「……っ!」
ザブンという水音が耳を打ち、そのまま黒い水の底に沈んでいくと覚悟していた海音だったが、不思議と肌を刺すような雪代水の冷たさは感じられなかった。それに気付いてゆっくりと目を開けると、息苦しくないどころか声も上げられることに目を瞬かせたのだった。
(どういうこと……?)
魚にでもなったのだろうかと思ったものの、海音の身体に変化は見られない。それどころか滝壺を満たす玉水が海音を守るように身体を包み、時折渦を巻く滔々とした水の流れが最深部に向かって海音を誘っているようでもあった。
(この下には何があるんだろう……?)
腰に絡みつく清水の尻尾に委ねるまま、先も見えない暗い水底をただ沈下していく。その間、恐れや不安は無かった。海音を包む玉水が蛍流の心を表したような穢れのない清らかな浄水だからかもしれない。
滝壺の底近くまで降りてくると、やがて顔を伏せた一人の人間が立っていることに気付く。それが近寄るにつれて、どこかで見たような甚平姿の男の子だと考えていると、不意に男の子が海音を出迎えるように顔を上げる。男の子がにこりと微笑んだ瞬間、海音は「あっ……」と声を漏らしてしまう。
頬の動きに合わせるように動く右目下の黒子と小さなえくぼ、そうしてまだ幼さを残すその男の子は、海音がこの世界に来るきっかけとなった神社で出会った子供であった。
その時にも感じたどこか懐かしさを覚えるその男の子は、蛍流ととても似通っていたのだった。
「あの小娘が突飛な行動に出るとは予想外だった。とんだ災難に遭ったな、嫁御寮」
男の子の目の前で水底に両足を付けた途端、声変わり前の子供特有の愛嬌のある白声が耳に響く。しかしその愛らしい声に反して、堅苦しい話し方と声音は長らく国を守護してきた威厳ある神そのものであった。
「貴方が清水さまですか……?」
「左様。この姿は我が魂を収める器。龍の姿はあくまでも地上に顕現する際の仮初めの姿である」
「つまりここに居るのが、本当の清水さまということですか……?」
「魂を守護する器は我が選びし半身の凋落によって変わる。これは我が半身より窃取した思い出から写した姿。其方をこの地に誘おうと拵えた面影でもある」
「やっぱり私をこの世界に連れて来たのは、清水さまだったんですね……」
清水は何も言わなかったが、目を伏せたことが何よりの答えであった。
海音そして蛍流をこの世界に連れて来たのは、間違いなく清水であると。
「どうして私をこの世界に連れて来たんですか? だって私は何の力も持たない、只の人間なのに……」
「果たしてそうだろうか。其方には其方にしか出来ない役割がある。そのために其方をこの世界に連れて来たのだ」
「私にしか出来ない役割ですか?」
「我が半身と悠久の時を生きる存在。往時の中に取り残されし我が子を慈しみ、その孤独に寄り添える者――伴侶だ」
「伴侶ですか……? でもその伴侶は和華ちゃんが……」
なおも海音が言葉を紡げば、清水はそれを遮るように頭を振る。
「あの小娘は偽ったのだ。蝶よ花よと周囲から褒めそやされるためだけに……愚かな小娘よ。真の伴侶はここにいるというのに」
「ここにいるって、いったい蛍流さんの伴侶は誰なんですか? だってここには私しか……」
「まだ気付かぬのか。其方のことだ、嫁御寮」
「わっ、私……?」
素っ頓狂な声を上げてしまう。驚愕のあまり固まってしまったが、すぐに反論する。
「私のわけがありません! だってこの滝壺に迷い込んだ時、ここを守るシロちゃんたちに侵入者として襲われましたし、背中には龍の痣がありません! それに身体だって、神気の影響でほとんど鱗に覆われています……」
「それも全て我が仕組んだこと。未だ目覚めぬ我が半身と其方を覚醒させるために仕向けたのだ。この神域に立ち入れられるのは、我が半身とその血を継ぐ者、そして我が選んだ半身の伴侶のみ。ここに立ち入れた時点で、其方は伴侶としての資格を得ていることになる。故に試させてもらった。其方が真に我が半身と添い遂げるのに相応しい人間であるか。我が半身の無聊を慰め、孤独の中で心を失くしつつあるあの子を救うことが出来るのかを」
「どういうことですか? 蛍流さんが人の心を失くしかけているって……」
心臓がバクバクと激しく脈打ち始める。決してなれないと諦めていた蛍流の伴侶が自分だったこと、その蛍流が心を失いかけていること。衝撃的な事実の連続に頭が追い付かない。一連の清水の言葉を理解しようと、海音はしきりに瞬きを繰り返す。
ザブンという水音が耳を打ち、そのまま黒い水の底に沈んでいくと覚悟していた海音だったが、不思議と肌を刺すような雪代水の冷たさは感じられなかった。それに気付いてゆっくりと目を開けると、息苦しくないどころか声も上げられることに目を瞬かせたのだった。
(どういうこと……?)
