___今日、告白しよう。
結月(ゆづき)がそう決めたのは昼休みだった。
告白相手はずっと前から好きな、氷雨(ひさめ)。
いつも、女子に優しくて、頼れる男子で憧れていた。
最初はただ外から見ているだけで良かったのだが、ある日、部活をしていたら、彼に褒められたことがあったのだ。
氷雨はサッカー部で外で活動することがほとんど。
対して結月はインドアでずっと、美術部だった。
いつも、人気のない教室で絵を描いていて、サッカー部の練習が見える窓際の席が好きだった。
その日もいつも通り、窓際で絵を描いていたら、驚いたことに、彼に話しかけられたのだ。
一度も、話しかけられたことのない結月が。
「いつも、ずっと絵を描いているよね」
その言葉を聞いて、最初は馬鹿にされたのだと思った。
アウトドアの彼には部屋の中でずっと絵を描くことなど考えられないだろうし、結月だって、外でずっとボールを蹴っていることなど、きっとできないだろうと思っていたからだ。
たとえ、氷雨といえど、馬鹿にするようなら言い返そうと思っていたが......。
「すごいよね、結月ちゃんって。毎日、自分の技術を磨いてるんだから」
「え?」
予想外の言葉に思わず、結月は声を上げてしまった。
氷雨が名前を知っていたことにも驚いたし、褒められたことにも驚いた。
毎日、結月が中から見ているように、氷雨も外から見ていてくれたのだと思うと、心が踊った。
本当に嬉しくて、その日は絵にも手をつけられないほどだった。
その日から、彼が別の女子と話していると、嫉妬してしまうし、彼と話せるだけで一日幸せだと思ってしまうようになった。
友達と恋バナをしてみたり、彼向けへのプレゼントを作ってみたりして。
恋は未経験の結月だったけれど、こんなにも毎日が色づく恋はとても楽しいものだと思っていた。
でも、彼が結月のことを好きだという自信はみじんもなかったから、告白なんて夢のまた夢だと思っていたが......。
告白しようと思ったのは氷雨との何気ない出来事からだった。
結月は今日、昼にお弁当を忘れたことに気づいた。
お腹はかなり空いていて、授業に疲れた身体としてはなにか食べたかった。
友達はいても、さすがにお弁当の具材をねだるのは気が引ける。
かといって、これから買いに行く時間も、気力もない。
まぁ、一日の昼ぐらいだったら抜いても大丈夫だろう。
そういう気持ちで諦めて、空き教室でぼーっとしていたそのときだった。
誰もいないと思っていた空き教室に人の声が響いたのは。
「結月ちゃん?」
いつも聞いている、少し低めの優しい声。
好きな人の、好きな声。
「氷雨、くん?どうして、ここに......」
男女関係なく人気な彼のことだ、奪い合いになりながら、昼を過ごすのだと思ってばかりいた結月はあまりの不意打ちに驚いて、声が震えてしまった。
「忘れ物を取りに行ったら、人の影が見えたから、気になって。結月ちゃんは一緒にみんなと食べなくていいの?」
なんで、こんなに優しいんだろう。
あまりの優しい気遣いに泣きそうになりながら、結月はゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「た、食べたいんだけど.......お弁当、忘れちゃって......。」
えへへ、と力なく笑う。
別に同情を誘いたいわけではないが、笑うことしかできない。
自分でもなんて恥ずかしい失敗をしてしまったんだろうと、氷雨に声をかけられてやっと気づいた。
穴があったら、入りたい。
氷雨は驚いたように目を見開いてから、少し、難しい顔で考え込む。
やっぱり、呆れられちゃったよね......。
一人で勝手に彼の気持ちを想像して落ち込んでいると、彼は私のほうに近寄ってくる。
そして、割り箸を結月にもたせ、自分のお弁当箱を私の机に置く。
「な、なにを___」
「お腹空いてるでしょ?ほら、遠慮しないで食べて。俺は、全然お腹すいてないから」
