異世界転移!?~俺だけかと思ったら廃村寸前の俺の田舎の村ごとだったやつ

「おにいちゃ! おばあちゃ! あっちは?」

 田畑の見回りの途中でピナレラちゃんが山々を指さした。もなか村の山だ。俺たちは山も川も含めた村ごと転移してきている。

「あっちはばあちゃんの山だあ。ピナレラちゃん、明日早起きするなら連れてくで」
「ほんと? あたちはやおきちゅるうー!」
「……くっ」

 俺は思わず小さく呻いた。する、がちゅる、になってるピナレラちゃんめんこい。
 これがあれか、尊いという感覚か。俺の自分では悪くないと思ってる顔がゆるんゆるんに蕩けているのがわかった。

 ゆっくり村の中を散策して、陽が落ちてくる前に俺たちは帰路についた。
 ばあちゃんと手を繋いでおしゃべりするピナレラちゃんを、俺は後ろから見守りながら歩いた。

 そしてふと考え込んでしまった。
 多分もう元の世界には戻れないんだろうな、と。
 実は昼過ぎに男爵の屋敷から自宅に戻る前、男爵からこっそり教えられていたのだ。

『異世界から転移してきた人で、元の世界に戻れた記録は残ってないんだ。もし君たちがこの世界に骨を埋める覚悟ができたなら教えてくれ。――戸籍はその後で作るからね』

 ……次元の狭間で会った虹色キラキラの宇宙人トリオは帰れるみたいなことを言ってたんだがなあ。
 これが元の世界に帰れる方の異世界転移なのか。帰れないほうなのか。今のところ判断材料がなかった。

 でも、もし本当に帰れないとしたら。そう考えるとどこかホッとした自分がいた。
 多分、ばあちゃんや村長、勉さんも、この新しい生活に覚悟を決めている様子だったからだろう。

「おにいちゃ! おにいちゃもはやおきして! やま、あそびにいきまちょ!」

 ピナレラちゃんが元気いっぱいに駆け寄ってきて、俺の手を引っ張った。小さくて柔らかな手の感触。歩き回ったからお互い汗でちょっとしっとりしている。
 柘榴色の透き通ったお目々をキラキラさせた無邪気な笑顔に、俺は悩みが吹っ飛んでいくのを感じた。

「いいよ、行こうか!」と答えながら、俺はふと思った。
 もう、このままど田舎村に帰化して、ピナレラちゃんを引き取って……そんな未来も悪くないかもしれない。
 だって日本に戻ってもなか村の村長に就任して、それでどうなる? 確かに故郷の村は大切だし村長の給料額は魅力的だったが、待っているのは犯罪すれすれの隠蔽工作に明け暮れる日々だ。
 それで俺、幸せか? と。

 日本に戻ったらきっとまた俺は元カノのことを思い出して、夜中に渡せなかった指輪を見ては泣いてしまうだろう。
 日本とは何もかも違う異世界(ここ)にいれば、辛い記憶も薄れていくんじゃないか? 新しい生活にそんな期待があった。

 異世界転移やこの村は、まるで新しい章に入ったようだった。
 異世界人だからと迫害されることもなく、食うことも寝ることも困らず、人々は優しい。
 悩む時間は無駄じゃないか? このど田舎村で、新たな人生を歩んでもいいんじゃないか?



 その日の夕食はばあちゃんが気合いを入れて米を炊いた。もなか村の特産、ささみやびだ。
 ピナレラちゃんが気に入ってくれるといいけど。

 日本にいたなら炊飯器を使うことが多かったが、ここはいつ電気が途切れるかわからない異世界だ。ばあちゃんは物置から大きな土鍋を引っ張り出してご飯炊き用に決めたようだ。

 俺とピナレラちゃんは台所で料理するばあちゃんを後ろのテーブルから見学だ。ピナレラちゃんはお手伝いしたがったが、まだどこに何があるか把握してないだろうし流し台も高くて危ないからな。
 普段、食事は居間のちゃぶ台で取ることが多いのだが、朝など時短で済ませたいときは台所のテーブルを使う。

 今どきの炊飯器は高機能だしばあちゃんちのも釜炊き機能が付いたものだった。
 が、やはり土鍋炊き最強。外の見回り前に浸水してあった米と水を土鍋に入れ、強火にかける。沸騰してきたらそのまま吹きこぼれてもじっと我慢。はじめちょろちょろなかぱっぱ、のご飯炊きの極意の火加減で何回かに分けてコンロの火を弱火へと調整していく。
 だいたい土鍋炊きだと沸騰から十数分ほどで炊くのは終わる。最後の一分だけまた強火に戻すと……あああああ。チリチリと土鍋の底でご飯が焦げていく匂い。もちろん完全に焦がすわけじゃない。炊飯器では作りにくいお焦げを作っているのだ。

 そこから更に十分そのまま蒸らす。米を炊いて蒸らすその間にささっとばあちゃんは味噌汁とおかずを作っていた。さすが主婦歴半世紀超え。手際がいい。

 蒸らし時間も終わり、土鍋の蓋を開けると……
 ぶわーっとほんのり甘く香ばしいご飯の匂いが台所いっぱいに広がった。これは何回体験しても幸福な瞬間だなあと思う。
 ピナレラちゃんは土鍋から上がる真っ白い湯気にビックリして大きな目をパチパチ瞬かせている。

 ……ふ。異世界の幼女よ、もなかの米、たんと召し上がれ!