魚にでもなったのだろうかと思ったものの、海音の身体に変化は見られない。それどころか滝壺を満たす玉水が海音を守るように身体を包み、時折渦を巻く滔々とした水の流れが最深部に向かって海音を誘っているようでもあった。
(この下には何があるんだろう……?)
腰に絡みつく清水の尻尾に委ねるまま、先も見えない暗い水底をただ沈下していく。その間、恐れや不安は無かった。海音を包む玉水が蛍流の心を表したような穢れのない清らかな浄水だからかもしれない。
滝壺の底近くまで降りてくると、やがて顔を伏せた一人の人間が立っていることに気付く。それが近寄るにつれて、どこかで見たような甚平姿の男の子だと考えていると、不意に男の子が海音を出迎えるように顔を上げる。男の子がにこりと微笑んだ瞬間、海音は「あっ……」と声を漏らしてしまう。
頬の動きに合わせるように動く右目下の黒子と小さなえくぼ、そうしてまだ幼さを残すその男の子は、海音がこの世界に来るきっかけとなった神社で出会った子供であった。
その時にも感じたどこか懐かしさを覚えるその男の子は、蛍流ととても似通っていたのだった。
「あの小娘が突飛な行動に出るとは予想外だった。とんだ災難に遭ったな、嫁御寮」
男の子の目の前で水底に両足を付けた途端、声変わり前の子供特有の愛嬌のある白声が耳に響く。しかしその愛らしい声に反して、堅苦しい話し方と声音は長らく国を守護してきた威厳ある神そのものであった。
「貴方が清水さまですか……?」
「左様。この姿は我が魂を収める器。龍の姿はあくまでも地上に顕現する際の仮初めの姿である」
「つまりここに居るのが、本当の清水さまということですか……?」
「魂を守護する器は我が選びし半身の凋落によって変わる。これは我が半身より窃取した思い出から写した姿。其方をこの地に誘おうと拵えた面影でもある」
「やっぱり私をこの世界に連れて来たのは、清水さまだったんですね……」
清水は何も言わなかったが、目を伏せたことが何よりの答えであった。
海音そして蛍流をこの世界に連れて来たのは、間違いなく清水であると。
「どうして私をこの世界に連れて来たんですか? だって私は何の力も持たない、只の人間なのに……」
「果たしてそうだろうか。其方には其方にしか出来ない役割がある。そのために其方をこの世界に連れて来たのだ」
「私にしか出来ない役割ですか?」
「我が半身と悠久の時を生きる存在。往時の中に取り残されし我が子を慈しみ、その孤独に寄り添える者――伴侶だ」
「伴侶ですか……? でもその伴侶は和華ちゃんが……」
なおも海音が言葉を紡げば、清水はそれを遮るように頭を振る。
「あの小娘は偽ったのだ。蝶よ花よと周囲から褒めそやされるためだけに……愚かな小娘よ。真の伴侶はここにいるというのに」
「ここにいるって、いったい蛍流さんの伴侶は誰なんですか? だってここには私しか……」
「まだ気付かぬのか。其方のことだ、嫁御寮」
「わっ、私……?」
素っ頓狂な声を上げてしまう。驚愕のあまり固まってしまったが、すぐに反論する。
「私のわけがありません! だってこの滝壺に迷い込んだ時、ここを守るシロちゃんたちに侵入者として襲われましたし、背中には龍の痣がありません! それに身体だって、神気の影響でほとんど鱗に覆われています……」
「それも全て我が仕組んだこと。未だ目覚めぬ我が半身と其方を覚醒させるために仕向けたのだ。この神域に立ち入れられるのは、我が半身とその血を継ぐ者、そして我が選んだ半身の伴侶のみ。ここに立ち入れた時点で、其方は伴侶としての資格を得ていることになる。故に試させてもらった。其方が真に我が半身と添い遂げるのに相応しい人間であるか。我が半身の無聊を慰め、孤独の中で心を失くしつつあるあの子を救うことが出来るのかを」
「どういうことですか? 蛍流さんが人の心を失くしかけているって……」
心臓がバクバクと激しく脈打ち始める。決してなれないと諦めていた蛍流の伴侶が自分だったこと、その蛍流が心を失いかけていること。衝撃的な事実の連続に頭が追い付かない。一連の清水の言葉を理解しようと、海音はしきりに瞬きを繰り返す。