「いったぁ……」
昨晩蛍流に背負われて登った道を反対方向の麓に向けてゆっくり歩き出したものの、すぐに鼻緒が当たる指の間からズキズキとした痛みを感じて立ち止まってしまう。草履から足を抜いて足袋を脱げば、鼻緒が当たっていた指の間の皮膚が剥けて赤く腫れていた。よく見れば、足袋には薄っすらと血が滲んでいる。
このまま履き続けても余計に指の間を傷付けてしまうので、草履を諦めると足袋で歩き出す。
(せめて、傷口の消毒くらいはしたいな……)
このまま放っておいたら、傷口が化膿してしまう。消毒液や包帯なんてものは持っていないのが、その代わりどこかで川か湧き水を見つけて、傷を洗えればいいが……。
大きな溜め息を吐いた直後、風向きが変わったのか微かに流水音が耳に入る。首を動かしながら耳をそばだてれば、音は途中で分岐した道の先から水の跳ねる音と轟音が聞こえてくるようだった。
(こっちには何があるんだろう……)
昨日は暗くて分からなかったが、蛍流の屋敷と山の麓までの道の途中には細い脇道が伸びていた。川や滝などの水辺に通じる道なのだろうか。
昔、何かで聞いたが、山で遭難した時は川伝いに歩くと人里に降りられることがあるという。本当かどうかは分からないが、試してみる価値はあるかもしれない。寄り道になるので、川に立ち寄ってしまうと今日中には和華を連れて戻って来られないかもしれないが、その時は近くの民家に泊まって、明日戻るという連絡を蛍流にすればいい。この世界には固定電話機すら無いようだが、電報くらいなら蛍流に送れるだろう。
鼻緒で擦れて痛む足を庇いながら歩き始めた脇道は、かつて人の往来があったのか、獣道ではなく適度に人の手が入った斜面の緩やかな平坦な道となっていた。薄っすらと生えた雑草とゴツゴツした石にさえ気を付ければ、草履を履いていなくて歩きづらいということは無さそうだった。昨晩の零雨の爪痕と思しき、水溜まりや泥濘もほとんど乾いていたので、昨日よりも歩きやすい。
(運が良ければ、川下で誰かに会えるかも)
昨日案内してくれた地元民が話していたが、蛍流の先代に当たる前の青龍は地元民に限らず、青の地の住民全てから慕われるような穏やかな賢人だったらしい。
困りごとや悩みごとの相談目的で二藍山を登ってくる役人や近隣住民が大勢おり、青龍を慕う人たちが麓や近くの山間に集まって里として栄えていた時期もあったという。
代替わりして蛍流が継いだ今でこそ、人嫌いの冷淡者という蛍流の噂を恐れて二藍山を訪れる者は滅多にいなくなり、麓に暮らしていた人たちも余所に移り住んでしまったが、それまでは誰でも入れる場所として二藍山の門戸が開かれていたとのことだった。この整った脇道も、きっとその時の名残りかもしれない。
この世界には上下水道なんて便利なものは都心から離れるほど備わっていないので、二藍山近くの人里に住んでいた人たちは、この先の川で水を汲んで生活用水として使用していたのだろう。誰でも立ち入り出来るように先代の青龍が二藍山を解放していたのなら、川に続く道も誰でも入れるように整備していた可能性がある。
道端の岩や枝葉で足裏を傷つけないように気を付けながら脇道の奥へと進んでいくと、次第に水のせせらぎが大きくなる。やがて木々に囲まれた脇道を抜けると、そこには想像を絶するような大きな滝壺が姿を現わしたのだった。
「これが音の正体……?」
目の前で轟音を立てながら次々に滝壺へと落ちてくる泡状の水に瞬きを繰り返す。視界の端では跳ねた水から生まれた小さな虹までかかっていた。息を吸えば、水気を含んだ清涼な空気にすうっと癒されていくのを感じて心が軽くなっていく。滝壺の周辺には木々が集まって木漏れ日となっている箇所もあるので、神聖な滝壺の風情を味わいながら日向ぼっこをするのも魅力的かもしれない。
エメラルドグリーンの水際を覗き込むと、穏やかな波が打ち寄せては太陽の光を反射してキラキラと輝き、透明な碧水から差し込んだ陽光が水底までをも明るく照らしていた。掌を皿にして濁りの無い澄んだ浄水を掬ったところで、自然と喉が鳴ってしまう。
(飲めるよね……?)