 おにぎり、といって想像するのはどんな食べ物だろうか?
 大抵の人は中に具が入って、焼き海苔で包んだものをイメージすると思う。俺もそうだ。

 ただ今回はおにぎり初体験の幼女ことピナレラちゃんがいるので、ばあちゃんは具は各自で好きなものを後のせできるよう、白い塩むすびだけを大量に作った。
 三人だけなので大量といっても大した量ではない。普段俺たちが食べているサイズだとまだ四歳児のピナレラちゃんは食べきれないので、ばあちゃんはピンポン玉サイズの小さな塩むすびを握るそうだ。

 まず土鍋の中でごはんを底からしゃもじで空気を含ませるようにかき混ぜる。うお、お焦げがいい感じにできている! これは期待が高まりますな。
 そのまま土鍋からでもいいんだが、ばあちゃんは一度、木のお(ひつ)にご飯を移して少し水分を飛ばす。こうすると余計な水分が抜けて握りやすくなるし、ご飯がより、もちっとした感触になるのだ。
 あとは手をよく洗って、そのまま濡らした手に塩を少し。二口分ぐらいのご飯を気持ち平らにして、軽くまあるく丸めて皿に並べていく。

「わああ……」

 その素早さたるや、さすがばあちゃん。次々並べられていく白ごはんのミニおにぎりにピナレラちゃんも驚いている。

「ユキちゃん。小鉢におかずとおにぎりの具、盛ってけろ」
「わがった」

 言われるままに梅干しや昆布の佃煮を出したり、削り節に醤油を混ぜておかかを作ったり。
 梅干しは毎年ばあちゃんが干して漬けてる自家製。粒が大きいストロング酸っぱいやつだ。これは一応種を取って小さくちぎっておくか……
 作ってすぐ食べるなら俺は塩辛なんかも好きだが、あれはまだピナレラちゃんには早い。お酒の味を覚えるお年頃になってからだ。

 冷蔵庫にあったものはいくつか出し終えた。
 あとは何があったか、と戸棚を見ると買い置きのツナオイル缶や瓶詰めがある。

「ピナレラちゃん、ツナは好きかい?」
「ツナってなあにー?」
「お魚をスープと油で炊いたものなんだけど」
「おしゃかな! ちゅき!」
「うん。じゃあこれも食べてみようか」

 ヤバいな。既にピナレラちゃんの〝ちゅき〟のためならどんな犠牲でも払えそうな俺がいる。

 ツナにマヨネーズを混ぜて小鉢に移し替えたところで、ばあちゃんも塩むすびを握り終えていた。

 ふふ、炊き立てでつやつやのささみやび。よくご飯を褒める言葉に「お米が光っているよう」と言われることがあるが、……いや待て。
 ばあちゃんの握った塩むすび、なにか薄っすら光って……ないか……?

 俺は手の甲で軽く両目を擦った。目を開く。塩むすびを見る。……気のせい、か? いやでもやっぱり薄っすらぼんやり白く光っているような……?

 だがそれに気づいたのは俺だけだったようだ。ばあちゃんもピナレラちゃんも何も見てないかのように自然にスルーしている。
 米はもなか村産だ。研いで炊いたのはばあちゃんだが、うーん……異世界(ここ)の水の影響なんだろうか……?

「ユキちゃんー。お皿運んでけろー」
「あ、はーい!」

 俺は考えるのをやめた。細かいことを考えるのは飯の後でもよかろうて。

 小さな手が、取り皿から小さな塩むすびを掴む。
 お口を大きく開けて、あむっとまずは躊躇いなく一口かぶりつき。するとピナレラちゃんは不思議そうな、驚いたような顔になって残りも一気に口に放り込んだ。
 しばらくもぐもぐした後、俺とばあちゃんを何度も交互に見た。そして。

「おいちい! おこめ、おいちい~!」

 ピナレラちゃんの〝おいちい〟いただきました!

 俺たちはまず試しに、塩だけの小さなおにぎりをピナレラちゃんに食べてもらった。
 ここアケロニア王国のど田舎村とは違う食べ方だから、もし苦手ならばあちゃんはすぐさまリゾット風にミルクとチーズを加えて雑炊リメイクできる準備をしていたのだが。

「おいちい! もちもちちてるう~!」

 小さな塩むすびを二口で食べ尽くし、二個目にも手が伸びた!

「ピナレラちゃん、こっちの具をのっけて食べてみて。気に入ったものがあれば、ばあちゃんがまた作ってくれるから」
「ためちまちゅ!」

 うんうん。好奇心旺盛なのはいいことだ。
 それからピナレラちゃんは片っ端から塩むすびに具を試していった。
 海苔や昆布の佃煮は甘からい味付けが気に入ったようだ。ついでに小さな塩むすびを焼き海苔で包んだものもパリパリして「おいちい」いただきました!
 この辺はふつうに炊き立てご飯にのっけても旨いやつだ。

 時折り箸休めの漬け物も勧めてみた。異世界転移の前日にばあちゃんが仕込んでた塩麹のキュウリとカブの浅漬けだ。
 さすがにスプーンとフォーク文化のど田舎村育ちのピナレラちゃんにまだ箸は使えない。今日の夕飯をおにぎりにしたのは手で掴んで食べられるからだ。

「ぱりぱりちてておいちい!」

 ピナレラちゃん、和食の味付けにまったく抵抗がない。それだけばあちゃんの料理が美味いってことかもだが。
 ()み豆腐、他の地域では高野豆腐の名前が有名な干した豆腐とぜんまい、ニンジンを出汁で煮物にしたものは「もきゅもきゅする~」と凍み豆腐特有の感触を楽しんでいた。
 ぜんまいも平気とは。日本だと小さい子供や若い人は苦手なことも多いんだが。もしかしてピナレラちゃんは好き嫌いのない子かもしれない。

