俺は、何をしてるんだろう?
 目の前には、男の俺から見ても見惚れてしまいそうな端正で凛々しい顔。
 大きく見開かれた薄い茶色の目に、複雑な表情の俺が映り込んでいる。
 相手はひと月に1回は女子から告白されていると噂の人気者、来馬新(くるましん)
 対する俺、春日井真(かすがいまこと)は家庭科部に所属するクラスでも目立たない部類の男子生徒だ。
 それなのになぜ、俺は今までクラスメイトという以外の接点しかなかった来馬に壁ドンなんてしているんだ?
 状況を理解すると戸惑いしかない。
 いや、わかってるんだ。
 この状況は俺が作り出したものだっていうのは。
 少し強ばっている来馬の表情を見て思う。
 そうだ、俺はこの来馬に話があってこんなことをしたんだ。
 来馬の薄い色の目に映る自分の顔を見ながら、俺はことの経緯を思い出した。

***

 あれは昨日、日曜日のことだ。
 俺は人通りの多い街中の中央にある広場のベンチで、人間観察ならぬ服装観察をしていた。
 服装と言っても無差別に見ていたわけじゃない。
 俺が観察しているのはいわゆるロリータファッションと言われるタイプのフリルやレースがたっぷり使用された服だ。
 実は服飾が趣味でもある俺は、将来はそっち系の仕事に就きたいと漠然と思っていて、部活も男子が少ない家庭科部に入っている。
 最近は男が料理や裁縫をしていても変だ、なんていう奴は少ないけれど、それでも俺の場合は少々事情が変わる。
 俺が好んで作る服は一般的なものじゃなくて、フリフリフワフワした女子しか好まないタイプの服ばかりだ。
 そのことを知った従妹には、ハッキリ『キモイ』と言われてしまったこともある。
 別に良いじゃ無いか、と思う反面。世間では――特に女子から見たら『キモイ』と言われてもおかしくないんだなと思った。
 だから部でもそっちの趣味の方は隠して、ごく一般的な服を基本は作成している。

 今日は休みだから、家で心置きなく作りかけの服の作業を進めようかと思った。
 でも、天気が良かった上に近くでロリータ系のファッションイベントがあることを知って服観察には最適だと街に出てきたんだ。
「あの子の服のレースすごいな、絶対手編みのやつだ。……あ、あの子のスカート左右対称になってない。デザイン的にもそういうタイプじゃないだろうし……自分で作ったのか?」
 スマホ片手に、誰かとの待ち合わせを装って独りごちながら道行く人のロリータ服チェックをする。
 そんな中、行き交う人の中にひときわ目立つ存在を見つけた。
 長身で、銀髪のロングストレートの頭にはフリルとレースの付いた黒のヘッドドレス。
 同じく黒を基調にしたゴスロリに近いロリータ服は、彼女の背の高さも相まって一種の格好良さすらあった。
 単純に目を引くけれど、それだけじゃない。
 ダークで退廃的なゴシックとお姫様のようなフリルやレースをふんだんに使っているロリータ。
 着こなし次第では悪魔的にも天使的にも出来るファッションだけれど、彼女の着こなしは俺の理想だった。
 どちらとも取れる着こなし。退廃的な雰囲気は少なくて、でも反対の甘さもそこまで強調されて無くて……。
 俺の好きなレースやフリルをたっぷり使っているのに、カッコイイと思えてしまう彼女はとても魅力的だった。
 ……あの人に、俺の作ったゴズロリ服着てもらえないかな?
 そんなことを思いながら熱視線を送ってしまっていたんだろう。
 視線に気づいたのか、俺の近くを通るところだった彼女はフイ、と俺の方を見る。
 そして目を見開いた。
 見過ぎてしまった、と少し後悔して目を逸らそうとしたけれど、その前に彼女の口元が動く。
「……春日井、真?」
「へ?」
 今度は俺が驚いた。
 改めて見上げた彼女はハッと口を押さえ、足早に去って行く。
 俺はその背中を見ながら彼女の残した声を思い返す。
「俺の名前だったよな? しかもあの声……」
 女性とは思えないほどに低い声。しかもそれは、聞き覚えのある声だった。

