僕の王国の秩序を乱す奴はいらない。
「このユーザーを削除しますか?」
 画面に表示されたメッセージに迷わず「はい」をクリックする。アカウントの永久的な利用停止、いわゆる垢BANの理由はゲーム内のメッセージを利用してマルチの勧誘を行ったから。人の庭で詐欺をするなど言語道断だ。
「あなたのアカウントは永久凍結されました……ってね」

 四年前、中学に入学してすぐの頃にこのソーシャルゲーム『レジェンド・オブ・ドロシー』、通称『レジェドロ』を作った。収益を軍資金にアップデートを重ね、ようやく軌道に乗ってきた僕のライフワークだ。
 僕のような人を“ギフテッド”というらしい。一度でも見聞きしたものはすべて鮮明に記憶して忘れないこともそれらの構造を原理的に理解し頭の中で再構築する力も誰もが持っているわけではなく、神様に与えられた僕だけの特別な力だと知った。

 同世代が学校に行っている間、僕はこのゲームの開発とイラストの作成に時間を費やしていた。ワンオペだったのは、僕が他者とのコミュニケーションが苦手だからだ。
  僕は周りの人と違った。周りの人は違う世界の人間として僕を扱った。学校生活を始めてすぐに人との会話のテンポのズレに気づいた。そこに悪意が存在しないとしても、生まれ持った感覚が嚙み合わない人たちと一日の半分を過ごすことが僕は苦痛でたまらなかった。僕は学校に行かなくなった。
 だから僕はインターネットの中に居場所を作った。僕が神様からもらったギフトを使って。本の内容は一度読めば覚えられる。独学でプログラミングとイラストの技術を習得し、『レジェンド・オブ・ドロシー』というゲームを作り上げた。

「ナナちゃん、すごくうまくなったね」
 ゲーム内ギルドの仲間、(りょう)に褒められる。ナナは僕の本名、七尾(ななお)和馬(かずま)からとったハンドルネームだ。ユーザーとの交流を通じた環境調査も大事な仕事の一つだ。開発者という身分を隠して一プレイヤーとしてギルドを立ち上げ、一般ユーザーと仲良くしている。
「ありがとう。涼くんの教え方がうまいから」
 涼は上手い。僕がゲームの開発者なのだから、このゲームの仕組みは熟知しているが、僕とは比べ物にならないほど上手い。僕はあまり反射神経がよくないので、指先のスピードがどうしてもついていかない。あえてそういうゲームを作った。僕が一番優秀にならない空間を作った。
 小学校を不登校のまま終えた僕は、中学受験で日本トップクラスの名門私立男子校に首席で入学した。しかし、能力があれば人に慕われるなんていうのは幻想だ。慕われる秀才がいるとしたら、それはコミュニケーション能力があるやつがたまたま勉強もできたというだけの話だ。
 人付き合いを小学校で学ばなかった僕が馴染めるわけもなかった。小学校では異次元の人として扱われていたが、なまじ秀才という自負のある人間の集団からは嫉妬を向けられた。僕は人並程度の運動神経を有しているが、唯一僕が一位でない教科・体育ではありえないほどに見下された。僕よりも足が遅いクラスメイトが「天才様も完璧じゃないんだね」と陰口を言っているさまを見て辟易した。
 偏差値八十近い学校でもダメだった。僕は学校という空間そのものに失望し、二学期の半ばに学校をやめた。どうせどこでも同じだ。高校は名前を書けば入れる私立を選んだ。学校始まって以来の秀才、進学実績のための広告塔。それが僕に求められる役割。登校しなくても定期テストだけ受ければよいと言われた。校則によると出席日数が基準に満たない場合は点数を0.6倍して計算し、全教科平均で50点を取っていれば進級可能。目を瞑っていても解けそうな簡単な問題ばかりだったので何の問題もなく、つい先日進級した。
「ナナちゃんの努力のたまものだよ。明後日からのイベントレイドもナナちゃんには安心して背中を任せられるよ」
「明後日って、涼くん誕生日だよね? リアルが忙しくてイベントどころじゃないんじゃないの?」
「覚えててくれたんだ。嬉しい。誕生日言ったの随分前だった気がするけど」
 一度聞いたことは忘れない。神様がくれたギフトも使い方さえ間違えなければ、正しいコミュニケーションツールとして使える。
 小学校の時、僕は間違えた。クラスの女子が一学期に失くしたと言っていたお気に入りのキャラクターの消しゴムとやらをたまたま落とし物コーナーで三学期に見つけた。親しい子でもなんでもなかったけれど、困っているだろうからと教えてあげた。
――名前書いてないのになんで私のだってわかったの、七尾君が盗んだんでしょ!