「ピナレラちゃん、酸っぱいものは平気かな?」
「あまじゅっぱいのはしゅき」

 む。なら梅干しはやめておくべきか。
 と思ったら食べてみたいと言うので、ほんのちょっとだけ塩むすびの上にのせてあげた。
 ぱくっとそのまま梅干しごと頬張る……

「ちゅっぱい」

 やっぱり。めんこい顔全体をきゅーっとしわくちゃにして悶えている。

「くせになるあじ」

 だがしばらく口の中でもごもごさせて飲み込んだ後、今度は梅干し単体でつまんで更に一口食べていた。で「ちゅっぱい」とまたじたばたしている。

 他におかかもピナレラちゃんはいけた。
 うちはそのとき家にある削り節に、醤油と白ゴマを混ぜるタイプ。今日はオーソドックスにカツオ節で。日によってはサバ節やイワシ削りのこともある。
 特にイワシ削りは………………おっとこれ以上はいけない。そろそろピナレラちゃんもお腹いっぱいになりそうだ。

 塩むすび二個。昆布一個、海苔の佃煮一個、梅干し一個、おかか一個。
 今回、ばあちゃんが握った塩むすびはピンポン玉サイズ。三個でコンビニおにぎり一個分てところか。
 ピナレラちゃんまだ小さいが、この量だとおにぎり二個食べられる胃のサイズってことになる。

「もういっこたべる」

 ! まだいけたか。ならばと俺は秘密兵器を準備した。子供の大好きなおにぎりの具ランキングの常に上位ランクインするという、あの!

「ツナマヨだよ。これも試しにおひとつどうぞ」

 こちらは最初から焼き海苔に塩むすびをのせて、スプーンでツナマヨをオン。
 中身をこぼさないよう上手く掴んでピナレラちゃんがツナマヨを食べる……!

「!?」

 ツナマヨおにぎりにピナレラちゃんがビックリ顔になる。今までの具とはちょっと種類の違う反応だった。
 これはどっちだ。どっちなんだ……!

「ちゅごい。おいちい。おいちい。おいちい~!」

 まさかの〝おいちい〟トリプルいただきました!
 幸せそうにもぐもぐするピナレラちゃんに、俺もばあちゃんもニコニコだった。
 その後ピナレラちゃんはツナマヨフィリングだけを追加で食べたがった。なるほど、マヨ系の味付けが気に入ったと見える。ばあちゃんが生野菜をいくつかスティックに切って持ってきてくれたので、野菜ですくってまた嬉しそうにもぐもぐしていた。

 こうして俺とばあちゃんのピナレラちゃん歓迎会は成功を収めたのだった。
 今日は用意しなかったが、おにぎりの具にはまだまだバリエーションがある。冷凍庫にはタラコも明太子もあるし、鮭の切り身もあったはずだ。高菜もあるし、何よりおにぎりにはまだまだ〝おいちい〟がたくさんある。

 楽しみにしててくれよな、ピナレラちゃん!

 夕食後、食器の片付けは俺が担当して、その間にばあちゃんはピナレラちゃんと一緒に風呂に入ってもらった。
 太陽光発電で一日分の風呂用プラスアルファの温水が温まっているから、水が使える今回の異世界転移でもそのまま家の風呂が入れるわけだ。

 ただプロパンガスの残量が心許なかったので、念のためガス消費の激しいシャワーは使わず、お湯は風呂の湯船に貯めた分を使うことにした。
 男爵から貰った魔石で風呂の給湯器も稼働できそうだが、念のためな。念のため。

 風呂の湯が冷めないうちに俺も入浴して、上がってきたら居間でピナレラちゃんがばあちゃんの膝枕で眠っていた。
 よかった、ばあちゃんにもすっかり懐いたようだ。安心しきった顔ですーすー寝息をたてている。めんこいなや。

「今日は元気にはしゃいでたがらねえ」

 優しくピナレラちゃんのキャラメル色の髪を撫で撫でしながら、ばあちゃんが微笑んでいる。
 いいなあ、俺も小学校に上がるまではああしてばあちゃんのお膝に懐いてたっけなあ。
 ばあちゃんとピナレラちゃん、正直どっちも羨ましいぞ。

「あ、あのさ。ばあちゃん。俺ちょっと考えてみたんだけど」

 動けないばあちゃんに変わって、お茶を入れる。いつもちゃぶ台に置いて使っている保温付きの電気ポットだ。電源コードは取り外して、代わりに男爵から貰ってきた小さな魔石を側面に養生テープで貼り付けてある。……問題なくスイッチが入りお湯が沸く。異世界すごすぎだろ。こんな雑な扱いで使えるのか魔石。
 もう夜なのでカフェイン少なめの番茶を飲みながら、俺は切り出した。