***

 翌朝、学校に来た俺は緊張の面持ちである人物を待っていた。
 昨日のゴスロリ服を着た女性。あれが誰だったのか検討がついたから。
 ……でも、本当にそうなのか。正直自信は無い。
 問い詰めるべきか、それとも気づかなかったことにするべきか。
 何度も思考の端を行ったり来たりしていると、目的の人物が現れる。
「新、おはよう!」
「ああ、おはよう」
 クラスの人気者である来馬新。
 長身で、短めの黒髪に薄い茶色の目。鼻筋も通っていて、爽やかさのあるイケメンだ。
 頭も良くて、運動も出来るけど部活には入っていない。
 性格も悪くなく、少なくとも極端に来馬を嫌いだと言うやつはいない。
 クラスメイトに朝の挨拶を返す声を聞いて、やっぱりあいつだ、と思う。
 昨日のゴスロリ服を着た女性。あれは来馬だったんだ!
 確信を持ちつつも、まだ不安は無くならない。
 声だけなら似てるやつもいるし、あのゴスロリ服の女性が来馬だっていう確証がない。
 でも、昨日の彼女は俺のことを知っていたみたいだったし……。
 また迷いながら、やっぱり違うかもしれないと思いつつ来馬を見続けていると、バチリと目が合ってしまった。
「っ!」
 思わず息を呑んだ。
 でも、俺以上に来馬は驚きと焦りの表情を浮かべる。
「っ!」
 来馬はそのまま表情を硬くして、すぐさま踵を返すと、教室を出て行った。
「え? 新、どこ行くの!?」
 友人や女子の取り巻きの声も無視していなくなる来馬を俺は立ち上がって追いかける。
 あの慌てよう、やっぱりそうなんだ!
 不安も吹き飛び、確証を得た気分で来馬の姿を追う。
 そして非常階段のある廊下の奥へ来たところで追いついた。
「待ってくれよ来馬! 昨日のことで話がしたいんだ!」
「うるさい、来るなよ! 俺はなにも言うことはない!」
 話しがしたいのに、聞こうともせずまた俺から逃げようとする来馬。
 昨日のことと声をかけて、知らないと言わないってことはやっぱり来馬だったんだ。
 さらなる確証を得た俺は、なんとか引き留めたくて来馬が向かおうとしている方の壁へ通せんぼするように手を突いた。
「チッ」
 舌打ちした来馬は反対方向に逃げようとするから、後に引けなくなっていた俺はそっちの壁にも手を突く。
 その結果、俺がクラスの人気者である来馬というイケメンに壁ドンしている状況が生まれたというわけだ。

 ……と、振り返ってみても何故こうなったという思いは無くならない。
 いや、でもどうしても話したいこと――頼みたいことがあったんだ。
「……はぁ、仕方ないな。わかった春日井、交渉しようぜ?」
 薄い茶色の目を一度閉じた来馬は、諦めのため息を吐いて提案する。
 話がしたかった俺はすぐに「ああ」と頷いた。

***

 そのまま非常階段の段に座って話しをすることにした俺たち。
 座って、真っ先に口を開いたのは来馬だ。
「あー……えっと、とりあえず昨日のことは黙っててくれ」
「え? あ、ああ。もちろんだよ」
 元々言いふらすつもりなんてなかった。
 俺はただ、頼みたいことがあっただけなんだ。
「そっか、良かった」
 俺が頷いたことで安心したのか、明らかにホッとして肩の力を緩める。
 そんな来馬に、俺はおずおずと聞いた。
「……やっぱり秘密なんだな?」
 クラスの人気者である来馬、そんな男が世間一般では少々特殊な部類に入る服を――しかも女装して着ているんだ。公言したいとは思えない。
「そりゃあ、な。ゴスロリ、しかも女装して着るのが趣味なんて、気持ち悪いって思われてもおかしくないからな……」
 普段教室で見る来馬とは違う、色々なことを諦めてしまったかのような表情。
 自分の趣味は周りには認めてもらえない。
 その悲しさと寂しさを色濃く見せる表情に、俺と同じものを感じた。
 俺も、自分の趣味を『キモイ』と言われて、周りに受け入れてもらえなくて、悲しく思っていたから。
 だから、来馬の「おまえだってそうだろ?」という言葉には大きく首を横に振った。
「気持ち悪いなんて思ってない! だって、俺もちょっと他人には秘密にしている趣味があるから!」
 必死に否定しながら、俺は今までひた隠しにしていた自分の趣味を暴露した。
「俺、服を作るのが趣味なんだけどさ……中でもフリルやレースがたっぶり使われたロリータやゴスロリが大好きなんだ!」
 話して、いくらゴスロリ女装が趣味な来馬でも、そういうのを作るのが趣味だなんて引くかもしれない。そう思った。
 でも、勢いもついてしまって今更止められない。
「だからその、来馬。……お前さ、俺の作った服着てみてくれないか?」
「え?」
 勢いのまま、本題でもある俺の頼み事を口にする。
 唐突過ぎただろうか?
 そんな心配を他所に、来馬は驚きつつも右手で刈り上げた後頭部をかきながら「いいぜ?」と口にする。
「いいのか!?」
 思わず聞き返すと、戸惑いばかりだった来馬の顔に笑みが浮かぶ。
「ああ、俺としては趣味を黙っていてくれるなら何の問題も無いし。それに服を作ってくれるっていうならむしろ嬉しいし? 春日井って確か家庭科部だろ? 少なくともド素人の変な服を持ってこられることもなさそうだからな」
「変な服って……んなもん着て欲しいなんて頼むわけないだろ?」
「そりゃそうか」
 と、快活に笑う来馬に俺もつられて笑う。
 こうして、関わりなんて一切無かった俺と来馬新とのヒミツの関係が始まったんだ。

