことで、心身の調和が取れなくなってしまった。裸足で雪道を駆け、川で溺れ、手足を傷だらけにしながら哭した。そんな三度我が犯した罪過を先の半身は理解し、溢れんばかりの鍾愛で幼き半身を包んだ。深い慈愛に包まれたことで新たな半身はこの地に足を付けて、我の半身としての自覚を持ち始めた」

 まだまだ父母が恋しい時期に両親から引き離されたことで、幼かった蛍流は目には見えない深い傷を心に負ってしまった。
 大人になった今でこそ青龍の形代に選ばれたことでこの世界に連れて来られたと理解出来るだろうが、まだ子供だった蛍流にはそれを理解できるはずも無い。
 家族や友人たちと別れの言葉を交わす間も無く、気付いた時にはこれまでの常識が通用しない場所で、全く知らない人たちに介抱されていたという蛍流の絶望は途轍も無いものだっただろう。
 その結果、両親に捨てられたという悲傷を抱え、成長した今は元の世界への未練や後悔として生涯抱える傷となってしまった。
 そんな蛍流の気持ちを最も理解したのは一番近くで見ていた師匠だったのだろう。蛍流を我が子として慈しみ、実子の昌真と分け隔てなく愛した。
 蛍流も師匠が注いでくれる嘘偽りの無い愛情を受け取ったからこそ、この世界で青龍として生きていく覚悟を決められたに違いない。

「だがそれも先の半身が健在だった頃の話。憧憬を向けし慈父を喪った半身を守るために、我は災厄をもたらすであろう小倅を遠ざけた。しかしそれがより一層、半身の心に傷を負わせてしまった」
「昌真さんを……茅晶さんをこの山から追放したのは蛍流さんを守るためだったんですね。でもそこまでしてでも清水さまが蛍流さんを守ろうとするのはどうしてですか?」
「我が力を与えし半身は我が子も同然。我が子を危険から守るのも、力を供与せし親として当然のこと。七龍に対して疑念を抱く小倅は、いずれ我が半身に害をなす。そう判断した我は、先の半身の崩御に合わせて小倅を外に出した。無論、害悪だからという理由だけでここを去らせたのでは無い。小倅に自由を与えることは先の半身の願いでもあったのだ」
「師匠さんの……?」
「先の半身そして此度の半身には叶わぬが、小倅はこの地を離れられる。我という楔の影響を受けず、広い世界をありのままに生きること。それが先の半身の願いであった。形はどうあれ叶えたつもりが、それがこのような事態を招く要因になってしまった。不安定な半身の力に気を取られているうちに、神域への侵入も許して……またしても我は過ちを繰り返したのだ……」

 青龍の形代である蛍流、そして蛍流の先代の形代だった師匠には、清水と共にこの地を守護する役目がある。二人はこの山から離れられないが、形代では無い晶真はここを出て自由な生き方を選べた。蛍流の師匠は自身の息子である晶真をこの山に縛り付けず、本人が望む好きな生き方をさせたかったのだろう。
 この地に残って蛍流と生きるも良し、この山を降りて好きな生き方をしても良い。
 自分が出来なかった分、息子には自分の思うがまま、自由に生きて欲しいと願ったのかもしれない。

「一人になった半身は我の力を受け継ぎ、形代としてこの地を託された。しかし心に迷いと悲愁を抱える身では形代としての重責を担えるはずもなく、その焦りがますます溢れんばかりの力を不安定にさせた。此度の半身が歴代で最も強い力を持つ形代であったことも少なからず関係するのだろう。結果として心魂が未発達な半身は強い力を操れず、この地の水の力と龍脈を不均衡にさせてしまった」
「それで蛍流さんの感情と連動するように、天気が変わるようになったんですね……」

 蛍流が抑えきれなくなった青龍の神力が外へと漏れ出し、それが蛍流の感情の起伏に合わせて二藍山の一帯や青の地の四辺の天候にまで影響を及ぼしてしまったのだろう。
 加えて、この山は蛍流が管理する水の龍脈の水源でもある。蛍流の溢れる力が七龍国に張り巡らされた水の龍脈にも作用し、その結果として青の地の至るところで季節外れの雨季を生み出してしまった。
 
「先の半身は歴代で最も長く形代の役目を担った。それ故に水の力は安定を保っており、民は数百年もの間、あらゆる災害を恐れることなく平穏な暮らしを送れた。当然、民は跡目を継いだ半身にも先の半身と同等であることを求めた。それも少なからず原因だったのだろう。先の半身と同じでなければならないと、半身は自らを追い立てた」

 周囲の期待を一心に集めた蛍流は焦燥にかられた。師匠と同じように青龍の力を振るい、師匠を見習って青の地に住む民の生活を守らなければならない。
 しかし自分が持つ強い力は安定せず、この山の天候どころか遂には青の地に住む民の暮らしまでも脅かすこととなってしまった。頼りたくても昌真はおらず、自分が異世界人であることを隠し通すためにもこの世界の人間には打ち明けられない。誰にも相談出来ない蛍流は、一人悩むことになる。
 信頼を置ける者どころか頼る者さえいない状況の中で、亡き師匠の後を継いだばかりの蛍流は緊張と責任感で押しつぶされそうな日々を送っていたに違いない。

「焦り、憂い、そして自らの不甲斐なさを慟哭する半身は日に日にやつれていった。その顔からは喜悦が消え、この地は幾日も涙雨に降られた。感情を失い、心さえも凍り付き始めた頃になって、とある娘の話をしたのだ」
「誰の話をしたんですか?」
「生まれ育った世界で契りを交わしたという娘……この地に招かれる直前に出会い、一枚の賽銭で半身と願いを分かち合ったという娘の話であった」
「それって、蛍流さんがこの世界に来る前に出会ったという女の子……?」
「正にその娘よ……」

 パーティー会場を抜け出した蛍流が出会い、共に神社で神頼みをして約束を交わし、そして蛍流がこの世界に来るきっかけを作ったという少女。
 蛍流でさえ顔を覚えていないというその少女がどう関係するというのか。