――だって、四月に失くしてショックだって自分で言ってただろ。
――そんな昔のこと覚えてるなんてキモい! ストーカー!
 勝手に気持ち悪がって泣き出して、他の女子がわらわらと集まってきて謝れだの死ねだの糾弾された。
――こいつが言ってたことだから覚えてたわけじゃないんだけど。一度聞いたことは忘れないだけ。
 断じて、好きな女子の言ったことだけは何でも覚えている変態ではない。それを証明するために、クラスの男子が一年生の時に授業で発表した作文の内容を片っ端から暗唱した。
 義憤に燃える女子も、スキャンダルに盛り上がる男子も徐々にバケモノを見るような目に変わった。ストーカー疑惑が晴れたのかはわからない。翌日から僕は学校に行かなかったから。
 たかが同級生ごときが怖かったわけじゃない。ただ、彼らにとって僕が異物であり違う種族である以上、永久に分かり合うことはできないと悟っただけだ。

 自分で話を振っておいて、嫌なことを思い出してしまった。
「いや、でも本当に嬉しい。リアルで祝われることあんまりないからさ。ナナちゃんはいつだっけ?」
「あたしは十月二十日」
 涼が僕を気持ち悪がらない理由。それは涼が僕を女だと思っているからだ。男が女との会話をいちいち覚えているのは気持ち悪いかもしれないが、逆はむしろ好感度が上がる。
 僕はまともな形でのコミュニケーションをとることができない。最初に男としてユーザー登録をしたときはろくな友達ができなかった。
 だから、ネット上では女の子ハンドルネームやアバターで性別を偽った。僕もオタク気質の男だから、どういう女性像が僕と同じ属性の男に受けがいいかは理解している。絶対に裏切らないし傷つけてこない二次元の女の子のようにふるまった。
「十月二十日な。覚えとくよ」
「嬉しい。楽しみにしてるね」
 涼はいい人だ。下心丸出しのギルドの他の男たちと違って、涼は紳士的だった。そして、ギルド内最年少でありながら他の男たちからも一目置かれていた。それは涼が一番ゲームが上手だからというだけではなく、彼の人間性も大きいだろう。たびたび他のギルドメンバーのネガティブキャンペーンをしてくる他のメンバーと違い、彼は悪口を言わない人だった。人の陰口を言わない、それだけで十分信頼に値する人間だ。
「話変わるけどさ、ナナちゃん明日のオフ会行く?」
「あたしは行けたら行く感じかなあ」
「俺もそんな感じ。起きたら行く」
 涼も僕も昼夜逆転生活を送っている。彼は僕と同い年らしいが、平日の昼間に行われるオフ会への参加を検討しているくらいだから、あまり学校には行っていないのだろう。リアルであまり祝ってくれる友人がいないと言っていたし、もしかしたら気に障ることを言ってしまったのかもしれない。
 しかし、涼ほどのいい人が学校という社会に馴染めないのだとしたらおかしいのは学校の方なのだろう。
「そこは頑張って起きてよー。みんな涼くんに会えるの楽しみにしてると思うよー」
「いやー、リアルの俺、みんなが思ってるような人じゃないよ。絶対幻滅されるって」
「涼くんの性格がイケメンすぎて、ハードル上がりすぎちゃってるってこと? でもさあ、あたしは涼くんがたとえ本当は八十歳のおじいちゃんでも、体重三百キロでも絶対嫌いにならないよ。涼くんが優しい人って事実は変わんないでしょ? みんな涼くんのことはすっごくほめてるし、みんなも同じ気持ちだと思うよ」
 ねちねちとした陰口を言い合うメンバーも涼の悪口は言わない。涼はこのギルドの良心だ。
「ありがとう。俺、チビだし全然かっこよくないけど、体重二百キロでもおじいちゃんでもないのでそこは訂正しておきます。たださ、俺にオフ会来いって言ってるけどナナちゃんこそ明日ちゃんと起きられる?」
 涼のフォローをしたつもりが痛いところを突かれてしまった。