「うん。どがんした?」
「……もし、このまま日本に戻れなかったら。俺、ピナレラちゃんと……」



 俺は今日一日考えてたことを、頭の中でまとめながらばあちゃんに話した。
 そう、このまま日本に帰れないこと前提で、もうど田舎村に帰化してしまおうという話だ。

「そうかあ。もう日本に未練はないのけ?」
「なくはないけど。でもこのままピナレラちゃんを引き取って、この子が大人になるまで面倒見る人生もいいんじゃねがって」

 それからいくつか、互いの意見を確認しあった。
 ばあちゃんが気にしてるのは息子二人のことぐらいだそうだ。俺の親父夫婦と、叔父さんと従兄弟。

「あ。そうだ忘れてた。スマホが元の世界と繋がってるみたいなんだあ。ばあちゃんもスマホ持ってるべ? 親父や叔父ちゃんにメッセージ送ってみてけろ」
「ん、わがった」

 繋がったり、繋がらなかったりなことも教えておいた。だがこれで少なくとも俺たちのスマホが壊れるまでは元の世界に残してきた家族と、断続的ながら連絡が取れる。

 村長が言ってたが、村役場の金庫の中に最新で新品のスマホとタブレット端末が未開封のまま数台ずつ保管されているそうだ。村の予算の使いきりに毎年、年度末の帳尻合わせで購入していたものだそうで。

 俺たちのスマホが壊れてもまだ予備があると思えば心強い。スマホもタブレットもどんどん古くなっていくが、大切に使えばメールとメッセージアプリ利用だけなら十年ぐらい保つんじゃないか?

 俺がど田舎村の帰化を考えたのは、やはりこのスマホが繋がることと、予備の存在を知ったことが大きい。

「ユキちゃんの好きでええ。ご先祖様のお墓もアキちゃんのお骨もちゃんとあるでな、ばあちゃんは賛成」

 アキちゃんとは、ばあちゃんの次男である俺の叔父の長男で、俺とは同い年だった従兄弟のことだ。
 もう随分と前に事故で亡くなってしまって、ばあちゃんは叔父がもなか村の共同墓地に墓を建てるまでお骨を家で預かってるのだ。
 叔父の家族で少しいざこざがあって、墓は十年以上経った今もまだ建てられていない。御米田家の先祖代々の墓はもうキャパシティオーバーなので、親父か俺の世代で新しいのを追加で建てなきゃいけなかったんだ。そのせいもある。
 従兄弟の遺骨は、ばあちゃんが仏壇のある部屋に大事に保管して、毎日じいちゃんへと一緒に線香を供えていた。もなか村には預ける寺ももうなかったし。
 俺も出勤前、朝だけ仏壇と遺骨に手を合わせている。

 話し込んでいるとあっという間に夜の十時を過ぎていた。
 しばらくはピナレラちゃんが慣れるまで、ばあちゃんの部屋に布団を並べて三人で寝ると決めてあった。
 ばあちゃんはともかく、俺は背が高くてそこそこ身体がデカいので布団も大きめだ。ピナレラちゃんには客用の枕を用意して、俺の布団で一緒に寝かせることにした。

「ピナレラちゃん。ばあちゃん、ピナレラちゃんの新しい枕とお布団作るがらなあ」

 さすがにもう俺が子供の頃の小さい布団はばあちゃんも処分済みだった。
 しかし俺のばあちゃんはな、材料さえあれば自分でワタを詰めて布団を作っちまえるのだ。主婦歴半世紀超え、半端なさすぎである。

 常夜灯のオレンジの薄明かりだけ残して、ばあちゃんも眠り、俺も掛け布団の上からピナレラちゃんのお腹のあたりをやさしくぽんぽんしていた。

 俺はやはりピナレラちゃんのお父ちゃんポジションだな……
 嫁に狙ってるんじゃないかって? おいやめろ、俺はそういう危ない間違いは犯さない男だぞ。俺は異世界チートに光源氏みたいなのは求めてない!

 ………………ロマンスがあるほうの異世界転移だったら良かったなあと、ちょっとだけ思ってるけど。ちょっとだけ。

 ……嘘です、この先良い出逢いがあったらいいなとものすごく期待してるっぺ!
 せめて限界集落のど田舎村を出ないとどうにもならんとは思うんだが。まあ、その辺はおいおい考えていこう。



 心の中で誰ともなく言い訳しながら、俺は枕元に置いてあったスマホを手に取った。
 通信状態を確認する。相変わらず謎電波がつながっていた。

 ネット掲示板の閲覧アプリをタップする。異世界に来てすぐ戯れに開いたスレ『村ごと異世界転移したけど質問ある?』が……随分と盛況だ。もう300過ぎまで書き込みがある。
 スレには『証拠見せろ』『お前は誰だ』など俺の個人情報を要求するコメントで溢れていた。

 少し考えて、俺は自分の氏名〝御米田ユウキ〟と〝もなか村のバイト〟だった事実をスレ主イッチとして書き込んだ。
 信じるか信じないかはお前ら次第だぜ。
 というか、異世界に転移してしまった今、個人情報を隠したままより、すっかり晒しておいたほうが暇なスレ住人たちが勝手にこの不思議な現象について調べてくれると思ったんだ。

 ついでに、スマホで撮った異世界の写真を何枚か画像アップロードサービスに登録してURLを載せた。
 せっかくなので、昼間ばあちゃんに撮ってもらった異世界幼女ピナレラちゃんと俺のツーショット写真も混ぜておいた。

 ……速攻で『幼女と戯れるほうの異世界転移……だと……』『もげろ。もげろイッチ』『幼女とリア充。う、羨ましくなんかないんだからねッ』『おまわりさんこっちです』『逃げて幼女マジ逃げて』『イッチ、イケメン!抱いて!』などの返信で溢れ返った。
 くそ、オカルト板の住人どもめ。イッチ(おれ)で遊ぶんじゃありません!

