「シロちゃん……? 滝壺に戻るの? でも、ここからどうやって……」

 どう見ても今いる場所は滝壺から遠く離れた下流沿いであった。それに加えて先程海音たちの頭上に倒れてきた木のように、降りしきる暴風雨で木々がなぎ倒されていてもおかしくない。
 いつもより道が悪い山の中をどう戻るのか、そもそも戻れるのかとうじうじ迷っていたからか、とうとう頭だけ動かしたシロに呆れた様子で鼻を鳴らされてしまう。それで一度頭が冷えると、後は何も考えずシロに続いて川辺を進んでいく。
 やがて海音たちを待ち構えていたのか木々の間から他の雄虎たちが姿を現わすと、その内の一番大きな虎に向かってシロが数度鳴きだす。その声が合図になったのか、黄色と黒色の毛に包まれた雄虎たちが一斉に品定めするように見つめてきたので、海音は全身の筋肉が固まっていくのを感じたのだった。

(なっ、なに……!?)
 
 身を守るように数歩後ろに下がって、いつでも逃げ出せるような態勢を取るが、そんな海音に向かってシロに吠えられていた雄虎がゆっくりと歩きだす。そうして足をガクガクさせる海音の足元まで寄ってきたかと思うと、地面に身を伏せたのだった。

(どうしたのかな……)
 
 何を伝えたいのかと考えながら屈んで大きな雄虎の背を撫でていると、いつの間にか背後に回っていたシロが頭でぐいぐいと押してくる。

「もしかして、この子に乗れって言っているの?」

 海音が尋ねるとシロが肯定するように何度も頷いたので、恐る恐る目の前の虎の背に跨る。
 傍から見ると、遊園地などのテーマパークに設置されている子供向けに作られた動物型の遊具に乗っているようにしか見えないが、体重を預けた途端に歩き出したので、海音は「わぁ!?」と悲鳴を上げてしまったのだった。
 
(えっ!? どこに行くの!?)
 
 背中の海音を意にも介さず歩き始めた虎に泡を食っていると、他の虎たちも先導するように前を歩き始める。どこかに海音を運ぼうとしているのだと理解したものの、目的地が皆目見当も付かない。
 このまま蛍流から遠ざかってしまうのではないかと、次第に不安が生じてくる。

「ねぇ、蛍流さんのところに行きたいんだけどっ……!」
 
 最初こそ散歩をするようにゆっくりと前進した虎たちだったが、徐々にスピードを上げていくと、やがて野を駆けるように山頂に向かって獣道を駆け上がり出す。
 それは海音を乗せた虎も同じで、疾走する虎から落ちないように海音は黄色と黒色の毛を掴むので精一杯だった。

(ちょっ……待っ……落ちるっ……っ! 落ちる……っ! 落ちる~っ!!)
 
 虎とは思えない敏捷な動きで木々の間隙を縫うように疾走し出した守護獣たちに、海音は周囲がぐるぐる回っているように感じてしまう。ジェットコースターを始めとする絶叫系のアトラクションに対する耐性は持っていたつもりだったが、これには失神しそうになる。
 後ろに視線を向ければ、海音に気遣ってくれているのかシロがついてくれていた。もし虎から落下したとしてもシロが支えてくれるだろうが、それでも無傷で済むとは思えない。少なくとも捻挫くらいは覚悟しなくては。
 そんなシロに虎たちの行き先を聞くにしても、虎たちの疾駆が速くて口を開けそうにない。周りの景色を見ようにもさっきから木の葉に顔を突っ込みかけては、その度に目を閉じて頭を伏せてしまうのでどこに向かっているのか考える暇も無かった。
 しばらくして虎たちのスピードに慣れてくるとまた怖々と目を開けるが、次いで降り続く雨に耐え切れなくなった大木が進路を塞ぐように軋みながら倒れてくる。
 虎たちは各々紙一重で避けながら舞い散る枝葉の中を駆けるが、飛び散る木の葉に包まれた海音は真っ青になって息を呑んでしまう。

(あわわわわっ……!)
 
 これ以上、どこに向かっているのか自分で確かめるのは危険だと判断すると、身を低くしてストライプの毛に顔を埋める。虎たちの速歩が安定したところで、ようやく海音は安堵の息を吐いたのだった。
 
(あ、危なかっ……)
 
 そう安心したのも束の間、今度は海音の頭上スレスレに生えている枝の下を虎たちが敏速に動いて通り過ぎる。そうしてすぐ目の前に現れた大きな岩を避けることなく助走をつけて跳躍すると、目を大きく見開いた海音を乗せたまま、虎たちは難なく飛び越えたのだった。
 着地した際の激しい震動であわや振り落とされかけると、またもや海音は喉の奥で悲鳴を上げてしまう。
 
(そもそも虎って……こんなに早く走れるものなの!?)
 
 そのまま急斜面を登り出した虎たちによって身体が斜めになると、海音は幅広の虎の背に腕と足を回してしがみついて涙目になった両目を瞑る。
 虎が人を乗せて運んでいる外国の映像を見たことがあるが、ほとんど牛の背に乗って歩いているのと変わらなかった。馬並みの速さで、ここまで激しく動く虎は見たことが無い。さすが蛍流が生み出した幻獣といえばいいのか……。

(もうダメ……意識が……だんだん……遠くなって……きた……かも……)
 
 そんなことを考えている間も虎たちは目まぐるしく動き、泥土を跳ねながら道なき道を長躯する。虎たちの動きについていけない海音はそれ以上考えるのを止めると、転落しないよう身の安全の確保に専念したのだった。

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