「お互い起きられるようにがんばろっ。確約はできないけど(笑)おやすみ」
「おやすみ。健闘を祈る。俺も確約はできないけど(笑)」
 お互いそうチャットを送り合って、アプリを閉じた。あたかも少しは行くつもりがあるかのようにふるまったが、明日のオフ会には出席しない。みんなは僕が男だと知ったら激怒するだろうから。でも、涼だけは笑って許してくれるんじゃないだろうかと少しだけ期待している。僕は男で、このゲームの世界の創始者。今までずっと騙していた。そう打ち明けても「これはナナちゃんが一枚上手だったな」って笑い飛ばしてくれる。そんな未来を夢見てもてとても言えずに、中堅プレイヤーの女の子を演じている。

 翌日、オフ会の集合場所から少し離れた場所で僕は集まる人々を観察していた。スマホ版のゲーム内チャットに、各々が目印となる服装を次々に書き込んでいる。ゲーム内でのSNSアカウントの交換は禁止なので、ここに直接書き込むしかないからだ。僕は一人一人の外見とハンドルネームを一致させていく。概ねみんな予想通りのビジュアルだ。
「ナナちゃんログインしてない。寝てるなこれは」
「残念。ナナちゃん目当てで来たのに」
 合流した男たちが談笑している。僕は管理人用の画面から会話を覗き見していたので、ナナのアカウントはログイン状態ではない。
「緑のパーカーに黒いリュックです」
 涼がそう書き込んだので僕は顔を上げてあたりを見回した。待ち合わせ時刻の二分前に、緑のパーカーの少女が小走りでやってきた。
「お待たせしてすみません、涼です」
 僕はその高い声の主を二度見した。彼女は律義にかぶっていたフードを脱いで丁寧にあいさつした。金髪ショートヘアの女の子だった。それもとんでもない美少女だ。僕が今まで出会った女の子の中で一番、それどころか目の前のビルの広告や大型ビジョンに映っている美人女優よりもかわいかった。
 ギルドメンバーに気づかれては厄介なのであまり見ないようにしていたが、僕はあまりの驚きに彼女から目を離せなかった。男たちも唖然としていた。しかし、一人が口火を切った。
「ナナちゃん?」
 ナナはギルドの紅一点。オフ会に現れた女性はナナということに他ならない。そう彼は考えたのだろう。
「うわー、びっくりした! ナナちゃん面白い冗談言うね! ていうか、ナナちゃん信じられないくらい可愛いねー、お兄ちゃん感動だよ~」
 僕に普段お兄ちゃんと呼ばせている男、バクが捲し立てる。チャット内で涼が自己申告した服装と一致していることには気づかず、バクは彼女が「涼」と名乗ったのをナナの冗談として扱った。みんなもそう納得した。
「いたずらっこめー。可愛いなあ」
 そう言ってバクは彼女の頭をいきなり撫でた。彼女はびくっとしてバクを避けた。
「違います。俺、本当に涼です」
「またまたー、お兄ちゃんはそんなウソに騙されないぞー」
 バクが彼女の頬をつついた。彼女はその手を振り払った。
「すみません、顔触られるの苦手で。でも、俺本当に涼です」
「えー、頭なでなでされたいって言ってたじゃん」
 言った。彼女ではなく僕が。そう言えば男は喜ぶから。リアルで会うことはないと思っていたから。
 涼がなぜ女性であるにも関わらず男性のふりをしていたのかはわからない。そんなこと予想もできなかった。だから、こんなことになるなんて思っていなかった。
 しかし、僕の発言が原因で彼女は今不快な思いをしている。僕はそれを看過できなかった。自分の言動には責任をとらなくてはいけない。
「遅れてすみません。僕がナナです」
 僕はみんなの前で名乗り出た。突然の第三者の登場に視線が僕に集まった。
「えっ、なにこれ? 入れ替わりドッキリ?」
「いやぁ、最近の高校生が考えることはおじさんにはわかんないなあ」
 どうやらナナと涼が共謀して、入れ替わりドッキリをして遊んでいると思われているようだ。