***

「春日井、今度お前の家行ってみてもいいか?」
「え? い、いいけど……」
 ヒミツの関係が始まって数日したころ、来馬が突然そんなことを言い出した。
 しかも、みんながいる放課後になったばかりの教室で。
 いつも来馬の側にいるやつらが驚きの表情でこっちを見てる。
 あの日から少しだけ話すことは増えたけれど、元々接点がクラスメイトってこと以外なかった関係だ。
 それがいきなり『家行ってみてもいいか?』となると驚くのも当然だろう。
 俺だってさすがにいきなりすぎてビックリしてる。
 そんな俺に近づいた来馬は、みんなには聞こえない様な小さな声で理由を伝えてきた。
「俺に着て欲しいって服がどういうものなのか確認しておきたいんだよ。メイクとか色々、合わせるものも考えないとないからさ」
「あ、そっか。うん、わかった。部活のない日ならいつでもいいぜ?」
 理由を聞いて納得した俺は、快くOKの返事をする。
 着こなしが素晴らしいなって思っていたけれど、やっぱりメイクや小物とか、そういうところにも気を遣ってるんだな。
 ただの趣味かもしれないけれど、本気でロリータ服が好きで着ているんだとわかってなんだか嬉しくなった。
 この様子なら、今俺が丹精込めて作っている服もしっかり着こなしてくれそうだ。
「じゃあ、今週中で頼む」
 そう言った来馬の言葉で、金曜日に家へ招くことを決めた。

