後宮へ凛風を送り届け黒翔とともに厩目指して歩きながら、暁嵐はある結論に達していた。
凛風が刺客だということは間違いない。あのような傷がある娘が後宮入りすることはあり得ないからだ。
同時に、この出会いが彼女自身の意図するものではないという確信を深めてもいた。
凛風がこの湯殿にやってきたのは間違いなく皇太后によって仕組まれたものだろう。そして彼女自身はそれに気づいていない。
その方が、より自然に暁嵐に取り入ることができるという皇太后の思惑だろう。
人を人とも思わず、自らのために使い捨てることをあたりまえと考える皇太后らしいやり方だ。
夜空を見上げて息を吐くと、自分の名を書けた時の彼女の輝く笑顔が脳裏に浮かび、胸が締め付けられるように痛んだ。
皇帝暗殺という重い使命を課せられた身の上と、ひどい傷痕。
弟へ手紙を書きたいという言葉と、自分の名を目にした時の涙。
彼女のこれまでの境遇が過酷だったということは、想像に難くない。
今宵彼女はただ純粋に、自分の名前を書けたことを喜んでいた。残酷な使命を果たすまでの束の間の喜びを味わっているのだろう。
そのような者が、自ら望んで皇帝と差し違えたいなどと思うはずがない。脅されているか、そのように育てられたか、あるいはその両方かもしれない。どちらにしても皇太后がよく使う手だ。
哀れだと心底思う。
暁嵐と皇后との対立によって命を落とした者たちに対して、暁嵐がいつも抱いてきた感情だ。だがその中に、生まれてはじめての想いが存在するのを、暁嵐は確かに感じていた。
手習いのために腕に抱いた彼女の甘やかな香りが、暁嵐の中の熱いなにかを加速させ、彼女を自分の手で救い出したいという強い思いに貫かれた。
この感情は、今はじめて芽生えたわけではない。彼女と出会ってからずっと抱いていた違和感とともにあったもので間違いない。薄々気がついていながら、目を背け続けてきた感情だ。
自分には必要ないと切り捨てようと試みたが、結局ずっと暁嵐の中に居座り続けている。
彼女の、状況にそぐわないちぐはぐな行動の理由に思いあたった今、それはより濃い色を帯びてはっきりと存在を主張しはじめた。もはや切り捨てることはできそうにない。
隣を歩く黒翔がぶるんと鳴いて、暁嵐の頬を突く。艶やかな黒い毛並みを撫でて、暁嵐は苦笑した。
「ああ、わかったよ。お前の目は確かだった」
素直に負けを認めると、黒翔がふんと鼻を鳴らした。
自分の中の特別な想いから目を逸らすのはもう終わりだ。
彼女の傷を目にした時に感じた激しい怒りを思い出し、暁嵐はそう心に決める。
自分で自分の心が思う通りにならないことははじめてだが、それに抗う気にはなれなかった。
自分の心が、彼女を救い出したいと強く願っていることは紛れもない事実なのだから。
それならば、これから自分はいったいどうするべきなのか。
カッポカッポという黒翔の足音を聞きながら、暁嵐は考えを巡らせていた。
凛風が刺客だということは間違いない。あのような傷がある娘が後宮入りすることはあり得ないからだ。
同時に、この出会いが彼女自身の意図するものではないという確信を深めてもいた。
凛風がこの湯殿にやってきたのは間違いなく皇太后によって仕組まれたものだろう。そして彼女自身はそれに気づいていない。
その方が、より自然に暁嵐に取り入ることができるという皇太后の思惑だろう。
人を人とも思わず、自らのために使い捨てることをあたりまえと考える皇太后らしいやり方だ。
夜空を見上げて息を吐くと、自分の名を書けた時の彼女の輝く笑顔が脳裏に浮かび、胸が締め付けられるように痛んだ。
皇帝暗殺という重い使命を課せられた身の上と、ひどい傷痕。
弟へ手紙を書きたいという言葉と、自分の名を目にした時の涙。
彼女のこれまでの境遇が過酷だったということは、想像に難くない。
今宵彼女はただ純粋に、自分の名前を書けたことを喜んでいた。残酷な使命を果たすまでの束の間の喜びを味わっているのだろう。
そのような者が、自ら望んで皇帝と差し違えたいなどと思うはずがない。脅されているか、そのように育てられたか、あるいはその両方かもしれない。どちらにしても皇太后がよく使う手だ。
哀れだと心底思う。
暁嵐と皇后との対立によって命を落とした者たちに対して、暁嵐がいつも抱いてきた感情だ。だがその中に、生まれてはじめての想いが存在するのを、暁嵐は確かに感じていた。
手習いのために腕に抱いた彼女の甘やかな香りが、暁嵐の中の熱いなにかを加速させ、彼女を自分の手で救い出したいという強い思いに貫かれた。
この感情は、今はじめて芽生えたわけではない。彼女と出会ってからずっと抱いていた違和感とともにあったもので間違いない。薄々気がついていながら、目を背け続けてきた感情だ。
自分には必要ないと切り捨てようと試みたが、結局ずっと暁嵐の中に居座り続けている。
彼女の、状況にそぐわないちぐはぐな行動の理由に思いあたった今、それはより濃い色を帯びてはっきりと存在を主張しはじめた。もはや切り捨てることはできそうにない。
隣を歩く黒翔がぶるんと鳴いて、暁嵐の頬を突く。艶やかな黒い毛並みを撫でて、暁嵐は苦笑した。
「ああ、わかったよ。お前の目は確かだった」
素直に負けを認めると、黒翔がふんと鼻を鳴らした。
自分の中の特別な想いから目を逸らすのはもう終わりだ。
彼女の傷を目にした時に感じた激しい怒りを思い出し、暁嵐はそう心に決める。
自分で自分の心が思う通りにならないことははじめてだが、それに抗う気にはなれなかった。
自分の心が、彼女を救い出したいと強く願っていることは紛れもない事実なのだから。
それならば、これから自分はいったいどうするべきなのか。
カッポカッポという黒翔の足音を聞きながら、暁嵐は考えを巡らせていた。