「ナナちゃんだいぶ手の込んだことするねー。でも、相方が涼なのちょっと嫉妬だわー」
 そう言って隙あらばナナの頭をなでようとするバクの腕を掴んだ。
「セクハラは規約違反ですよ」
 僕がバクを睨むと、睨み返された。ぴりついた空気が流れる。
「あはは、二人とも冗談はそれくらいにしてカラオケ行きましょうか。ほら、涼くんもバクさんも仲良くしましょ」
 一人がこの場を丸く収めようとする。
「だから、僕は涼じゃなくてナナです。そう言ってるじゃないですか」
「そろそろしつこいんだけど。空気読めよ」
 バクが僕の手を振り払って不機嫌をあらわにした。
「あ、これあれですか。もしかしてナナちゃんと涼くん実は付き合ってる的な」
 絶妙に空気が読めないやつの発言を境に、“ナナガチ恋勢”だったメンバーが騒ぎ始める。
「はあ? 嘘だよなナナちゃん」
「だとしたら俺たちのこと弄んだ責任取ってほしいんだけど」
「そうそう詐欺罪だろ詐欺罪。犯罪だよ」
 僕は彼らにゲーム内アイテムを含め一切何も貢がせていない。トラブルの原因になるようなアイテムの収受やリアルマネートレードは規約で禁止されている。そもそも彼らは無課金プレイヤーだ。しかも、話が通じないようで僕ではなく涼に詰め寄っている。
「皆さん落ち着きましょ。とりあえずカラオケ流れますよ。ナナちゃんも涼くんも、そろそろネタばらししてもらって。せっかくのオフ会ですし、ね」
 唯一のまともな大人も信じていないようだった。彼に誘導されてみんなカラオケ方面へ流れていくが、涼は戸惑っている様子だった。
「ごめんなさい。やっぱり俺帰ります。空気悪くしてすみませんでした」
 涼がカラオケとは反対方面に向かう。僕は彼女を追いかけた。
「涼くん!」
 いつもの呼び方で呼び止める。彼女は足を止めた。
「ナナちゃん」
 彼女は振り返るなり僕に頭を下げた。
「さっきは助けてくれてありがとうございました。バクさんのこと嫌いじゃないけど、ああいうスキンシップは苦手だったから」
「いや、僕のせいだから。嘘ついてごめんなさい」
 僕も頭を下げて謝った。
「ナナちゃんが謝ることないっすよ。ナナちゃんは何も悪くない。頭上げて。ていうか、俺も嘘ついてたのは同じなんだからお互い様っす」
 涼が焦って僕に頭を上げるように促した。平日の昼間に往来で子供が頭を下げ合っている異様な光景に通行人が怪訝な目を向けていることに気づいた。
「ちょっと、落ち着いてファミレスかどこかで話そうか」
 涼に提案された。
「そっすね」
 涼はいつもと変わらない言葉遣いだったが、僕はどういう風にしゃべればいいか定まらなかった。道中で天気の話や食べ物の好き嫌いなど当り障りのない話はしたが、僕がいわゆるネカマをしていることについて涼は触れなかった。いたって自然な様子で車道側を歩き、ファミレスにつけばドアを押さえ、奥側のソファ席を譲られた。注文を終えるや否や僕の分も水をとってきてくれた。
「聞かないの? そのせいで迷惑かけたのに」
 性別の詐称という言葉はあえて省略したが、その意図は伝わったようで彼女は苦笑した。
「ナナちゃんこそ」
 僕もそれを聞いて苦笑した。
「女の子の自分が嫌いなんだ」
 僕は聞きたいとも聞きたくないとも言わなかったが、涼は語りだした。
「すごく違和感があるって言うか、居心地が悪いって言うか。小学校の頃から、ネットのゲームの前では男のふりしてた。だから、高校では心機一転しようと思ったんだ。それで、女子もスラックス選べて知り合いがいないところにしたんだけど」
 涼の眼光はまっすぐ僕をとらえていた。僕は気まずくて目をそらした。
「まあ、浮くよね。誰も理解してくれない。見事に高校デビュー失敗。で、林間学校の班分けで余って、迷惑かけるのも申し訳ないから欠席にした。一回休むと、つい楽な方に流れちゃうのって人間の性なのかな。今は試験の時以外学校行ってない。私立だから成績さえとってれば出席日数は融通きかせてくれるから」
