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 それから桐畑は、日中の授業を挟んで、早朝は体力トレーニング、放課後はボールを使った練習という、慌ただしい生活を送った。
 食事量は同じだったが体調は崩れず、桐畑は、人体の適応能力の高さを実感した。飽食への忌避感さえ生まれ始めており、現代での食事も見直す決意を固めていた。
 日曜日は講義はなく、九時から十八時まで結社の活動があった。他のパブリック・スクールの日曜礼拝や聖書講義がホワイトフォードのスポーツなんだよ、とは遥香の弁だった。
 日曜日の活動は、三人が横一列で長いボールを回しつつ、コートの端から端まで走る、などきついものもあった。
 しかし合間合間には息抜きの軽い練習があり、昼食前には、キック・ベースのような競技に取り組んだ。ダンも緩い雰囲気で参加しており、終始、和やかなムードだった。
 遥香は、怪我をしてから九日目の練習で、見学から復帰した。全体的なスピードは離脱前から落ちていたが、観察を通じて十九世紀のフットボールを理解したのか、動きの質は上がっていた。
(サッカーIQ、高っけえ)と、桐畑は感服する思いだった。
 時間は矢のように過ぎていき、遥香の復帰から五日後、全英フットボール大会の準々決勝が行われる。