 それからしばらく、ばあちゃんとピナレラちゃんの寝息をBGMにしながら眺めていたが、建設的な意見は今日はもう出なさそうだった。

 ただ最後に俺は一つだけ、ネット掲示板『村ごと異世界転移したけど質問ある?』スレッドの住人たちにお願いをした。


『もなか村には神隠し伝説があった
 それが異世界転移の原因だと思ってる』

『同じような国内外の神隠し伝説を調べてくれないか?
 異世界から日本に戻れる可能性があるのか
 俺に教えてほしい』


 ネットの掲示板は基本的に便所の落書きだが、書き込みする利用者たちの中には時々とんでもない〝在野のプロ〟が存在する。
 どう見ても専門家以上の知識と経験、人脈の持ち主が紛れているのだ。

 俺は異世界転移の謎の解明を、その在野のプロたちの働きに賭けてみることにした。
 さて、結果は出るのか出ないのか。

 お前ら、頼りにしてるぜ。


 ……まだ眠くないな。普段寝るのは日付が変わる頃だったからまだ早い。
 そうだな、ピナレラちゃんをぽんぽんしながら従兄弟の話の続きでもしようか。

 叔父さんちには息子が二人で、早くに死んじまったのは俺と同い年の上の長男だ。
 下の弟はふつうに生きてるはずだが叔父さんは離婚して元嫁の叔母さんが親権を取ったので、その後どうなったかわからない。ばあちゃんも心配してるんだが連絡を拒否されていると聞いた。

 俺と同い年で、中学までは夏休みや冬休みにばあちゃんちにお互い家族で帰省してよく遊んでたっけ。
 俺も従兄弟も御米田家の血が濃く出た黒髪と黒目、なかなか整った端正な顔立ちだ。性格はだいぶ違ったな。あっちはばあちゃん似でのんびりした奴だった。

 お前も生きてたら、一緒に異世界転移してエンジョイしてたかもしれんのになあ。
 めんこい幼女のいる優しいほうの異世界転移だ。飯も旨いし人も親切。ばあちゃんも家も一緒。あいつ絶対喜んだろうに。

 ラノベ好きでよく読んでたっけ。遺品になっちまったお気に入りの文庫本は俺が形見分けで貰ってまだ持っている。
 表紙イラストが中央に勇者、左手に賢者、右手に大魔道士がいる。俺たちが中学の頃ブームになったファンタジー物語だ。
 立場は違えど友人同士の三人は、勇者の親の仇である共通の敵を倒すため、協力して旅に出る。オーソドックスな英雄の旅の物語(ヒーローズジャーニー)だった。

 シリーズ最強の大魔王が後に勇者たちのお師匠様になる胸熱展開や、そのお師匠様の少年時代のスピンオフが女の子たちの間で大人気になって手作りぬいぐるみの推し活がSNSのトレンドになったり。
 モンスターが足の生えた魚類だったり(これもぬい化が流行った)、第二の魔王として勇者たちの前に立ち塞がったブサ可愛いウーパールーパー星人に翻弄されたり。
 大魔王の生き別れの姉が元カレと再会したときは世界が滅びかけたっけ……

 大魔道士は絶対一度は勇者への裏切りをやらかすと思ってたのに、結局一度もイベントがなくて勇者パーティーは真のラスボスを倒してたなあ。

 ……今思えばなんであんなに俺たち夢中になってたんだろう? という謎展開の多い小説だった。
 ただ、作中のごはん描写がものすごい美味そうで夜中に読むと腹が減って仕方なかったのを覚えている。サーモンパイとかどこへ行けば食えたんだろう。

 そのライトノベルは俺は従兄弟が死んでから読まなくなっていたが、順調に十年近くかけて完結まで刊行されたらしい。
 そして最終巻のあとがきで作家が衝撃的な告白をしたとSNSでバズってたので、俺は持ってなかった分とあわせて全巻、電子書籍で購入した。
 で、噂のあとがきを読んでみた。


『この作品はわたしがチャネリングして見た、地球とは異なる世界の出来事のオマージュです』


 オマージュ、敬意をもって何かから特定の影響を受けて作品を創ることだ。品の良い二次創作みたいなものか。
 チャネリングとは霊的交信、霊とか天使とか神様とか、人間より高次の存在とコンタクトしてメッセージを受信する行為をいうそうで。
 ……なんかここでもオカルトスピリチュアル話が出てきたな。
 意外にも作者のとんでも告白は読者や世間に好意的に受け入れられたそうだ。世相が合っていたとでも言うべきか。

 昔はスピ系といえばエジプト神話やギリシャ神話、北欧神話ネタ、あとやはり西洋魔術系をよく見た。
 題材にした漫画やアニメ、ゲームも多かったしそこからスピリチュアルに興味を持つ人は多いだろう。俺も据え置き機のゲームであれこれ覚えた口だ。

 近年だと考古学研究の発展でメソポタミア文明ネタが人気らしい。メソポタ系を題材にしたスマホのソーシャルゲームのヒット作なんかの影響もあって、メソポタ系の神様の名前はいま若い世代でもふつうに知っている。イシュタルとかギルガメッシュとか。

 そういえば、メソポタミア系の神話には他の神話と比べて、ある面白い顕著な特徴がある。
 ――宇宙人が地球人を作ったという記述があるのだ。そして地球人は彼らの奴隷として作られたとも。
 そして宇宙人の中には、地球人の敵となる種族もいれば、味方になる種族もいるらしい。

「……あの虹色キラキラの宇宙人たちはどっちだったんだろうな」

 美味いお茶は飲ませてくれたが、結局チートはくれないままだった。
 なんかこう、遺伝子操作して特殊能力をくれるとか、目からビームが出るようになるとか、寿命が伸びるとか女性にモテまくるとか……

 異世界転生や転移にハーレムやチーレム(チート能力+ハーレム)は基本じゃないのか!?
 俺だけ特別なスキルで無双するストレスフリー展開はどこへいった?