「ああ、それなんかわかるかも。僕も一回風邪で休んだらそこから学校行かなくなった」
 小学校はストーカー冤罪事件をきっかけに行かなくなったが、中学校ではこれといったきっかけはなかった。一学期の半ばに風邪をひいて学校を休んだのをきっかけに行かなくなり、夏休みが明けても復学する気力がなかった。あるいは小学校で不登校だったから、中学でも休み続けるという方向に流れたのかもしれない。
 涼の場合、僕とはだいぶ事情が違うが、楽な方に流れると戻れないことに関してはとても共感したのでつい打ち明けてしまった。
「ナナちゃんは無理に話さなくていいよ。俺が勝手に話しただけだし」
「いや、フェアじゃないから言うよ。軽蔑するかもしれないけど、僕は性自認が女性ってわけでもないのに女の子のふりしてた」
 言いながら思った。僕はフェアじゃない。ナナは軽蔑するような人ではないとわかったうえで言っている。
「じゃあ、もしかしてレディファーストみたいなことされるの嫌だった? だとしたらごめん」
 ナナは僕を責めることなく、真っ先に僕を気遣う発言をした。
「それは嫌じゃなかった。僕も、学校ではうまくやれなかったタイプの人間だから。中学が男子校だったんだけど、男として男と仲良くなるの失敗して……でも、“ナナ”って女の子としてなら仲良くなれたのが嬉しくて、引っ込みがつかなくなっちゃって。だから今日も来るか迷った。でも、もし誰か一人でも許してくれてこんな俺のことも受け入れてくれたら嬉しいなって思って……。その、誰かひとりっていうか、涼くんのことなんだけど」
 僕は涼の顔を直視できなかった。情けない。僕は“七尾和馬”が嫌いだ。
「じゃあ、ナナちゃんは勇気が必要な方の選択をしたんだ」
 その言葉に僕は顔を上げた。涼は優しいまなざしで僕をまっすぐ見ていた。青みがかった瞳が綺麗だった。
「そんな綺麗な話じゃないよ」
「そうかな? 人を信じるってすごく勇気がいることだよ。ナナちゃんが俺のこと信じてくれて嬉しかったよ。ナナちゃんはすごく強い人だと思う……って俺も嘘ついてたんだから何を偉そうにって思うかもしれないけど」
 涼がはにかんだ。近くで見るとより一層、日本人離れした目鼻立ちが整った顔が際立つ。
「ナナちゃんはさ、レジェドロ上の人格“ナナ”としての自分は好き?」
「リアルの自分よりは……でも、こんなことになっちゃったらギルドは終わりだよね」
「確かに今のギルドを続けるのは無理かもしれないけどさ、“ナナちゃん”としての人格は殺さないでほしいし、嫌いにならないでほしい。ナナちゃんはリアルの俺ができなかったことをやってるから尊敬してるんだ」
 僕は涼の言っている意味がよくわからなかった。
「男と女ってさ、色恋がらみで揉め事おこるもんだろ。ましてやナナちゃんはコミュニティの紅一点だったわけだし。みんなナナちゃんのこと大好きだった。ナナちゃんを中心に、楽しい雰囲気があって、すごく居心地がよかった。そういう空間を作れるのってすごいことだよ。今日は大変なことになっちゃったけどさ、こんなのアクシデントだろ。ナナちゃんなら、また誰かの居場所になれるような楽しいギルドを作れるよ」
 一部とはいえ僕の情けない部分を曝け出したはずなのに、涼は僕を全肯定してくれている。その理由がわからなかった。
「涼くんは僕がネカマしてること、ひいてないの?」
「ひくわけないだろ。なりたい自分になれるのがネットのいいところだし。ギルドのみんなといるときのナナちゃん、可愛いと思う。だから、自信持ってほしい」
 涼は小さな子供のような高い声なのに、落ち着いた話し方で随分と大人びて見えた。体は華奢で儚げな女子そのものなのに、大きく頼もしい存在に思えた。この人のことならば信じられると生まれて初めて思えた。