にこっと微笑まれる。
氷雨がお腹が空いていないというのはきっと、嘘だろう。
さすがに、ここで遠慮なく食べる人などいないと思う。
案の定、結月も食べることなどできなかった。
「え、で、でも。氷雨くんのお昼ご飯だし......。私、本当にお腹すいてないよ?大丈夫だから、氷雨くんが食べて......」
やんわりと拒否すれば、氷雨は眉を下げて、こちらを見てくる。
犬のようなしぐさに結月はうっと心が揺らいでしまいそうになった。
「やだよ、俺。結月ちゃんがそんなことで倒れたりしたら......」
「で、でも、氷雨くんも倒れたりしたら私やだよ?そもそも、忘れたのは私だし、これは氷雨くんのだし......」
「えぇ〜。結月ちゃん、食べてくれないの?これ、俺が作ったんだけど。味の感想ほしいなぁ」
「うっ。その言い方はずるいよ、氷雨くん......」
すごく食べてほしいって表情で言われたら、断ることなど不可能だ。
すると、ちょうどいいのか悪いのか、絶妙なタイミングで結月のお腹がなる。
にやっと氷雨は口角を上げ、結月を見る。
降参するしかなくなった結月は手を上げる。
「ふふ、俺の勝ちだ」
「もう〜」
少し怒ったようなしぐさを見せてみれば、氷雨はごめんというように、手をあわせてきた。
「どうぞ、食べて」
氷雨にそう言われて最後にもう一度抵抗しようと思ったけれど、やめた。
割り箸を割って、お弁当箱を開く。
「い、いただきます」
少し躊躇しながら、箸でおそるおそる卵焼きをとる。
「どうぞ」
氷雨が隣で微笑むのを横目で見ながら、口にいれる。
「おいしい!」
最初の感想がこれしかでてこなかった。
「でしょでしょ!俺、卵焼き得意なんだ」
「そうなんだ。とっても美味しい!氷雨くん、お料理上手なんだね」
結月が褒めれば氷雨は嬉しそうにはにかむ。
そんな表情をされれば、結月はどきどきしないわけもなく。
そのあと、ご飯の味よりも氷雨のことしか考えられなくなったのは不可抗力だ。
そんなことがあって、結月はもう、気持ちだけでも伝えることにした。
もしかしたら、お弁当までくれるということは結月のことが少しでも好きなのではないか。
そんな、自意識過剰な願いまで持って。
彼に予定を聞くと、部活の終わりなら時間がとれると聞いた。
結月も部活があったが、休んだ。
そわそわして、絵なんて描いていられなかったからだ。
屋上から、サッカー部の練習をずっと見つめて、終わるまで待って。
だんだん、暗くなり始めて6時半頃になると、やっとサッカー部は練習をやめて、解散したようだった。
緊張、する。
こんなに緊張したのはいつ以来だろうか。
高校受験以来ではなかろうか。
そんな関係のないことまで考えて、緊張をごまかそうとしていると、彼は結月が来てほしいと伝えた美術室までやってきた。
「結月ちゃん、話ってなに?」
今から告白されるなんて思ってもいないのだろう氷雨は質問してくる。
結月は深呼吸をして、氷雨のほうをまっすぐに向いた。
「私、氷雨くんのことが好きです」
結月が一言、そう言うと、氷雨は驚いたような顔を向けてくる。
ぽつり、ぽつり。
外は雨が降っていて、美術室内の沈黙を埋めるようだった。
数秒、沈黙があった。
結月も黙っていると、氷雨は悲しそうな表情をして、顔を上げた。
「ごめん」
氷雨の返答を聞いた瞬間、結月は全身の力が抜けていくような気がするほどの脱力感を感じた。
そうなることはわかっていたのだ、最初から。
自分のことが好きなわけがない。
そうわかっていたのに.......。
あぁ、この流れる涙は、痛む心はなんなのだろう。
「他に好きな子がいるんだ。本当に、ごめん」
彼は、本当に優しい人なのだと思う。
結月の涙を見て、申し訳なさそうな顔を向けてくる。
勝手にこっちが告白しただけなのだから、申し訳なく思う必要はないのに。