 そんなことを思いながら、俺は眠りに落ちていったのだった。

 その夜、俺は不思議な夢を見た。

 どこか大きな宮殿の中にいる。ヨーロッパの王宮みたいなイメージの建物だ。
 視点が何度か切り替わって、やがて大きな肘掛け付きの黄金の椅子のある部屋で止まった。椅子は本物の黄金っぽい……デザインといい真紅の布貼りなところといい、王様が座る玉座そのものだ。
 ここは玉座の間なのだろうか?

 しばらくすると、一人の黒髪の男が部屋に入ってくる。顔は遠くてよくわからないが今年二十八の俺と同じくらいに見えた。
 随分背が高めで背筋もピシッと伸びている。これはスポーツというより何かの武道や武術をやってる筋肉の付き方だな……歩き方にも油断がない。
 男は黒い軍服を着ている。デザインやジャケットの飾りを見るに、重要な地位にいる人物なのがわかる。こりゃ本物の王様だな。

 その部屋には男だけがいる。
 おもむろに男が軍服のジャケットを脱いで玉座に放り投げ、その場でストレッチぽいものを始めた。全身の筋をまんべんなく伸ばしたり、関節をバキボキ鳴らしている。
 最後に深呼吸して両手を下腹部――下丹田の位置に当てておしまい。やはり何かの武道っぽい作法だ。

 男はジャケットを着直して玉座に深く腰掛けた。そのまま軽く長い脚を組んで目を閉じる。

 その間、俺は部屋の中を見回していた。
 窓の外はまだ暗い。遠くが少しずつ明るくなってきている。夜明け前だろう。随分と早起きの王様だ。仕事熱心……には見えないな。始発で出勤してデスクで仮眠を取る会社員時代の俺みたいな感じだ。

 突如、部屋の中全体が満天のプラネタリウムのように変わる。
一瞬だけ夜空のように星々が瞬いた後、現れたのは……俺!?
 室内プラネタリウムには俺が異世界転移するまでと、してきてから数日間の光景が映し出されている。しかも平面的じゃない。3D的な立体映像として目の前にリアルに現れている。

「ふむ。〝オコメダ・ユウキ〟か。妙な名前だな」

 余計なお世話だよ!
 ……この王様、低いがよく響くいい声をしている。耳元で囁かれたら男の俺でもビクッとしてしまうかもしれない。

「だが家名に聞き覚えがある。どこのものだったか? ――ああ、〝ど田舎村〟なら…………の旧姓か」

 誰かの名前を呟いている。だが声が低すぎて聞き取れない。
 俺が目の前で見てる3D映像を、この王様は目を閉じた瞼の裏で見てるようだった。

 目の前に男爵やど田舎村の人々、それにピナレラちゃんが現れた。
 ピナレラちゃんが映像の中の俺に駆け寄って、着ていた作業着の太ももあたりを掴んで見上げてにっこり笑った。……くっ。めんこいなや!
 映像の中の俺も同じことを思ったようで内心悶えてるのが見え見えの態度でしゃがんで、熱に負けたチョコレートのようなゆるゆるの顔でピナレラちゃんのキャラメル色の頭を撫で撫でしていた。

「いとけない女児を前になんという顔だ。今にも溶け落ちそうではないか。……大丈夫なのか、この男。まさか幼女趣味などということは……。だとしたら危険だな」

 違います! 危険じゃありません! 俺には小さい子供に手を出す趣味はありません!
 必死で訴えようとしたが声が出ない。そもそも俺の姿は王様には見えていないようだった。

 目の前には次々映像が変わる。もなか村の自然豊かな光景、村長、ベンさん、それに俺のばあちゃんを映して映像がそこで止まる。
 その後、何度か王様は俺、ばあちゃん、村長、ベンさんの順で人物を移しては小さく唸っていた。

「過去の記録の人物のように見えるが……むう、加齢のせいで判別がつかん。わかるのはオコメダ・ユウキだけだな」

 何がどうわかるのか俺に理解できるように説明してほしい。
 だが王様は目を瞑ったまま見えてる映像に独り言を呟いてるだけだ。ギャラリーに不親切すぎるだろ。

 やがて、王様は肘掛けに腕をついたまま笑い出した。

「ンッフフフ……フハハ……! なるほど、これが話に聞いていた彼の先祖か!」

 誰だよ。誰が誰の先祖だって? え、まかさピナレラちゃん? 嘘だ、うちの娘は生半可な男にはやらんぞ、やらんからな!?
 しかもなんかすげえヤバい笑い方してるぞこの王様。俺にはわかる。こいつ絶対ムッツリ系だ。俺より若いのに権力をかさにきて女遊びとかしてないだろうな。

 イラッときたので、どうせ見えてないならと俺は玉座に近寄った。
 王様の黒髪の頭をぺしっと叩こうとして、――ちょうど目を開けた王様と目が合ってしまった。み、見えてるのか? 俺が!

「!?」

 王様は自分を叩こうと腕を振り上げた俺に驚いた顔を見せる。だがすぐに納得したと言わんばかりのニヒルな笑みを見せた。

「ほう。夢を歩いてきたと見える。ようこそ、我が前世。いや来世か? あるいは――」

 あるいはなんだ。そういう含みのある言い方は好きじゃないハッキリ言ってほしい。
 いや待て、前世とか来世とか言ったか? こ、この王様は……

 ――俺と同じ顔をしている!