***

 そうして金曜日の放課後。
 いつも一緒にいる友だちと別れた来馬は俺についてきた。
「えっと、ここが俺の家」
 なんとなく緊張しながら来馬を家に上げる。
 今までも友だちを家に入れることはあったし、異性でもないのにそこまで固くなることじゃないかもしれない。
 でも、他の友だちにはヒミツにしているロリータ服を見せるんだ。緊張しない方がおかしい。
「えっと、なんか飲むか?」
 多少はもてなそうと声をかけたけれど、来馬は端正な顔を真面目なものにして「いい」と端的に答えた。
「それより服を見せてくれよ。ある程度は出来てるんだろ?」
「あ、わかった」
 俺とは服以外で関わりたくないからなのか、それとも俺の作ったロリータ服にそんなに興味があるというのか。
 取り出した制作途中のロリータ服を見た来馬の表情を見れば、後者だってことはすぐにわかった。
「すっげぇ……本当にこれ春日井が作ったんだよな?」
「そりゃあもちろん。……まだ作りかけだけどな」
 取り出したクラシックな紫色を基調にしたロリータ服。
 まだ裾にはフリルやレースをふんだんに使うつもりだし、袖口や襟元の飾りなんかも調整するつもりだから本当に途中なんだ。
 それでも来馬にとってはすごいと思えるものだったらしく、目が明らかにキラキラし始めた。
「いや、この状態でもすごいってわかるよ。俺、背も高いし既製品で合うやつって少ないから、ぴったりのサイズがあったら手当たり次第に買うこともあるんだ。でも、そういうのって縫製が甘かったり、思っていたより形が悪かったり……。こんな丁寧に作られているものって少ないんだ。あっても、ものすごく高い」
 一気にまくし立てるように話す来馬に、少し圧倒された。
 けれど、自分の作ったものを褒められて嫌な気持ちになるわけがない。
 俺は嬉しさに心を踊らせて口元がほころんだ。
「そこまで言ってくれて嬉しいよ。作ってることもヒミツにしてたからさ、誰かに評価されることってほとんどなくて……。ただでさえ一着作るのに何ヶ月もかかるから、たまに心折れそうになるんだ」
 今までも試作品として作ったことはあるし、1回だけ売ってみたことはある。
 買ってくれた人は高評価をくれたけれど、やり取りは淡々としていて本当に喜んでくれたのかどうかよくわからなかった。
「だから、来馬が着るって言ってくれて本当に助かったんだ。モチベーションが上がるって言うか……来馬に着て貰うんだって思うとしっかり丁寧に作らなきゃとか思ったし……」
「そ、そっか」
 俺の言葉に照れているような来馬を見下ろして、目を細める。
「これを来馬が着たらどんな風になるのかって想像しながら作ると、本当に楽しいんだ」
 だから本当に感謝してる。そう、伝えたかった。
 俺の目を真っ直ぐ見上げていた来馬は、口の片端をニッと上げ不敵な笑みを浮かべる。
「うん……じゃあ、しっかり着こなすためにもちゃんと見せて貰わないとな」
 明るく言う来馬は、どこからどう見たって男でイケメン。
 でも、メイクをしてロリータ服を着こなす来馬は性別の垣根を越えてキレイだし格好良かった。
 この服も、きっとあんな風に完璧に着こなしてくれる。
 そんな確信を得て、俺は真剣に聞いてくる来馬に他にどんな装飾をつけるつもりなのか、完成イメージはどんな感じなのかを話した。

***

「春日井くん、最近良いことでもあった?」
 部活中、冬に向けてみんなで編み物の作品を制作していると、部長の木元(きもと)先輩が声をかけてきた。
 ロングボブの黒髪をハーフアップにしている木元先輩は、これぞ大和撫子って雰囲気の美少女だ。
 いつも優しい笑みを浮かべていて、憧れの対象。木元先輩とお近づきになりたいがために、家庭科部に入部した男子生徒もいる。
 俺は違うけれど、優しくて後輩思いの木元先輩にはやっぱり多少は憧れてしまう。
「え? まあ……ちょっと、個人的に趣味で作ってるものがそろそろ完成しそうだから、ですかね」
 部ではもちろん、木元先輩にだって俺がロリータ服を作っていることは内緒だ。
 でも、来馬という素晴らしいモデルを得て、理想通りの服が出来そうになったから気が緩んでいたのかもしれない。
 いつもだったら笑って誤魔化すようなところを、今回はもう少し詳しく話してしまった。
「春日井くんの趣味って言うと……服飾の方? 春日井くん縫製が丁寧だし、センスも良いからどんな服を作っているのか気になるわ。今度着た姿を見せてちょうだいね」
「あ、えっと……俺の着る服じゃないので」
 当然のように俺が自分の服を作っているんだと思っている木元先輩に、俺は少し気まずくなりながら曖昧に否定する。
「え? じゃあ誰に? あ、家族にとか?」
「あ、いえ。……その、親戚の女の子に……」
 なんて答えようかと迷いつつ、少し冒険してみることにした。
 俺みたいな男子高生が女子の服を作っているというだけで気持ち悪いと思うやつもいる。
 だから親戚の女の子ということにして、木元先輩の反応を伺ってみた。
 来馬は俺の趣味を笑ったり『キモイ』なんて言わなかった。来馬本人にも人に言えない趣味があるからなのかもしれないけれど、もしかしたら俺の趣味はそれほど拒絶されるようなものではないのかもしれないと思ってしまったから……。
 思った通り、木元先輩は俺の答えに嫌悪感を抱いた様子はなかった。
「親戚の女の子? へぇ、春日井くん女の子の服も作れるんだ?」
 軽い驚きはあったようだけれど、嫌そうな感情は全くない。
 でも――。
「どんな感じ? スポーティーな雰囲気なのかな? さすがにフリフリのお姫様みたいな服を作ってるわけないだろうし」
「っ!」
 細い人差し指を顎に当てながら色々と想像し始める木元先輩の横で、俺は言葉を詰まらせて黙り込むことしか出来なくなる。
『さすがにフリフリのお姫様みたいな服を作ってるわけないだろうし』
 その言葉は、俺を否定するもの。
 木元先輩はそんなつもりはなかっただろう。
 でも、ナチュラルに出てきたその言葉は俺がそんなものを作っているわけがないという先入観。
 その先入観に、俺は本当のことを話すのをやめた。
 もしかしたら木元先輩は、話せば理解を示してくれるかもしれない。
 でも、その先入観がある以上心から理解してくれるとは思えない。
 どうしても理解して欲しいと思っているわけじゃない。
 けれど、理解したつもりで話されるとふとしたときに傷つく言葉を口にされることがある。
 それは不意打ちで心をえぐってくるから、とてもやっかいだ。
 だから、俺は秘密は秘密のままにしようと口を(つぐ)んだ。

