おっと、夜も明けて太陽も昇り始めた。
 いつまでも川縁に行くわけにはいかないので、俺は首枷のせいで体力が削られていたユキリーンを背負って、ピナレラちゃん、男爵と一緒に屋敷へ戻った。

 途中、ピナレラちゃんがユキリーンにあれこれ健気に話しかけていて、俺はもう堪らない気持ちになった。
 まだだ……まだ、うちの娘はやらぬ!

 命からがら逃げてきたと思われるユキリーンは、川に浸かってた下半身はともかく上半身は泥だらけだ。背負った俺も泥まみれ。
 それに川に浸かり続けて身体が冷え切っていた。

「ユキりん。温泉があるんだ。硫黄泉だからちょっと臭いが身体はあったまるぞ」
「あ、はい、それは大丈夫ですけど……ユキりん?」

 俺の愛称呼びに首を傾げている。可愛いだろユキりん。俺もユキちゃんだしな。

「ピナレラちゃんは俺と、この子が着れそうな着替えを持ってきてくれるかい?」
「あい!」

 指令を受けて、ピャーッとピナレラちゃんが屋敷の中へ駆けていく。男爵は「元気だねえ」と笑って俺たちに汚れを落として後からゆっくり来るよう言ってくれた。



 もなか村役場の温泉は、異世界転移してきた時点でど田舎村の源泉とつながっていた。
 どちらも硫黄泉だったので効能は変わらない。俺もユキりんも脱衣室に入る前に外で泥のついた服と靴を脱いだ。帰りに男爵の屋敷に持って洗ってもらおう。

 下着いっちょで互いに脱衣所に入ったが、……ヤバいな。ユキりん、肌真っ白……じゃなくて、その白い肌のいたるところに鞭のミミズ腫れがあって痛々しい。

「その身体じゃ熱い湯船にゃ入れないだろ。ぬるめのお湯で頭と身体洗ってな」
「……はい」

 浴場の椅子に座らせて洗うのを手伝ってやったんだが、……酷い状態だ。泥を落とす前は気づかなかったが、これ何ヶ月も風呂に入れてない状態だったろ。
 少し擦ると梳かしてなかった髪はごっそり抜けたし、肌もちょっと擦るだけで垢が出る。鞭の跡が痛そうなのでしっかり肌を磨くのは治ってからだな。

「あとで男爵に話、聞かれると思うけど。大丈夫か?」

 ぱっとユキりんの身体を見た感じ、鞭で痛めつけられた跡と首輪の跡はあっても、それ以外の暴力を受けた形跡はなかった。……良かった。
 ただ肋骨が浮いて見えるほど痩せちまっている。奴隷商から逃げてきたと言ってたか。ろくな待遇じゃなかったことがわかる。

「話せることは、話します」
「そっか。男爵のところ行けば飯も食わせてもらえるから」
「え、いや、そんな」

 ここに至って遠慮を見せたユキりんだが、ご飯と聞いて薄い腹が「くぅ~」と鳴いた。腹の虫は正直だな。

「最後に飯食ったのはいつ?」
「一日ちょっと前です。その前も大して食事は貰えてなくて……」

 ならパンやご飯より、ばあちゃんに頼んでお粥でも作ってもらうか。
 あれこれ話しながら浴場から脱衣所に戻ってくると。

「おきがえ、もってきまちた! ……キャッ」

 ちょうどピナレラちゃんが戻ってきたところだった。
 タオルは持ってたがフルチンの俺とユキりんを見て、……いや俺はスルーされてユキりんだけを見て照れたピナレラちゃんは、そのまま恥ずかしがって外に出て行ってしまった。すまぬ、見苦しいものを見せてしまった……
 この時点で俺はもうピナレラちゃんに男扱いされてない。いやされても困るんだが、つらい。

 と思ったらまた戻ってきて、そそくさと俺に着替えを渡して、チラッチラッとユキりんを見ながら温泉小屋を出て行った。

「……とりあえず着替えようか」
「……そうですね」

 俺はTシャツとジーンズ、ユキりんには白の綿シャツと同じく綿のカーキ色のズボン。ちゃんと下着も入っていた。男爵が手配してくれた物のようだ。



「ユキちゃん、お帰りなさい。ご飯はもうちょっと待ってな?」

 男爵の屋敷に戻るとばあちゃんたちが出迎えてくれた。
 時刻は朝の六時を少し過ぎたところ。屋敷の中には米の炊ける匂いが漂い始めている。朝は新しくまた炊いたようだ。

 俺たちは食堂のテーブルについて、食事ができるまで待つことにした。

「ばあちゃん、こっちは」
「ユキリーンと申します」
「あんら男の子なのにめんこいなあ。私は御米田空。孫のユウキとよろしくねえ」

 飯が炊けるまでの間にユキりんとばあちゃん、村長や勉さん、男爵や屋敷の人たちとも自己紹介し合っていた。
 皆、ユキりんの美少年ぷりに驚いている。
 そう、俺が美少女に間違えたユキりんは、温泉で洗って男物のシャツを着たらちゃんと年頃の男の子に見えるようになった。
 しかし可愛い顔はそのままだ。ばあちゃんは品のいいご婦人に見えてアイドル好きのミーハーなので喜んでいる。

 だが話は後だ。隣国の奴隷商から一晩かけて嵐の中を逃げてきたユキりんは、もう体力が限界だった。飯ができるまで意識が持ちそうにない。
 俺はばあちゃんちから持ってきた荷物の中から粉のスポーツ飲料のもとを取り出して、汲み置きのど田舎村の湧き水に溶かしてユキりんにグラスを渡した。

 むう……やはりスポドリが薄っすら光っている。これは水に秘密があるの確定だな。
 ユキりんにもその光が見えているようで驚いていたが、まずは飲めと促した。

「大丈夫、水分補給のためのジュースだ。それ飲んで一眠りしろ、そんで起きたら飯だ。ちゃんと君の分も残しておくから」
「はい……」

 日本のスポドリは甘さと酸味のバランスが良くて飲みやすい。やっぱり喉も乾いていたようで、一気に飲み干してすぐユキりんは椅子に座ったまま寝落ちした。
 男爵が談話室にソファがあるというので、横抱きして数時間寝かせておくことにした。

 うーん。寝顔も可愛い。
 俺は一ミリも展開しなかったロマンスの名残りを惜しみながら、顔にかかったユキりんのショコラブラウンの前髪を払ってやったのだった。