 アッ、声も出るようになってる!?

「き、気づいたらここにいたんだ。俺は不審者じゃない」
「わかっている。だが、次に夢を歩くときは〝服を着た自分〟をイメージしておくべきだろう」
「え?」

 俺は咄嗟に下を見た。肌色だ。二つのビーチクに鍛えた腹筋。……服どころかパンツも靴下も何もない。
 ちょうど夜明けの陽光が窓からカーテンのように差し込んで、俺の下半身を照らす。ヤバいわ。これはヤバい、掲示板の連中の言葉じゃないがおまわりさんを呼ばれてしまう!

「わー!?」
「わめくな。これでも着ていろ」

 呆れた王様が黒い軍服のジャケットを脱いで投げて寄越した。
 ほんのりあたたかい王様の体温……やだ……こんなイケメンムーブかまされたら惚れてまうっぺや……ってそんなわけあるか!

 俺は全裸モードにパニックに陥って、脳内で普段あまりやらないノリツッコミで思考が暴走していた。
 だがジャケットはありがたく頂戴した。長めの上着を慌てて羽織ると、ギリギリ息子は隠れた。ほんとギリギリ。
 ちょっとでも動くと見えてしまいそうなので俺は諦めて部屋の床に座った。う、高そうな絨毯に裸の尻のまま座る罪悪感……俺は無言で体育座りから正座に切り替えた。なんとなく気分の問題で。

「くっ、はは! 落ち着いたか?」
「え、ええ。おかげさまで」

 すると玉座の王様は正座する俺を見下ろす形になった。長い足を組んで指を顎に当てながら、面白そうに俺を見ている。
 見た感じ俺より数歳年下だが、黒い目の眼光が強めで視線にはかなりの圧を感じた。これが王者の覇気というやつか。

「〝チート〟とはなんだ? オコメダ・ユウキよ」
「へ?」
「神人の方々の前で叫んでいただろう。『チートをください!』と」
「あ、それはですね」

 俺は王様にチートの概念を説明した。元は反則やずる、ごまかしという意味だが、今では『ヤベェくらい圧倒的で最強無敵の無双状態』になること、あるいはそのような状態をもたらすスキルのことだと。

「……お前、よくあの方々にそのような要求ができたな?」
「青銀の髪の美少女には剣で串刺しにされそうになりました! いやーヤバかったです!」
「……悪運の強い男だ」

 王様の顔色が悪くなる。だが深く溜め息をついて組んでいた脚を戻し、玉座に座り直して改めて俺を見下ろした。

「その〝チート〟級とはいかずとも、スキルなら私が伝授してやろう。オコメダ・ユウキ、ステータスを開示せよ」
「!?」

 俺と王様の間に半透明で縦長のボードが現れた。こ、これは……異世界ものにお約束のステータスボードじゃないか!

 き、「キタ――(゚∀゚)――!!」!!

 俺の脳裏によくネット掲示板で見かける喜びの顔文字が鮮烈に浮かんだ。
 こ、この世界、お約束中のお約束、『ステータスオープン!』のある異世界だったか!


名前 御米田ユウキ(オコメダ・ユウキ)

所属(出自)
日本国○○県もなか郡もなか村

称号・職業
元会社員(総合商社営業)
表計算ソフト職人
もなか村次期村長候補

保有スキル
普通自動車免許 第一種
簿記 2級
実用英語技能検定 1級
TOEIC 880点

体力 7
魔力 5
知力 7
人間性 7
人間関係 7
幸運 5


「見方はわかるか? 能力値は十段階評価で己のポテンシャルを表している。さすがというべきか、すべて平均値の5以上持っておるな」
「すごいんですか? これって」
「もちろん。一番低いのは1。もっとも優れた能力は10になる。この数値ならお前は典型的なバランス型と言えよう」

 能力値欄の増えた履歴書みたいだった。
 しかし『表計算ソフト職人』とはいったい……俺は普通に業務で表計算ソフトを使ってただけなんだが。

「このタイプは独学でも大抵のことが学べる。目が覚めたら、ど田舎村で領主から魔法書や魔術書を借りると良いだろう」

 確かに俺は独学タイプだ。簿記も英検もTOEICもぜんぶテキストやネット学習だけで取得している。

「基本はやはり、鑑定スキルだろう。鑑定スキルには主に三種類ある。人物鑑定、物品鑑定、魔力鑑定。すべての鑑定スキルを使いこなす総合鑑定もある」
「総合鑑定一択でお願いします!」
「……私が伝授できるのは人物鑑定のみだ。この世界で鑑定は非常に習得難易度の高いスキルなのだ。あまり期待せぬほうが良いだろう」
「そ、そうですか」
「スキルランクは初級を与える。適性があれば使い続けることで中級へとランクアップするはずだ。それ以上は運次第だな」
「ありがとうございます」

 初級か。これはレベル1から順に上げていくやつだな。俺の脳裏に、ファンタジー系RPGゲームの木の棒と普通の布の服を装備した〝始まりの村〟の主人公ぽい自分のイメージが浮かんだ。
 まずはスライムを倒して1ゴールドゲットからだな。

「見たところ、お前は防具作成の才があるようだ。利き手は右か?」
「はい、右利きです」
「ならば反対の左手に小さな盾をイメージせよ。このように」

 王様は玉座から立ち上がると左手を掲げて見本を見せてくれた。
 その左手が真紅のモヤ、魔力らしきものにボワっと包まれる。魔力はそのまま見る見るうちに丸型で中サイズの黒光りする鉄鍋、いや盾に代わり、左腕に装着されていた。手首側には小型サイズの剣の刃が飛び出ている。

