どいつもこいつもすぐに私から目を逸らす。
 お婆様も母も、医者も看護師も信者たちですら、私の目を見て話さない。
 私が悪いの? 叶韻蝶会(きょういんちょうかい)が廃れたのは私のせい? 占いが滞って金回りが淀み始めたのも全部、私のせいだというの?
 違うでしょ。皆のせいだよ。皆が私を軽く見るから。どうせすぐ死ぬからって目で、能面みたいに笑うから。
 私、分かって欲しかった。六年前に起きたことは、片桐の妹が黒函莉里として死んだ事件でも、浅倉潤が捕まって死刑が決まった事件でもない。
 

 私が、生きるためにこの身を削った事件なんだって。
 
 
「それでね私、清玄に言ったのよ? あなたが捕まるとややこしいことになるから、しっかりアリバイ作っておきなさいって。それから……そうそう、あの宗胤って男。最近亡くなったって聞いたわ。ムッとした怖い顔が印象的だったけど、昔の知り合いとトラブルにでもなったのかしら。そうだ! とっておきなことを教えてあげましょうか、片桐さん。あなたが一番知りたがっていることよ。全てを知れば、あなたが恨むべきは私じゃないってすぐに」
「おいやめろ、息が上がっているぞ。喋りすぎだ」
「やめない! 今は、私の番よ! 私はやっと、樋井蝶子という人生の主役を勝ち取った、ばかり、なの……!」
 
 どく、と心臓が跳ねた。
 時間が止まって、聴力が研ぎ澄まされる。
 私は背中を丸めたまま重力に従って膝をつき、床に倒れ込むように身体を傾けた。
 
「おい新妻、救急車! 片桐は浅倉さんをつれてすぐにここを離れろ!」
 
 床に沈むすんでで私を抱き止めると、目黒は肩を叩きながら樋井さん、樋井さん、と私を呼んだ。
 私を苗字で呼ぶ目黒は何とも哀しげな表情で、それでいて苦しそうで。その目は、私を透かした先に死んだ奥さんを映していた。
 
「いやだ、僕は行かない! このまま彼女と……僕は!」
「浅倉さん。過去は捨てる、そういう約束のはずです。次に捕まれば、今度こそ二度と外には出られない。すぐに内々に刑が執行されてしまいます」
「それでも、僕は!」
「何をしている片桐! さっさと連れて行け!」
「やめろ……いやだ、ゆかり!」
 
 片桐に引き摺られるようにして、浅倉潤は勝手口へと消える。
 ゆかり、だって。笑える。
 
「目黒警視、救急車到着まであと五分です」
「新妻は彼女のそばに。俺は課に連絡を」
「まって」
 
 私は、離れようとした目黒の腕を掴んだ。
 
「ねえ、教えてくれない? なんのために私を助けたの? 私の心臓移植を手伝ったのはどうして? 私の人生を優先してくれるなんて言って、公安警察って人の気持ちまで弄ぶの?」
 
 目黒は変わらず、眉尻を下げて哀しげな表情で私を見ている。
 
「遺言ですよ」
「……遺言?」
「家族に罪を償わせたい。それが、あなたの妹樋井紫子(ひのいゆかりこ)さんの最後の願いでした。だから我々は、あなたと浅倉潤さんの命を未来へと繋いだんです」
「いや、意味がわからない。罪を償わせたいなら放っておけばよかったじゃない。なにもしなくても、私たちはいずれ勝手に死を迎える運命だったのよ?」
「それでは償ったとは言えない、紫子さんはそう考えていました。罪は、自覚して無念を覚えて初めて償えるスタートに立てるものだと」
「なによ、それ。そのためにわざわざ、紫子は自らの命を投げたというの?」
「それは彼女なりの償いでした。自分の父親を殺めてしまった罪を償えなかったことを、紫子さんはずっと悔いて生きてきたようです。浅倉潤の異常なまでの自己犠牲に、彼女はずっと苦しめられていた」
「理解ができない」
「ええ。我々も納得は出来ていません。今日のことはいわば、我々公安警察としての贖罪。樋井紫子さんの自死を見抜けなかった、我々の償いなのです」
 
 救急車が近づいてくる。同時に人の気配がどんどん増えて、この建物はもう包囲されているのだと悟った私に、目黒は分かった素振りで言う。
 
「聴こえているんですね。紫子さんのように、周りの音が」
 
 その言葉と同時、拝堂の扉が開いた。
 救急隊員を先導する新妻杏奈の指示で、私は担架にのせられる。もうこの頃には心臓の痛みは和らぎ、呼吸も幾分落ち着いていた。
 
「ひとつ、あなたに謝らなければならないことがあります」
「……なに」
「樋井さん、最近ずっと片桐をつけていましたよね。その聴力で警察の動きを把握しようとして。なので新妻を利用して、一芝居打たせて頂きました。喫茶店での片桐と新妻とのやり取りは、全てあなたに聞かせることを前提に片桐と打ち合わせていたものです」
「え!?」

 新妻杏奈が声を上げる。その様子で、私はさらにこの状況をバカらしく思った。
 
「申し訳ありませんでした」
「別に」
「あ、あともうひとつだけ」
「まだ何かあるの」
 
 目黒は今度こそ、私の目を見て微笑む。
 
「生きてください」
「犠牲になった人の分まで生きて罪を償え、そう言いたいの?」
「いいえ。ただ、生きてください。誰のためでもなく、あなたのために」
 
 担架に乗せられ去る私を、目黒と新妻が見送る。目黒の最後の言葉が私に宛てられたのか、それとも彼の妻に宛てた悲痛なのかは分からないけれど。
 
 この言葉で私の心臓が緩やかに鼓動を打ち始めたことに、私はちゃんと気づいていた。