茹だるような暑さもようやく終わりを迎え、空には巻雲(けんうん)が秋の訪れを教えてくれる。
 息を吸えば涼しく爽やかな空気が肺に流れ込んでくる。
 公園にはブランコで遊ぶ子供や犬の散歩をするおじいさん、ベンチで写真を撮るカップルやサッカーをしている少年が居た。
 同い年らしき女の子二人組を見て、今日は休日だったのかと曜日感覚が無くなっていることに気が付いた。
 気晴らしに訪れたのに賑やか過ぎて、これでは休まるどころか余計にストレスを感じてしまうと思い、もう少し奥まで進むことにした。
 そういえば此処(ここ)の公園、今の季節になると綺麗に咲く花があったような……名前なんだっけ。
 中高は絵画にばっか夢中で公園で遊んだ覚えなど一つも無い、小学生の時以来だ。
 新しく増えたベンチもあれば、あそこに在ったはずの遊具が初めから無かったかの用に撤去されていていたりと、追憶しながらも奥へと進む。
 するとようやく見えてきた。
 
「……きれい」

 思わず声が漏れてしまったそこには、九月の代表作と言われる秋の桜、コスモスの畑が色鮮やかな花々で埋め尽くされていた。
 青空の下に咲き誇るピンクやクリーム色の花たち。
 何故この景色を見向きもせずに手前の広場で遊ぶのだろうと不思議に思いながら広大な花畑を見渡していた時、「ああ。確かに来ないかもな」と納得できる理由を見つけた。
 ここのはサッカーの出来るスペースは無いしゆっくりできるベンチも無い。犬を歩かせる道幅も無いし、何よりミツバチが多い。子供は好んで来ないかも知れない。
 僕は別だった。
 心が満たされているこの感じ、空いていた穴がほんの少し埋まっていくような感覚がする。
 ここに居ると落ち着く、それに懐かしさも。何故だろうか。
 部屋に籠っていた時は窓など一切開けず、なるべく外の音や声が耳に届かないようにしていた。
 カーテンは閉め切って陽の光を入れないように。
 幸せそうな人を見るのが嫌だった。他人と違うのが辛かった。どう思われどう見られるのか、考えただけで怖くなった。
 そのせいだろうか
 ……もう帰ろう。これ以上居たら折角コスモスで埋まったと思った穴がまた広がってしまう気がする。
 少し歩いたし綺麗な景色も見る事が出来た。満足だと、そう思った時。
  
 「あ、あの」
 
 今日は偶々、本当に偶々外に出たい気分だった。ただそれだけなのに……