慣れない着物で山道を歩いて体力を消耗していたからか、海音の喉はからからに渇いていた。本当はこういう自然の真水を飲む場合、先に煮沸した方がいいらしいが、今の海音は煮沸に必要な道具を持っていない。飲むとしたら、このまま口を付けるしかない。
試しにほんの少しだけ口を付けたつもりが、喉を潤す甘い水にすっかり警戒心を忘れて掌の水を飲み干してしまう。それから数回水を飲んでようやく渇きが満たされると、今度こそ足袋を脱いで指の間の消毒に専念する。手巾を水に浸して傷口とその周辺を拭くと、裾を捲ってそろそろと爪先を水の中に浸したのだった。
「ひやぁ!?」
さすがに雪解け水が混ざった滝壺の水は冷たく、傷口に染みてじわじわ痛んだが、我慢してもう片方の足と共に膝まで水に入れてしまう。次第に水に慣れてきたのか、何も感じられなくなると、つい惚れ惚れして滝を眺め出す。
(綺麗な滝。こんな滝が山の中にあったなんて……)
元の世界で海音も観光地として有名な滝壺を見に行ったことがあるが、この場所はそこよりも清浄な気が満ちているように感じられた。心が洗われるようなこの神聖な気は、水の龍脈を守護するという青龍の蛍流とその片割れである清水によるものだろうか。
パチャパチャと子供のように爪先で水を蹴っていると、足首の包帯が取れそうになる。水面から足を出して蛍流が巻いてくれたのとほぼ同じ状態になりように包帯を巻き直すと、手巾で足を拭いて足袋を履いたのだった。
草履を片手に立ち上がった海音だったが、滝近くに設置された台座とその上の苔むした大きな岩が目に入る。絶えず降り注ぐ跳ねた水で苔が生えたのだろうが、それよりも岩の表面に彫り抜かれた文字が気に掛かってしまう。
興味本位で岩に近づくと、そこには風化してほとんど読めなくなった文字から溝が深い最近彫られた文字まで、彫刻された年代や文字の癖がてんで違う文字列が上下二段に分かれてびっしりと並んでいたのだった。
昨晩蛍流に背負われて登った道を反対方向の麓に向けてゆっくり歩き出したものの、すぐに鼻緒が当たる指の間からズキズキとした痛みを感じて立ち止まってしまう。草履から足を抜いて足袋を脱げば、鼻緒が当たっていた指の間の皮膚が剥けて赤く腫れていた。よく見れば、足袋には薄っすらと血が滲んでいる。
このまま履き続けても余計に指の間を傷付けてしまうので、草履を諦めると足袋で歩き出す。
(せめて、傷口の消毒くらいはしたいな……)
このまま放っておいたら、傷口が化膿してしまう。消毒液や包帯なんてものは持っていないのが、その代わりどこかで川か湧き水を見つけて、傷を洗えればいいが……。
大きな溜め息を吐いた直後、風向きが変わったのか微かに流水音が耳に入る。首を動かしながら耳をそばだてれば、音は途中で分岐した道の先から水の跳ねる音と轟音が聞こえてくるようだった。
(こっちには何があるんだろう……)
昨日は暗くて分からなかったが、蛍流の屋敷と山の麓までの道の途中には細い脇道が伸びていた。川や滝などの水辺に通じる道なのだろうか。
昔、何かで聞いたが、山で遭難した時は川伝いに歩くと人里に降りられることがあるという。本当かどうかは分からないが、試してみる価値はあるかもしれない。寄り道になるので、川に立ち寄ってしまうと今日中には和華を連れて戻って来られないかもしれないが、その時は近くの民家に泊まって、明日戻るという連絡を蛍流にすればいい。この世界には固定電話機すら無いようだが、電報くらいなら蛍流に送れるだろう。
鼻緒で擦れて痛む足を庇いながら歩き始めた脇道は、かつて人の往来があったのか、獣道ではなく適度に人の手が入った斜面の緩やかな平坦な道となっていた。薄っすらと生えた雑草とゴツゴツした石にさえ気を付ければ、草履を履いていなくて歩きづらいということは無さそうだった。昨晩の零雨の爪痕と思しき、水溜まりや泥濘もほとんど乾いていたので、昨日よりも歩きやすい。
(運が良ければ、川下で誰かに会えるかも)
