蛍流お手製の朝餉――旅館の朝食並に豪勢な和食だった。を食べられるだけ食した後は、部屋に戻って言われた通りに待機する。海音が朝餉を食べている間に蛍流が持ってきてくれたのか、文机の上には和綴じの本が数冊置かれており、布団の上には蛍流が染み抜きしたという海音の薄青色の着物と新品の足袋、手巾が置かれていた。昨晩履いていた足袋は見るも無惨な状態になっていたので、屋敷に着いて草履を脱いだ際に処分してもらった。それならこの足袋は蛍流のものだろう。
ありがたく思いながら、寝巻きに借りていた着物を脱いで薄青色の着物と足袋に着替える。蛍流が染み抜きしてくれたという着物は汚れが全く目立っておらず、ほとんど昨日灰簾家で着せてもらった時の状態に戻っていた。一人で着替えるのはまだ覚束ないが、こればかりは蛍流の手を借りるわけにもいかない。
時間をかけてどうにか着物を身に付けると、他にやることが無くなったので、とりあえず布団を片付けようと押し入れを開ける。元の世界の自宅と同じ中板で上下に分かれた押し入れのうち、上段の空いていたスペースに布団を仕舞っていると、下段も場所が空いていることに気付く。
おそらくここに持ってきた荷物を仕舞うように、蛍流が場所を開けてくれたのだろう。そんな推測をしながら、がらんどうの下段から目を離して反対側の襖を開ける。
反対側の上段は同じように空いていたが、何故か下段の奥まったところに埃を被った行李がポツンと置かれていたのだった。
(何が入っているんだろう……)
その場に膝をついて奥から行李を引っ張り出すと、軽く埃を払う。舞い上がった埃で咳き込みながらも、興味本位で行李の蓋を開ける。すると中からは古新聞に包まれた双六や羽子板、毬、おはじき、独楽、お手玉、人形などの子供用の玩具が多数出てきたのだった。
「蛍流さんが昔使っていた玩具かな……?」
元の世界でも歴史の教科書や博物館でしか見たことがないような、ブリキで作られたゼンマイ式の馬の人形を手に取る。槍を構えた遊牧民らしき男が馬の背に乗ったゼンマイ式人形は、至るところが錆びて、塗装も剥がれていたものの、ゼンマイを回せばガタガタとぎこちない音を鳴らしながら畳の上を進んだのだった。
(こういうレトロな玩具、可愛いかも。この世界ではこれが流行っているのかな?)
せっかく見つけたから部屋のどこかに飾ろうかと馬の人形を行李から出して、他の玩具を見ていた時、ふと気が付いて目を留める。
(ここにある玩具、どれも二人用だ……)
薄汚れた年季の入った羽子板、紙が煤けてボロボロになった双六、土汚れが目立つ毬、汚れて濁った色をしたおはじき、複数の独楽、どれも蛍流一人用の玩具ではなく、必ず複数人で遊べるような玩具ばかりであった。今のこの屋敷に蛍流一人しか住んでいないが、かつては他に住人が住んでいたのだろうか。
(さっき、師匠さんから青龍としての名を付けてもらったって話していたし、その師匠さんと遊ぶのに使っていたとか?)
