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私はブランチウッド男爵モーリス。
魔法魔術大国アケロニア王国の誉れ高きアルトレイ公領を任されている貴族だ。
……まあ国内では『ど田舎領』の別称のほうが有名なんだけどねえ。
ど田舎領はアケロニア王国の最果て、最北部に位置する飛び地だ。ど田舎郷、ど田舎村、ど田舎町で形成されている。
幸い、周囲が山と川に囲まれて魔物の被害も少ないため、突発的な災害や他国の侵攻さえなければ穏やかで住みやすい土地である。
元は王家の直轄地で、必ず王族や王家の親族が大公として治めていた。
しかし百年ほど前、当時の幼い次期大公や関係者らが次々と行方不明になる事件の後、王族は皆、失意のまま王都に引き上げてしまった。
王族がいた頃は保養地の一つとして栄えていたって話だけどねえ。良い温泉もあるから湯治もできるのに。今では老人ばかりの緩やかに滅びを待つだけの僻地となってしまった。
先日、我が領内の『ど田舎村』に異世界人がやってきた。しかも村ごと。
この世界に異世界の来訪者は珍しくないが、さすがに土地ごとは私も初めて聞くね。
〝観〟たところ悪人は一人もいなかったから、国際法の『異世界人保護条例』に則って我が領でそのまま全員保護することにした。たった四人だけどね。
今日の午前中はそのうちの一人、ツトムという男性を案内していた。他の異世界人たちは彼をベンと呼んでたけど、本人に確認したらどちらで呼んでも良いと言うので私もベンと呼ばせてもらおう。
ど田舎村の特産、薬草のポーション加工を担当する、私の部下でもある薬師のもとへだ。
ベンは年齢は五十代後半。目が見えないほど分厚いレンズの丸い黒縁眼鏡をかけた男だ。痩せぎすで顎はやや四角く無精ヒゲが少し。
短い髪は薄くて細く、半分以上白髪になっている。
残った髪の色が問題だ。『黒』この色はアケロニア王国では王族特有の貴色とされて、王族の血を持たない貴族や平民に出ることはない。他国だと別々ならいるんだけどね。
それを言ったらあのユウキという若者なんて髪も目も真っ黒で、私は見た瞬間思わず息を飲んだよね……王都の学園に通ってた頃、今の国王陛下と同級生だったんだけどまったく同じ色だもの。
「おい。いつからこの村は中級ポーションまで作れるようになったんだ?」
「どうしたんです、ベン」
「ええがら! いつからだ!」
昔の思い出に浸っていると、鋭く声をかけられた。随分と圧の強い口調だ。同じ異世界人のユウキ君や祖母君のクウさんはあんなに穏やかで柔らかな話し方なのにね。
「ここ百年ほどでしょうか。領から王族が引き上げてしばらくした頃に、急に領内で育てていた薬草の品質が上がったんです」
「理由は」
「不明ですが、当時の記録によるとダンジョンだった〝龍の眠り穴〟が大地震の崩落で陥没して閉鎖された後からですね。何か関連性がないか当時も調べたみたいですが、やはり原因は不明のまま」
「……ほが」
頷いて、ベンは薬師工房の室内を見回した。生のままや乾燥させた薬草の束、すり鉢、加熱用のビーカーや出来上がったポーションを入れる瓶などが雑多に溢れている。
ツトムのぶ厚い眼鏡越しの視線が、出荷前のポーションの完成品の収まった木箱を見つけたようだ。
「領主。悪いがこれ一本くれ。ほんで点眼器あったら貸してけろ」
彼ら異世界人とは言語が通じるが、この四人は独特の訛りがあって少し聞き取りにくい。だが集中して聴くと不思議と理解できる。
ベンが指さしたのは話していた中級ポーションだ。これ一本で大銀貨一枚するが、……そうか、彼は足が悪いようだから効果を試したいのかな。
でもなぜ点眼器?
「ベン、足を治したいなら服用がベストですよ」
「足などどうでもええ! おらは目が先だ!」
「そ、そうなのですか?」
ベンの勢いに気圧されてる私を見かねて、配下の薬師が点眼器を持ってきた。ポーションを小瓶に入れ替えて、スポイト部分を取り付けるタイプのものだ。
ベンはおもむろに眼鏡を外した。私たちは彼が目が先だと言った理由を理解した。彼の両目は目の周りが陥没して半ば潰れていたからだ。眼球も濁っている。
「若い頃にな。派手に喧嘩してこの有様だ」
吐き捨てるように言って、点眼器でポーションを潰れかけた目に垂らしていく。顔の端に垂れた分は手で目の周りに塗り込めるように擦り付けている。
私たちは固唾を飲んで彼を見守った。彼の潰れかけた目や目の周りが少しずつ癒えていく。
そうして開かれた瞳に私は息を飲んだ。――黒。
慌てて部下の薬師とその場に跪いた。が、彼はすぐ立つよう言って、事情を説明してくれた。
話を聞いて、これまで彼ら異世界人たちに感じていた疑問が氷解した。
「やはり……そういうことでしたか」
「んだ。あんだ、勘がいいと思ってただよ」
そう。彼は、いや彼らは、かつてこの領から行方不明になった王族たちだ。