昨日案内してくれた地元民が話していたが、蛍流の先代に当たる前の青龍は地元民に限らず、青の地の住民全てから慕われるような穏やかな賢人だったらしい。
困りごとや悩みごとの相談目的で二藍山を登ってくる役人や近隣住民が大勢おり、青龍を慕う人たちが麓や近くの山間に集まって里として栄えていた時期もあったという。
代替わりして蛍流が継いだ今でこそ、人嫌いの冷淡者という蛍流の噂を恐れて二藍山を訪れる者は滅多にいなくなり、麓に暮らしていた人たちも余所に移り住んでしまったが、それまでは誰でも入れる場所として二藍山の門戸が開かれていたとのことだった。この整った脇道も、きっとその時の名残りかもしれない。
この世界には上下水道なんて便利なものは都心から離れるほど備わっていないので、二藍山近くの人里に住んでいた人たちは、この先の川で水を汲んで生活用水として使用していたのだろう。誰でも立ち入り出来るように先代の青龍が二藍山を解放していたのなら、川に続く道も誰でも入れるように整備していた可能性がある。
道端の岩や枝葉で足裏を傷つけないように気を付けながら脇道の奥へと進んでいくと、次第に水のせせらぎが大きくなる。やがて木々に囲まれた脇道を抜けると、そこには想像を絶するような大きな滝壺が姿を現わしたのだった。
「これが音の正体……?」
目の前で轟音を立てながら次々に滝壺へと落ちてくる泡状の水に瞬きを繰り返す。視界の端では跳ねた水から生まれた小さな虹までかかっていた。息を吸えば、水気を含んだ清涼な空気にすうっと癒されていくのを感じて心が軽くなっていく。滝壺の周辺には木々が集まって木漏れ日となっている箇所もあるので、神聖な滝壺の風情を味わいながら日向ぼっこをするのも魅力的かもしれない。
エメラルドグリーンの水際を覗き込むと、穏やかな波が打ち寄せては太陽の光を反射してキラキラと輝き、透明な碧水から差し込んだ陽光が水底までをも明るく照らしていた。掌を皿にして濁りの無い澄んだ浄水を掬ったところで、自然と喉が鳴ってしまう。
(飲めるよね……?)
慣れない着物で山道を歩いて体力を消耗していたからか、海音の喉はからからに渇いていた。本当はこういう自然の真水を飲む場合、先に煮沸した方がいいらしいが、今の海音は煮沸に必要な道具を持っていない。飲むとしたら、このまま口を付けるしかない。
試しにほんの少しだけ口を付けたつもりが、喉を潤す甘い水にすっかり警戒心を忘れて掌の水を飲み干してしまう。それから数回水を飲んでようやく渇きが満たされると、今度こそ足袋を脱いで指の間の消毒に専念する。手巾を水に浸して傷口とその周辺を拭くと、裾を捲ってそろそろと爪先を水の中に浸したのだった。
「ひやぁ!?」
さすがに雪解け水が混ざった滝壺の水は冷たく、傷口に染みてじわじわ痛んだが、我慢してもう片方の足と共に膝まで水に入れてしまう。次第に水に慣れてきたのか、何も感じられなくなると、つい惚れ惚れして滝を眺め出す。
(綺麗な滝。こんな滝が山の中にあったなんて……)
元の世界で海音も観光地として有名な滝壺を見に行ったことがあるが、この場所はそこよりも清浄な気が満ちているように感じられた。心が洗われるようなこの神聖な気は、水の龍脈を守護するという青龍の蛍流とその片割れである清水によるものだろうか。
パチャパチャと子供のように爪先で水を蹴っていると、足首の包帯が取れそうになる。水面から足を出して蛍流が巻いてくれたのとほぼ同じ状態になりように包帯を巻き直すと、手巾で足を拭いて足袋を履いたのだった。
草履を片手に立ち上がった海音だったが、滝近くに設置された台座とその上の苔むした大きな岩が目に入る。絶えず降り注ぐ跳ねた水で苔が生えたのだろうが、それよりも岩の表面に彫り抜かれた文字が気に掛かってしまう。
興味本位で岩に近づくと、そこには風化してほとんど読めなくなった文字から溝が深い最近彫られた文字まで、彫刻された年代や文字の癖がてんで違う文字列が上下二段に分かれてびっしりと並んでいたのだった。