「清水から聞いたのだが、お前がこの世界に来た原因というのがおれの言葉にあったそうだな。かつて約束を交わした少女――お前のことを話してしまったばかりに……」

 どうやら海音が臥せっている間に蛍流は取り戻した記憶――かつて清水が蛍流から貰い受けた記憶について、清水から詳細を聞かされたらしい。
 形代の資格を失った時に清水から蛍流に記憶が戻り、そして再び蛍流は形代の任に就いたが、記憶はそのまま残ったのだろう。それとも海音との十年越しの約束を得たことであの世界との繋がりが完全に途切れ、もう蛍流から記憶を奪取する必要は無いと判断したのか。
 
「そんなことはありません。私もまた会いたいと思っていましたし……」
「だがその結果として、お前がこの先あの世界で得るはずだった未来や享受するはずだった人並みの幸福を奪ってしまった。看護婦になるという夢や両親や友人さえも……悔やんでも悔やみきれない。初めて会った時は怪我まで負わせてしまった。どう償えばいいのだろうな」
「看護師になる夢はこの世界でも叶えられますし、怪我だって綺麗さっぱり無くなりました。怪我の償いもされました。綺麗な着物や可愛い小物。怪我に塗る薬と盗まれた洋服をいただいて、手習いも教えてもらいました。今だって伴侶として名前をいただきましたし、白無垢やウエディングドレス、色打掛まで用意していただけることになって、至れり尽くせりです。貰いすぎて申し訳ないくらいです。それに……」
「それに?」
「十年前の出会いは偶然だったとしても、この再会は運命だったと思いたいです。私たちはお互いのことを忘れていたにも関わらず、こうして別の世界で再会して、あの日に交わした約束を果たせました。大勢の人間の中から顔も名前も知らない相手を探すというのは、きっと砂漠の中から一粒の砂金を探すのと同じくらい難しくて、手がかりがほとんどない状態から探し人を探すというのは不可能に近い気がします。それでも私たちは巡り会えました。こういうのを運命と言うのかもしれません。私たちは出会うべくして出会って、結ばれるべくして結ばれたみたいな……」

 自分で語っていてだんだん羞恥で顔から火が出そうになる。両手で頬を押さえながら、慌てて目を逸らす。すっかり蛍流の饒舌が移ってしまった。おかしな運命論者と思われたかもしれない。それともまだ熱があると勘違いされるか。
 恐る恐る蛍流の様子を伺うが、蛍流もまた頬を赤く染めながら明後日の方向を見ていた。海音の視線に気付くと、ハッとしたようにもごもごと話し出す。
 
「お前が運命と言うのならそうなのだろうな。おれたちは運命の糸によって繋がっていた。約束という名のか細くも長い糸で。それをおれが手繰り寄せてしまった。もう一度、会いたいと、心のどこかで願ってしまったから……」
「もしまた会えたのなら、今度こそ対等な友人関係になりたいと思っていたんです。あの日はそんなことを考える余裕が無くて、後からちょっとだけ後悔しました。なったのは友人関係ではなく夫婦の関係でしたが……でももう充分です。あの時の男の子が誰もが羨む素敵な人になっていて、こんなにも私を大切に想ってくれるだけで幸せです」

 心からそう思ったからこそ口にしただけだったのたが、何故か蛍流は困ったように眉を顰めてしまう。

「お前はもっと我欲を口にしたって良いくらいだ。妻の願いを叶えるのも夫となるおれの役目。おれに愛されるだけで良いではなく、お前を愛するおれにしか叶えられない願いを言ってくれ」
「それなら一つだけ、お願いしてもいいですか?」
「何だろうか?」
「全てが解決してまだ間に合うのなら、桜を見に行きたいです。お弁当を持って、蛍流さんと昌真さんと私の三人、あっ! シロちゃんたちも誘いたいです。清水さまも是非っ!」
 
 海音の言葉に面食らったのか蛍流は藍色の目を何度も瞬いたが、やがて「そんなことで良いのか?」と訝しむように尋ねてきたのであった。
 
「もっとこの世界や蛍流さんのことを知りたいんです。蛍流さんがこの世界で得たものも……。お花見をしながら、師匠さんとのお話や昌真さんとの思い出話をたくさん聞かせて下さい」
「喜んで聞かせよう。ただ少し心配だな。お前が兄さんに心変わりしてしまわないか。昔からおれよりも兄さんの方が格好良かったから。兄さんは師匠に似て見目麗しく背格好も整っている。深みのある妖しくも艶のある低声は耳心地が良い。周囲をよく観察して冷静に物事を判断出来るところも。おれには欠けているものばかりだ」
「浮気なんてしません、私は蛍流さん一筋です。そんな蛍流さんだって綺麗な顔立ちをしていますし、とっても透き通るような綺麗な声ですよ。晶真さんと並ぶとそっくりで、知らない人が見たら血の繋がった兄弟と思ってしまうくらい似ています」
「そっ、そうか……今の兄さんは師匠の若い頃と瓜二つらしいのだ。おれが似ているのはきっと師匠の真似をしているからだろう。普段着ている着物というのも元は師匠が遺してくれたもので、仕立て直して着ているだけだからなっ……!」
「でも顔立ちや声までは真似出来ないですよね。そんな甘い声で優しい言葉を囁かれてキスされると、その……照れてしまいます……」
「それならこれからはもっとこの胸に溢れる情愛を口にしよう。兄さんに取られないよう、おれだけをその目に映して、いつまでも愛して欲しいからな」
「それって蛍流さんの我欲ですか?」
「……そういうことになるな」

 そうしてしばらく恥ずかしがってお互いに顔を背け合っていた二人だったが、やがて蛍流がポツリと呟いたのだった。