「ありがとうございます。蛍流さんの気持ちはとても嬉しいです。でもやっぱり私は明日出て行きます。灰簾家の娘として輿入れします」
「海音……」
「蛍流さんが私の幸せを願うように、私も蛍流さんの幸せを願っています。それは本当のことです。だって私と蛍流さんは同じ世界からやって来た仲間。唯一心を許せる拠り所ですから」

 本当は蛍流と和華が添い遂げるところを見たくないだけ。でもそんなことを口にしてしまったら、きっと蛍流は和華を拒絶してしまう。それは蛍流が形代としての役割を放棄することにも繋がる。そんなことになってはこの青の地と、ひいてはこの国にとって災いしか起こらない。
 国か愛する人か。どちらしか選べないとしたら、海音は前者を選ぶ。亡き母親と約束した『人の心や痛みを知って、思い遣れる人になる』を守るためにも。
 青龍の加護を失って混乱するこの国の人たちの痛みや苦しみを想像したからこそ、海音は国のために自分が犠牲になる道を選べる。国が乱れて混乱する人の中には、海音が大切に想う蛍流だって含まれているから。
 海音が国を選ぶことは、蛍流を思い遣ることにも繋がると信じているから――。

「そんな私を安心させるためにも、蛍流さんは和華ちゃんと幸せになってください。そうしなかったら悲しくなります」
「……そうだな。お前を安心させるためにも、和華とは良好な関係を築けるように努力しよう」
「そうしてください。それでは私は荷造りがあるので、一度部屋に戻ります」

 逃げるようにその場を後にすると、間借りした客間に駆け込む。赤く染まった頬の上を、幾つもの涙が流れ落ちた。

(ずるい。ずるいです、蛍流さん。そんなことを言われたら、私……決意が鈍って……っ!)

 畳の上にへたり込んだ海音は、その場で声を殺して泣き出す。
 本当は色事を好むような色魔のところに嫁ぎたくなんか無い。それでもこの止めどなく溢れる想いを封じるためには、蛍流が手を出せないような場所に――蛍流以外の男性の元に嫁ぐくらいしか方法が思いつかなかった。
 それなのに、内に秘めていたであろう蛍流の一途な想いを聞いてしまったら、もう止められそうになかった。堰を切ったように湧き上がる蛍流への恋情を抑えきれなくなる。

(本当は好きなんです。私だって愛しているんです! でも結ばれないんです。私は伴侶じゃないから……伴侶になれないから……っ!)

 蛍流が形代に選ばれたことを後悔したように、今の海音も自分が伴侶じゃないことを悔やんでいる。いずれも海音が伴侶だったのなら、全て解決する問題なのだ。伴侶に選ばれ無かったことを、ここまで惜しく思ったことは無い。
 蛍流を和華に渡したくない、別れたくないと思ったことさえも。

(私も蛍流さんを愛していますって言ってしまいたい。でもそんなことを言ったら迷惑をかけて、ますますここを離れがたくなっちゃう……)

 こうしてさめざめと泣いている間も外では絶えず奔雷が鳴り続けていたが、とうとう季節外れの雷雨が降り始める。この遣らずの雨も蛍流の心情を表しているのなら、今の蛍流も海音と同じように悲しんでいるのだろうか。
 悲しませたことに罪悪感が募るが、蛍流も自分と同じ気持ちであることに安堵も覚える。
 それだけが今の海音にとって、数少ない救いでもあった。

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