***

「やっぱりすげぇな……」
 完成したロリータ服へ着替えるために借りたネカフェの一室で、来馬は感嘆の声を上げた。
 俺の作ったロリータ服を着てくれた来馬は、ふんわりと広がったスカートをちょいとつまみ上げて軽く体をひねらせる。
 メイクもウィッグもしていない状態だから少し違和感はあるけれど、首から下だけを見れば完璧に着こなしているように見えた。
 作りかけだったクラシックロリータの服。
 元々は、落ち着いた雰囲気の色合いやデザインの中に、どれだけ俺の好きなフリルやレースをつけられるか試してみようと作っていたものだった。
 それが、丁度あの日見た来馬に似合いそうだと思ったんだ。
 だから、一度もまともに話したことがないっていうのに追いかけた。
 ……壁ドンになってしまったのは未だに謎だけど。
 とにかく、それからは来馬に似合うようにと考えながら細かいところを調節した。
 その成果を前に、なんだか感慨深いものを感じる。
 やっぱりいいな……好きなものを思う存分作るのって。
 しみじみと感じていると、ひとしきりロリータ服を見た来馬は「じゃあ、こっちも始めるか」とメイク道具を広げたテーブルに向き直る。
「あ、じゃあ俺はこっち片づけたら先に出てるな」
 このネカフェは着替えるためだけに借りたから、それほど長居するつもりはない。
 来馬が鏡に顔を向けたまま「ああ、わかった」と返事をするのを聞いた俺は、早速片付けを始めた。