「わかった……たぶん今日でギルド解散になると思うけど、そしたら、一から新しいギルド、一緒に作ってくれますか? 涼くんと一緒なら、やっていける気がするし、“ナナ”としての僕に自信が持てる気がする」
「え、いいの? ナナちゃんのギルドなら絶対楽しい。これからもよろしく」
 涼はそう言うと、ほっとしたように息をついた。
「よかったー。女ってばれたし、絶対あのギルドじゃやっていけないし、本当にどうしようかと思ってたんだ」
 僕が何も言えずにいると、視線に気づいた涼が軽く咳払いをする。
「あー、ごめん。これからも一緒にやってくんだし、隠し事は無しだよな。察してるとは思うんだけど、昔から色々と問題起こしてるんだ」
 涼は淡々と語りだした。
「趣味が合うのが男ばっかりだったから、小学校入ったころから男とばっかりつるんでたんだけど、四年生の頃だったかな? いつも一緒に遊んでたメンバーの中の三人が俺のこと好きになって人間関係がめちゃくちゃになった。いわゆるサークルクラッシュってやつ。三人とも大切な友達だったから、すごく悩んだし、すごく後悔した。ネットで、“涼”を名乗りだしたのはこの頃だったと思う」
 涼は客観的に見て可愛い。
「自分のせいで友達関係がおかしくなるのが嫌だったから、中学では男を避けてた。でも、ほとんどから見ないどころか、一言も話したことない人からも告白されて、ストーカーみたいなことされたり、女子から嫉妬されたりして……とにかくトラブルメーカーだったわけですよ。これが誰も俺を知らない場所で高校デビューしようと思った理由」
「それ、涼くんは悪くないと思う。全部、自分勝手な男どもが悪い。涼くんが責任感じる必要なんてない」
「ありがとう。でもさ、こういうことがあったなら女子校に入るくらいの自己防衛はするべきだったと思うんだよ。中学受験で一応女子校何校か受けたけど全滅して公立に行ったし、高校受験も家から通える知り合いのいない女子高全落ちしたから結局共学に通うことになって悪目立ちしてる。俺の外見しか見てないやつに付きまとわれるのも、完全に自己責任だよ。俺の努力不足が悪い」
「そんなの結果論だ! 僕だって、女性恐怖症だから男子校入ったけど、結局うまくやれなかった。受験の結果がどうあれ、悪意を持った人間が周りにいるのは不運以外の何物でもなくて……」
 僕が思わず立ち上がって捲し立てると、周りの席からの視線を感じた。僕は途端に恥ずかしくなり、座って黙り込んでしまった。
「女性恐怖症? 今、俺と話してるのは大丈夫? 具合悪くなったりしない?」
 涼が心配そうに僕の顔を覗き込む。例の魔女裁判まがいの学級裁判以来、女子が苦手になり男子校に進学した。ギルドに女性は入れなかった。なぜか涼に対してだけは拒否反応が出なかった。
「いや、女性って言っても二次元の女の子は好きだし、母親とか祖母とかは大丈夫なんだけど……」
 そこまで言ったあと、涼を見る。どう見ても可愛い女の子だ。母親枠でも祖母枠でもない。二次元枠かと言われるとそういうわけでもない。
「涼くんのことは、男の子として認識してるんだと思う。あははー、シナプスハッキングされて脳みそバグったかも」
「なにそれ。俺としては光栄だけど」
 涼が微笑む。ふと僕は気づいてしまった。僕は自分が女性恐怖症になるに至った経緯を話した。生まれつき記憶力がいいこととそれが原因で誤解を生んでしまったこと。それは弁明のようなものだった。僕は数日前、涼の誕生日を覚えていると伝えた。それが恋心によるものではなく、僕の体質によるものだと言わないといけない。暴力的な劣情によって傷つけられた涼に、僕は涼を傷つけた悪魔どもとは違うと伝えたかった。
「なにそれ……」
 すべてを話し終えた後、涼はワントーン低い声で怒りをあらわにした。