きっと、これまで告白してきた女子達にこうやって、優しく丁寧に断っているのだろう。
結月はその女子達の一人である、氷雨にとってただの友達でしかない人。
そんな現実を突きつけられた気がして、結月はさらに、声を上げて泣きたくなる。
「本当にごめん」
彼はもう一度、そう謝ると美術室を去っていった。
雨の音が、憎いほどに激しくなっていた。
あのあとは、どこをどう歩いたのか覚えていないが、いつのまにか、結月はかばんを持って、近くの公園にいた。
夜の雨が降っている公園だからか、さすがに誰もいなくて、静かだった。
この静けさが逆に結月にはありがたかった。
誰かに変に慰められるわけでもない。
今、慰められたらきっと、もう立ち直れないような気がする。
傘は持っていなくて、ただただ、雨に濡れていくばかりだったが、結月には気にしている余裕がなかった。
「どうして、告白しても無理なこと知ってたのに、泣いているんだろう」
独りで話している変な人だと思われるかもしれないが、結月には誰かに話すと泣いてしまうだろうから、こうして、宙につぶやくことしかできない。
「どうして、心がこんなに痛いんだろう」
涙か雨か。
どちらともつかないものが顔を流れる。
失恋はこんなにつらいものなのか。
経験したことないとこんなの、わからないじゃないか。
氷雨のことが、本当に好きだった。
本気の、恋だった。
それなのに、あっけなく失恋した。
「なにしてんの」
その場にそぐわない、軽い声が響いた。
思わず顔を上げると、いつのまにか結月は傘のなかに入っていて、隣には、幼馴染の流星(りゅうせい)がいた。
「りゅうせ......」
結月が名前を呼ぼうとすると、視界がなにかふわふわしたものにおおわれる。
「冷えるらしいぞ、今夜。拭いとけ、風邪引くぞ?」
結月は強がっていらないと言おうと思ったけれど、流星がせっかくしてくれるのだと思って、受け入れることにした。
髪や、顔をぬぐわれて、少し落ち着いてから、結月はもう一度、質問をすることにした。
「なんで、ここにいるの?」
「ん?なんか、学校からお前が見えたから、来ただけ」
流星はなんとも軽い感じだが、一人で悩んでいるところを見られていたらしい。
かなり、恥ずかしい。
「ほら、帰るぞ」
「帰るぞって.....どこに?」
「どこって......お前の家に決まってんだろ?」
どんどん歩きだしてしまう流星を追いかけながら、問いかけると、なんとも当たり前のように返される。
きっと、告白して失恋したことが彼にはわかっているのだろう。
なんで、すべて、知っているのだろう。
なんで、こんなに優しいのだろう。
「な、なんで......っ」
「なにが?」
流星が足を止めて、こちらを見る。
「___流星くん、なんで私のことをそんなに助けてくれるのっ......?」
こぼれた本音。
数秒の沈黙のあと、流星は怪訝そうにこちらを見てくる。
「助けちゃだめなわけ?」
「ううんっ......そういうわけじゃないけど......。流星くんはいつでも、私のことを助けてくれるから」
昔から、そうだった。
どんなときでも、隣には流星がいて、結月の手を引っ張ってくれていた。
___幼馴染だからという理由では片付けられないくらいに。
「俺が、したいことをしてるだけだから」
彼は一言、そう言うと、結月の手をとって、歩き出した。
結月は流星の言動に驚きつつも、笑顔を浮かべた。
「___ありがとう」
これだけは、絶対に伝えるべきだと思った。
流星は少し笑顔を浮かべて、頷いた。
雨はいつのまにかやんでいて、空には星が瞬いていた。
そして、結月の気持ちには合わないはずの見とれてしまうような満月が輝いていた。
ずっと好きだった人にふられました。
今でも、彼への想いは捨てきれていません。
だけど、それを上回るぐらいに、私のことを幼馴染は大切にしてくれます。
消えてしまいたいと思った雨の降る夜から、ずっと___。