***

 先に廊下へ出た俺は、店を出るには一緒の方が良いかと思って、階段前にある自販機でコーヒーを買って飲みながら来馬を待つことにした。
 来馬の着こなしはきっと完璧だ。
 ちゃんと見たことがあるのは一度だけだけれど、それは確信できる。
 だからこそ、俺の作った服の出来が試されるような気がして少し緊張する。
 でも、やっぱり楽しみな気持ちの方が大きい。
 初めて特定の人を思いながら作ったロリータ服。
 来馬に着て貰うんだって思いながら細部にまでこだわった作品。
「……楽しかった、な」
 ポツリとこぼした言葉は、これで終わりなのかという寂しさが滲んでいた。
 来馬に着て貰うんだって作っていた期間は本当に楽しかった。
 でも、完成してしまった以上はその時間も終わり。
「……また、作らせてくれないかな?」
 今の服を作っている間にも、来馬に着てみて欲しいデザインが次々と浮かんできた。
 まだまだ作り足りない。もっと、もっと作って、それを来馬に着て欲しい。
 来馬の着替えが終わったら聞いてみよう。
 また作るから、次のロリータ服も着てくれるか? って。
 そう決意したところで、近くを他の客が通った。
 何気なしに顔を上げると、その三人ほどの女子の集団と目が合う。
「あ」
 思わず声が出ると、彼女たちは軽く驚いた様子で俺に近づいてきた。
「春日井じゃん。あんたも来てたんだ?」
 クラスメイトの、よく来馬にひっついてる女子たちだ。
「てか一人なの?」
「まさか、新と一緒じゃないよね?」
 問い詰めるような口調になった彼女たちは、俺が答える暇もなく続けて話し出した。
「新に今日一緒に遊ぼうって誘ったのにさ。先約があるからって断られたんだよね」
「最近ちょっと付き合い悪いよねー」
「そうそう」
 勝手に目の前で話し始めた彼女たちに戸惑っていると、少し剣呑な雰囲気になって睨まれる。
「……最近、あんた新と仲良いよね? ちょっとそのことで忠告しときたいんだけど」
「え……?」
 いきなり睨まれて少し怖い。
 一体なにを言われるんだろうか。
「春日井……あんたは新の友だちに相応しくないから」
「……は?」
 なにを言われているのか一瞬わからなかった。
 俺が来馬の友だちに相応しくない?
 理解しても、どう反応して良いのかわからない。
 俺と来馬は友だち、と言ってもいい関係なのかもわからない。
 お互いのヒミツの趣味を知っていて、俺の作った服を来馬が着るっていう約束があるだけの関係だ。
 それは友だちって言えるんだろうか?
 まずその時点で首をひねりたくなったけれど、でも、来馬が俺にとって特別な存在であることは確かだった。
「あんたみたいな地味系男子がさ、新みたいな人気者の横に立つとか……釣り合ってないにもほどがあるでしょ?」
「そうそう、なんだっけ? 『月とカメ』?」
 それを言うなら『月とスッポン』だろう? というツッコミを呑み込んで、俺はどう対処すれば良いのかと困り果てた。
 正直、俺が来馬に相応しくないとか釣り合わないとかはどうでも良い。
 俺と来馬の関係はちょっと特殊だと思うし、周りに認めて貰いたいと思ってるわけじゃないから。
 でも、他人の友人関係に口を出してくるこいつらってなんなんだろう?
 来馬は小さな子どもじゃないんだし、ましてや友だちって立場の人間がつき合う人間を選ぶとかおかしいだろう。
 なのにわざわざ忠告をしてくる彼女たちに、少しうんざりした気分になる。
 思っていることをそのまま言ったら逆ギレされそうな雰囲気だし、どうやって逃げ出そうか……。
「春日井?」
 絡んでくる女子たちから逃げ出す方法を考え始めたとき、丁度声がかけられる。
 顔を向けると、紺色のウィッグとメイクをしっかりキメた来馬が近づいてくるところだった。
 一瞬、俺も女子たちも言葉をなくす。
 クラシックな色合いの紫を基調としたロリータ服を完璧に着こなした来馬は、すごいカッコ良かったから。
 ロリータ服だからもちろん可愛さはあるんだけれど、落ち着た雰囲気のある服はどこか大人っぽさを醸し出す。
 その雰囲気にメイクも合わせているんだろう。
 前に見た銀髪とは別のウィッグの色も雰囲気に合っていて、一種の芸術品のようにすら見えた。
 ……ああ、来馬に着て貰って良かった。
 現状も忘れて、感動に近い喜びを胸に宿す。
 俺の作ったロリータ服を完璧に着こなしてくれる来馬。
 やっぱり今回だけで終わらせたくない。絶対に次のも着てくれるように頼み込もう。
 改めて決意し、口を開こうとした。
 けれど、俺より先に女子たちが声を上げる。
「なんだ、新と一緒じゃなかったんだ?」
「ま、でも忠告は覚えといてよね?」
 ロリータ服を着て女装している人物が来馬だと気づいていない女子たちは、俺が一緒に来ていたのが来馬じゃないと判断した様で、睨むのを止めて立ち去ろうとする。
 よかった、これで開放される。と安堵した俺の耳に、とんでもない声が届いた。
「……俺は、新だよ」
 低い、少し怒っているような声で来馬は女子たちに声をかける。
 ギョッとする俺に気づくことなく、来馬は続けた。
「お前らなんなの? 俺に春日井が相応しくないとか、釣り合ってないとか……俺が誰と一緒にいようが自由だろ?」
 長身のロリータ美女に睨まれて、女子たちはたじろぐ。
 いや、違うか。
 明らかに女の格好――しかもフリルとレースたっぷりのロリータ服を着こなしている相手が、男の来馬の声を出しているんだ。
 来馬の趣味を知らなかっただろう彼女たちにとっては、まさに青天の霹靂に近い衝撃を受けた状態なんだろう。
 目を見開いてしばらく固まっていた彼女たちの一人が、やっと頭の処理が追いついたのか震える声で言葉を紡ぐ。
「……え? まさか……新?」
「だから、そう言っただろ?」
 理解したくないのか、先に聞いていたはずのことを確認してくる彼女に、来馬は不機嫌そうな声のまま答えた。
 するとさすがに目の前のロリータ美女が来馬だと理解したようだ。声は震えたままだけれど、気を取り戻したように彼女たちは話し始める。
「あ、ああ。わかった、春日井に無理矢理着せられたんだね」
「そ、そっか。それしかないよね? なに? なんか春日井に弱みでも握られたの?」
「あたしたちが春日井シメてあげようか?」
 でも、今度は俺が来馬を脅してこの格好をさせているんだと思ったみたいだ。
 濡れ衣を着せられて、さすがに抗議しようと俺は口を開く。
 でも、俺より先に来馬が声を上げた。
「無理矢理じゃねぇよ。俺は好きでこの春日井が作ったロリータ服着てんの。お前らには言ってなかったけど、俺はこういう格好するのが好きなんだよ」
 今まで秘密にしてきたことをすんなりと暴露(ばくろ)してしまった来馬に、俺は驚きで声が出せなくなる。
「え……」
「ウソ、でしょ……?」
 対する女子たちは戸惑いを通り越して困惑していた。
 信じられない、信じたくない。
 そんな思いが見て取れる彼女たちから俺に視線を向けた来馬は、軽く目を細めて「行くぞ」と告げる。
「あ、ああ」
 驚きからまだちゃんと抜け出せてなかった俺は、ぎこちなく返事をして来馬の後について行った。