「気持ち悪いのはその女の方だろ。自意識過剰も甚だしい」
「あ、でも、僕も悪いところあったし……」
「ないよ。ナナちゃんは何も悪くない」
 僕の発言を遮るように涼は言い切った。
「親切にしてくれた人に『お前は俺のことが好きだから親切にしたんだよな』って決めつける行為、恩を仇で返す以外の何物でもないと思うんだけど。違う?」
 僕はあの時、本当にただの親切心から落とし物のことを教えてあげた。恋愛感情など一ミリもなかった。
「いるんだよね。そういうやつ。親切にしてくれた人を好きになりました、ならわかるよ。自分に親切にしてくれた人は全員自分に惚れているって考えるような失礼な人間のこと好きになる人なんているわけがない」
 涼はじっと僕の目を見つめる。
「たとえば、俺が『君が優しくしてきたから、僕のこと好きだと思ったんだ。思わせぶりなことした責任取れ』って、ほとんど話したことない人に言われたとしたらどう思う?」
 僕は、それがたとえ話ではなく実際にあったことなのだとすぐに分かった。
「そいつのこと絶対許さない」
「だろ? それと全く同じ。やっぱりナナちゃんいい子だよね。自分のためには怒れないけど、俺のためなら怒ってくれるんだ。ナナちゃん、そのセクハラ女にもっと怒ってもいいよ」
 僕はあの日セクハラの加害者としてつるし上げられた。でも、涼は僕が被害者だと言ってくれた。
「そりゃ、大事なものなくして困ってる子は助けてあげたいし、調理実習で目の前で火傷した人を見たら蛇口捻って水出してあげるくらいするだろ。人として当然の感情を色恋沙汰として結びつける人間、本当に気持ち悪い」
 調理実習の下りも涼の体験談なのだろう。それで勝手に勘違いするなんてどうかしている。僕よりも二段階くらい災難をこうむっている。
「涼くんは、強いよね。僕なんかより全然大変な目にあってるのに、僕のために怒ってくれてさ……。僕は別に、ストーカーとかにあってたわけじゃないし、例の事件もいじめとかになる前に学校いかなくなったし」
 こういう時、どういう表情をすればいいのかわからなかった。僕は苦笑いしてごまかした。
「学校ってさ、おかしな空間だよな。なんか事件が起こると、それが“悪ふざけ”か“いじめ”かばっかり審議して、事実が事実として裁かれない。いるんだよ。『死ね』って百件ラインを送り付けたとして、『いじめじゃないです、話し合いがしたかっただけです』『ストーカー行為のつもりはありませんでした、話を聞いてほしかっただけです』って、言ったら罪が軽くなると思ってるやつらが。いや、知らないんだけど。いじめだからストーカーだから困ってるんじゃなくて、『死ね』ってラインが百件送られてきてる事実が迷惑なんだけどって話」
 僕を諭すように涼が話す。僕は涼の顔がまたしても直視できない。
「その女がナナちゃんを誹謗中傷して、結果としてナナちゃんが傷ついた。それだけが事実だよ。名誉棄損罪とか侮辱罪とかそういう感じの犯罪があった。その行為の名称が“いじめ”でも“不幸なすれ違い”でも、罪は罪だ」
 涼はまたしてもきっぱりと言い切った。ぐうの音も出ないほどの正論だった。涼は今まで出会った人の中で一番聡明だ。
「無理して笑う必要なんてないし、自分も悪かったなんて思う必要はないよ。怒っていいし、泣いたっていいんだよ」
「でも、僕一応生物学上は男だし……泣くのってみっともなくない?」
「俺もシナプスハッキングされてるから、俺の脳内ではナナちゃんって女の子なんだよ。中学以降で出会った俺の周りの男がひどいやつばっかだったから、俺にとっての男の理想像って助けを求めてる女の子の心を守ってあげられるような人なんだよ。だから、目の前で苦しんでるナナちゃんをみっともないなんて思うわけないだろ」
「ありがと……その言葉だけで十分」