「これはバックラーという盾と剣を備えた攻守両用の防具だ。大きさや形はイメージ次第で好きに変えられる。自分の扱いやすいよう試してみることだ」

 言って王様は丸型の盾を、縦に長方形の大型サイズに変更した。先端にあった小さな剣は槍の刃ほど長く伸びている。
 そりゃもうバックラーとは言わないだろって改変っぷりだ。


「王様! 鑑定、防具ときたら、武器も頂戴できないでしょうか?」
「なに?」

 前世なのか来世なのかよくわからない王様に、俺は下手に出てお願いした。彼シャツならぬ王様ジャケ一枚の心許ない姿で正座のまま頭を下げる。

「異世界っぽい聖剣とか英雄の剣とかでお願いします!」
「お前な。資格もないのに聖剣など持てば下手すると持った瞬間に蒸発するぞ……?」

 呆れた王様はバックラーを魔力に戻して消し、片手を軽く自分の胸の前に翳した。
 直後、王様の胸回りに、真紅に輝く光の帯がフラフープのように出現した。イメージとしては土星の輪みたいなやつだ。

 その真紅の光の帯に指先で触れる。と次の瞬間、王様は自分の肩辺りまでの巨大な大剣の柄を握っていた!
 両刃で幅広の刃の剣だ。両手でないと持てないからツーハンドソードと言われるタイプのはずなのに、この王様ときたら片手で軽々持ってやがる!

「え、ちょ、それ何する気ですか!?」

 一歩、二歩、と王様が黒い革の軍靴の底をカッカッと鳴らして近づいてくる。
 ヤバい! 俺は本能的に危機を感じて正座から慌てて立ち上がり、逃げようとしたのだが……
 ――王様が大剣を振り下ろすほうが早かった。

 そのまま脳天からバッサリ斬られた俺は絨毯の上に脳漿や血肉を飛び散らせ……たりはしなかった。
 斬られた感触がない??? でも刃は確かに俺の中にざっくり入ったはずなのに。
 恐る恐る王様を見ると、握っていたはずの大剣が消えている。――剣は俺の中に消えたのだ。

「お、俺、生きてる?」
「私の手持ちの剣の中でも、最も〝チート〟とやらに近い剣を授けた。神人四人と数多の聖女聖者の祝福を賜った究極のプレミアものだぞ。イメージしてみろ」

 と言われたので王様が俺を斬った剣をイメージする。途端、目の前に王様が持ってたはずの大剣が現れた。
 しかも、――軽い。見た目だけなら何十キロもありそうなのに不思議と重みを感じない。持てる重さだ。

「込められた祝福がお前に、不可能を可能にする力を与える。刀身を見よ」

 大剣の銀色に輝く刀身の中央付近に、三つ横に並んだ透明な丸い小さな石が嵌め込まれている。

「ただの石ではない。ダイヤモンドの上位鉱物アダマンタイトだ。究極の魔石でもある。お前の手に余る問題を解決したいとき、一つずつ使うといい」
「それって三つ使い切ったらどうなるんです?」
「そのときは、…………、…………、……………………」

 王様の声が遠くなっていく。いや俺の意識が薄れていったのだ。
 え、ちょっと待ってくれ。まだアダマンタイトの使い方も聞いてないのに……。



  * * *



「おにいちゃ! あさだよ! おさんぽ! やまにいこ!」
「ピナレラちゃん……?」

 俺は朝から元気いっぱいのピナレラちゃんに起こされた。
 うーん。なんか不思議で濃ゆい夢を見ていた気がする……。

「やま! やまだよ、おにいちゃ!」
「ん、ちゃんと早起きしたんだな。偉いぞピナレラちゃん」
「えっへん、なのだ」

 先に寝巻きから普段着に着替えていたピナレラちゃんが自慢げに胸を張る。まだ四歳児のぽんぽんの柔らかそうなお腹のほうが出てるところも……くう、めんこい!
 
「ん? 風が強いな」

 ピナレラちゃんが期待たっぷりに大きなお目々をキラキラさせているので、俺は慌てて布団から飛び起き、今日も作業着の黒いつなぎに着替えた。
 だが家の中にいてもビュービュー吹いてる風の音が聞こえる。こりゃ山に登るのはちょっと無理じゃないか?

「ユキちゃん、起きたのけ。いま清治さんからLINEきてな。嵐になりそうだから早めに男爵さんのお屋敷来てけろって」
「村長が? やっぱり」
「ええー!? あらちぃー? ……ちかたないのだーやまはまたこんど!」

 駄々をこねるかと思ったピナレラちゃんは、やはりど田舎村の住人だ。自然の厳しさをよく知っている。残念そうにしながらも今朝の山登りを諦めてくれた。

「朝は昨日の残りご飯で焼きおにぎりの出汁茶漬けだあ。さ、二人とも早く来い」
「はーい!」

 ピナレラちゃんがよい子のお返事でばあちゃんと一緒に居間に向かう。
 俺も欠伸しながら二人の後を追おうとして。

 ふと、自分の左手を見た。

「バックラー、出てこい」

 すると真紅のもや、魔力が左手から肘の間にもわっと出現して、見る見るうちに丸くて黒い、小剣付きの小型盾が出現した。

「……大剣は家の中じゃ無理だな。畳が傷ついちまう」

 夢でお会いした王様、この御米田ユウキ、確かにチート頂戴しました!