それにしても二枚の羽子板の大きさがどちらも子供用と思しき小さいサイズであることや、子供の手の大きさに合わせたひも独楽用の短い紐が数本あるところから、蛍流の師匠用と考えるにはどこか腑に落ちない。まるでもう一人、この屋敷に子供が住んでいたかのような……。
そんなことを考えながら、元通りの場所に行李を片付けていると、訪問客でも来たのか屋敷の玄関口辺りがにわかに騒がしくなる。蛍流が話していた政府の役人だろうか。粗野とも言える、複数人の靴音が遠くで聞こえていたかと思うと、やがて話し声と共に海音の部屋へ近付いてきたのだった。
「噂の伴侶どのは部屋に居りますかな。灰簾子爵家は娘が伴侶に選ばれたことを自慢していましたが、果たしてどんな別嬪なのやら……」
「市井では噂で持ちきりですぞ。眉目秀麗な佳人を伴侶どのに迎えられるとはさぞかし鼻高々でしょうぞ。虚勢を張った半人前の癖して生意気な」
「ぜひともご尊顔を拝みたいものですな。今代の青龍さまの伴侶どのは如何なる女人なのか……。まぁ、この地の気候すらまともに操れないような、青二才の若造の伴侶など、目先が利いた先代青龍さまの伴侶どのに到底敵うわけがありませんがな。傍若無人な当世娘に違いない」
「伴侶どのが何日持つか見物ですな。人嫌いの冷涼者と巷でも有名。未熟な癖して伴侶を迎えたいなど、今代の青龍さまは我が儘だけは一人前なようで」
そう言って、げらげらと下心を含んだ下卑た笑い声が徐々に近づいてくる。玄関口から海音の部屋まではそう遠くないので、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。
(ど、どうしよう……)
ここにいるのは伴侶ではなく、伴侶になるはずだった和華の身代わりとしてやって来た海音。身代わりがバレてしまう前なら自ら伴侶と名乗り出て挨拶をすることも出来ただろう。だがここに来たその日の内に、蛍流に正体を知られてしまった。
そのまま「和華」の振りをして、伴侶として顔合わせを許されたのならいざ知らず、蛍流は誰にも会わせたくないことを理由に部屋から出ないように頼んできた。
それはすなわち、蛍流にとって海音がここにいることを役人たちに知られたら都合が悪いということだろう。姿を見られないように、押し入れかどこかに隠れるべきだろうか。それとも部屋に居るはずの海音がいなくなっている方が、余計にあらぬことを詮索されてしまうか……。
(鉢合わせはマズイよね……? 偶然を装って、入れ違ったように見せかけるべき……?)
どうもあの役人たちは、蛍流にあまり良い感情を抱いていないらしい。先代の青龍――蛍流の師匠と比較してばかりいる。
年若い蛍流を見下しているのか、それとも蛍流自身に何か悪しざまに言われてしまうような問題でもあるのだろうか。どのみち海音が自ら役人たちの前に姿を現したところで、事態が好転するはずもない。蛍流を貶める材料として利用されてしまうに違いない。
それならここは下手に部屋から出ずに押し入れの中に身を潜め、厠に行った振りをしてこの場を凌いだ方が得策かと考える。さすがに役人たちも、海音が不在だからといって、勝手に部屋の中を物色するような泥棒まがいのことはしないだろう。役人たちの目的は、蛍流の伴侶である海音を辱め、蛍流との仲を裂くところにあるのだから。
海音は押し入れを開けると、先程玩具の入っていた行李を仕舞った押し入れの下段を確認する。多少埃っぽいが、体育座りをすればどうにか隠れられそうなスペースを見つけて身を隠そうとした時、部屋の前から凛然とした蛍流の問い詰める声が聞こえてきたのだった。
ありがたく思いながら、寝巻きに借りていた着物を脱いで薄青色の着物と足袋に着替える。蛍流が染み抜きしてくれたという着物は汚れが全く目立っておらず、ほとんど昨日灰簾家で着せてもらった時の状態に戻っていた。一人で着替えるのはまだ覚束ないが、こればかりは蛍流の手を借りるわけにもいかない。
時間をかけてどうにか着物を身に付けると、他にやることが無くなったので、とりあえず布団を片付けようと押し入れを開ける。元の世界の自宅と同じ中板で上下に分かれた押し入れのうち、上段の空いていたスペースに布団を仕舞っていると、下段も場所が空いていることに気付く。
おそらくここに持ってきた荷物を仕舞うように、蛍流が場所を開けてくれたのだろう。そんな推測をしながら、がらんどうの下段から目を離して反対側の襖を開ける。
反対側の上段は同じように空いていたが、何故か下段の奥まったところに埃を被った行李がポツンと置かれていたのだった。
(何が入っているんだろう……)
その場に膝をついて奥から行李を引っ張り出すと、軽く埃を払う。舞い上がった埃で咳き込みながらも、興味本位で行李の蓋を開ける。すると中からは古新聞に包まれた双六や羽子板、毬、おはじき、独楽、お手玉、人形などの子供用の玩具が多数出てきたのだった。
「蛍流さんが昔使っていた玩具かな……?」
元の世界でも歴史の教科書や博物館でしか見たことがないような、ブリキで作られたゼンマイ式の馬の人形を手に取る。槍を構えた遊牧民らしき男が馬の背に乗ったゼンマイ式人形は、至るところが錆びて、塗装も剥がれていたものの、ゼンマイを回せばガタガタとぎこちない音を鳴らしながら畳の上を進んだのだった。
(こういうレトロな玩具、可愛いかも。この世界ではこれが流行っているのかな?)