「そっか。まあ、涙って無理して流すもんでもないけど、誰かに話すと楽になるだろ……って、どさくさで俺すっごい自分語りしたかも。なんかごめん」
「気にしてないよ。自分のことと同じように僕のことで怒ってくれて嬉しかった。今まで、そういう人いなかったから……」
 胸が奥と喉が熱くなる。言葉に詰まる。
「そりゃ、友達傷つけられたら怒るだろ」
 友達。その言葉を何度も頭の中で復唱する。目の奥が熱くなる。
「友達って初めて、言ってもらえた。ずっと嫌われてたし、リアルの僕は嫌味で不気味でおかしいやつだと思われる運命なんだって諦めてたから」
 泣きそうだ。なのに、涙が出ない。
「あはは、泣き方忘れたっぽいな。まあ、随分前のことだし今更泣けないなって感じ」
 僕は笑った。今度はごまかすために笑ったわけじゃない。無理をしているわけじゃない。
「でも、なんか色々聞いてもらえてすっきりしたかも。なんか、肩の力抜けた」
「うん、最初会ったときより表情柔らかい感じする」
 涼が微笑む。
「水、持ってこようか? たくさん話したし、喉かわいたっしょ?」
 そう言って涼は立ち上がった気遣いスキルカンスト。涼がモテる理由は単に顔がいいからというだけではないのだろう。でも、ドリンクバーに向かう背中に向かって僕は宣言する。
「あのさ、涼くん。僕、涼くんにいくら優しくしてもらっても絶対勘違いしないから」
 だから、安心してほしい。僕は君を傷つけたりしないから、そのままの“涼くん”でいてほしい。僕がそういうと、涼は振り返った。
「はいはい、いくらでも優しくしますよ。お姫様」
 完敗だ。男として全く敵わない。涼ほどかっこいい“漢”はこの地球上に存在しないだろう。

 僕はまったく男らしくない。僕は卑怯者だ。すべて話したと言いつつ、ギフテッドとしての僕の「ソーシャルゲームを作るために必要な力」に関することは何一つ言わなかった。要するに、僕がレジェドロの制作者であることは秘匿した。対等な関係でありたかったからだ。唯一の友達を僕は裏切った。
 罪滅ぼしのつもりで、トイレで席を立ったタイミングで管理者画面を開く。涼は誠実な人だから、僕と話しているときはスマホを見ていなかった。だから、まだ合流後のギルドメンバーの発言は見ていないはずだ。
「このユーザーを削除しますか?」
 涼に失礼なメッセージを送ったメンバー、涼にセクハラをしたメンバー、ギルドの全体チャットに失礼なことを書きこむメンバーのアカウントを片っ端から凍結させた。涼のログイン履歴を確認する。まだ涼が罵詈雑言を目にする前だった。よかった、これで涼が傷つくことはない。
 涼のおかげでほんの少しだけ“七尾和馬”としての僕を好きになれた。心の中で泣いていた幼き日の僕を涼が救ってくれたから。だから、涼が涼でいられる場所は何に変えても僕が守る。それが、七尾和馬としての僕の決意だ。

 僕は何事もなかったかのように席に戻って、他愛もない話をした。普通の友達としての普通の会話を、夜になるまで続けた。
「これからも連絡はレジェドロのチャットでいい?」
「いいよ」
 僕は涼の提案にほっとした。ラインは本名をフルネームで登録している。調べられれば、僕がレジェドロの制作者であることがばれてしまうからだ。
「よかった。本名、ファーストネームもミドルネームもどっちももろに女の子って感じだからさ」
「ミドルネーム?」
「父親がフランス人。いわゆるハーフってやつ。って、見ればわかるか」
 僕は話しているうちにいつのまにか、涼が容姿端麗で金髪碧眼であることを忘れてしまっていたことに気づいた。涼は自分の美しい顔を、神様に押し付けられた厄介な贈り物だと思っている。ならば、それは涼が涼であるための本質ではないからだ。
 僕達の関係にリアルのガワや本名を持ち込むのは無粋だ。僕たちは涼とナナとしてこれからも友達でいたい。