***

「よかったのか? バラして」
 ネカフェを出て、街を歩いているうちに落ち着きを取り戻した俺は、少し前を歩く来馬の背中に声をかけた。
「あいつら、学校のやつらに言いふらすんじゃないか?」
 困惑していた様子を思えば、すぐに言いふらされるということはないかもしれない。けれど、知られてしまったからにはいつ広まってもおかしくない。
 クラスの人気者である来馬の噂なんて、みんな面白おかしく脚色するに決まってる。
 大丈夫なのか? って心配する俺に、来馬は顔だけで俺を振り向いて、整った形の良い眉を申し訳なさそうに寄せた。
「いいんだよ、むしろスッキリしたから。……でも、春日井の趣味もバラしちゃったな。……悪い」
 どこかすがすがしさを感じる声音に、本当にスッキリしたと思っているんだとわかる。
 だから俺も、正直な気持ちを口にした。
「まあ、勝手にバラされたことはちょっと不満だけどな」
 足を速め、来馬の隣に移動してその長身を見上げる。
 俺の作ったヘッドドレスをつけている来馬は、可愛くて、キレイで、カッコイイ。
「でも、俺もなんかスッキリした」
 ニヤリと笑って告げると、一度目を丸くした来馬は「ははっ」と声を上げて笑う。
「そっか、よかったよ」
 嬉しそうに笑う来馬を見て、俺も目尻が下がる様な笑顔になった。

 クラスメイトに、ヒミツにしていた俺たちの趣味がバレてしまった。
 明日以降、クラス中……いや、学校中にバラされるかもしれない。
 俺たちの趣味を知ったやつらが、心ない言葉を投げつけてくるかもしれない。
 そんな嫌な想像はいくらでも出てきた。
 でも、どうしてだろうな?
 それらを考えても、気持ちが沈むことはなかった。
 きっと、来馬がいるからだと思う。
 俺の作ったロリータ服を着てくれる人がいる。
 格好良く完璧に着こなしてくれる来馬の存在は、俺に自信をくれた。
 俺の趣味は、普通とはちょっと違うかもしれないけれど、恥ずかしいものなんかじゃない。
 そう思えた。
「来馬、またお前の服作ったら、着てくれるか?」
「当たり前だろ? こんな上等でカワイイ服着られるなんて、俺の方から頼みたいくらいだ」
 顔を見合わせて、笑い合う。
 なんて言うんだろうな?
 来馬と俺は、友だち……なのかもしれないけれど、ちょっと違う。
 同じ志を持つ、みたいな……同士とも言える関係。
 なんて名前をつければいいのかはわからない関係だけれど、来馬は俺の特別な人だ。
 来馬と一緒にいれば、俺は自分らしくいられる。
 そう、思った。

END