せっかく見つけたから部屋のどこかに飾ろうかと馬の人形を行李から出して、他の玩具を見ていた時、ふと気が付いて目を留める。
(ここにある玩具、どれも二人用だ……)
薄汚れた年季の入った羽子板、紙が煤けてボロボロになった双六、土汚れが目立つ毬、汚れて濁った色をしたおはじき、複数の独楽、どれも蛍流一人用の玩具ではなく、必ず複数人で遊べるような玩具ばかりであった。今のこの屋敷に蛍流一人しか住んでいないが、かつては他に住人が住んでいたのだろうか。
(さっき、師匠さんから青龍としての名を付けてもらったって話していたし、その師匠さんと遊ぶのに使っていたとか?)
それにしても二枚の羽子板の大きさがどちらも子供用と思しき小さいサイズであることや、子供の手の大きさに合わせたひも独楽用の短い紐が数本あるところから、蛍流の師匠用と考えるにはどこか腑に落ちない。まるでもう一人、この屋敷に子供が住んでいたかのような……。
そんなことを考えながら、元通りの場所に行李を片付けていると、訪問客でも来たのか屋敷の玄関口辺りがにわかに騒がしくなる。蛍流が話していた政府の役人だろうか。粗野とも言える、複数人の靴音が遠くで聞こえていたかと思うと、やがて話し声と共に海音の部屋へ近付いてきたのだった。
「噂の伴侶どのは部屋に居りますかな。灰簾子爵家は娘が伴侶に選ばれたことを自慢していましたが、果たしてどんな別嬪なのやら……」
「市井では噂で持ちきりですぞ。眉目秀麗な佳人を伴侶どのに迎えられるとはさぞかし鼻高々でしょうぞ。虚勢を張った半人前の癖して生意気な」
「ぜひともご尊顔を拝みたいものですな。今代の青龍さまの伴侶どのは如何なる女人なのか……。まぁ、この地の気候すらまともに操れないような、青二才の若造の伴侶など、目先が利いた先代青龍さまの伴侶どのに到底敵うわけがありませんがな。傍若無人な当世娘に違いない」
「伴侶どのが何日持つか見物ですな。人嫌いの冷涼者と巷でも有名。未熟な癖して伴侶を迎えたいなど、今代の青龍さまは我が儘だけは一人前なようで」
そう言って、げらげらと下心を含んだ下卑た笑い声が徐々に近づいてくる。玄関口から海音の部屋まではそう遠くないので、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。
(ど、どうしよう……)
ここにいるのは伴侶ではなく、伴侶になるはずだった和華の身代わりとしてやって来た海音。身代わりがバレてしまう前なら自ら伴侶と名乗り出て挨拶をすることも出来ただろう。だがここに来たその日の内に、蛍流に正体を知られてしまった。
そのまま「和華」の振りをして、伴侶として顔合わせを許されたのならいざ知らず、蛍流は誰にも会わせたくないことを理由に部屋から出ないように頼んできた。
それはすなわち、蛍流にとって海音がここにいることを役人たちに知られたら都合が悪いということだろう。姿を見られないように、押し入れかどこかに隠れるべきだろうか。それとも部屋に居るはずの海音がいなくなっている方が、余計にあらぬことを詮索されてしまうか……。
(鉢合わせはマズイよね……? 偶然を装って、入れ違ったように見せかけるべき……?)
どうもあの役人たちは、蛍流にあまり良い感情を抱いていないらしい。先代の青龍――蛍流の師匠と比較してばかりいる。
年若い蛍流を見下しているのか、それとも蛍流自身に何か悪しざまに言われてしまうような問題でもあるのだろうか。どのみち海音が自ら役人たちの前に姿を現したところで、事態が好転するはずもない。蛍流を貶める材料として利用されてしまうに違いない。
それならここは下手に部屋から出ずに押し入れの中に身を潜め、厠に行った振りをしてこの場を凌いだ方が得策かと考える。さすがに役人たちも、海音が不在だからといって、勝手に部屋の中を物色するような泥棒まがいのことはしないだろう。役人たちの目的は、蛍流の伴侶である海音を辱め、蛍流との仲を裂くところにあるのだから。
海音は押し入れを開けると、先程玩具の入っていた行李を仕舞った押し入れの下段を確認する。多少埃っぽいが、体育座りをすればどうにか隠れられそうなスペースを見つけて身を隠そうとした時、部屋の前から凛然とした蛍流の問い詰める声が聞こえてきたのだった。