朧夜(おぼろよ)蝋燭(ろうそく)揺れる叶韻蝶会(きょういんちょうかい)の拝堂にて、私は人を待ちます。
 長椅子の真ん中に腰掛け、暗がりに浮かび上がる目の前の肖像画をじっと見つめながら、時間潰しにお婆様(・・・)、あなたの言葉を思い出したりなんかして。
 
 
 生命は不平等。お婆様は常々、母にそう言って聞かせたそうですね。特に人間という生物は、多くの動物のように生まれてすぐ自力で立つことはできず、他より多くの助けがなければ繁殖できない弱体生命のはずなのに、知能を備えた奇怪な生態故にヒエラルキーの上位に位置する不思議な生き物だと。
 
 人間だけが身体を切り寿命を延ばし、
 人間だけが理性と抽象概念を持って、
 人間だけが生殖を目的とせず性交し、
 人間だけが同族間で大量殺戮を行う。

 これを愚かしいと思うか崇高と思うかは人それぞれで、初代鳳蝶(アゲハ)……あなたは前者の人間でした。
 多くを望まず、小さな喜びを噛み締め、他者を侵略せず羨ましがらず、あるがままを受け入れ細々生きる人間にこそ幸せが訪れる。そういうお考えでしたね。
 
 確かにその信念があったからこそ、あなたの占いは各界から確固たる信用と信頼を勝ち取り、揺るぎないものとなりました。
 でもね。どうしても納得できなかった。あなたには確実に未来を見通す力があったのに、自分自身と私たち家族にはその力を使わなかったこと。
 孫の私が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていても尚、運命だと受け入れよ、それがこの世の在り方だと、あなたは母である二代目鳳蝶(アゲハ)を説き続けましたよね。
 
 理屈はわかりますよ、ええ。それがあなたが導き出した、生命の不平等さを薄める唯一の方法だったことも理解はできます。
 だけどね、お婆様。私たちだけが理屈に忠実で、何か世の中が変わるのでしょうか。目の前に垂れてきた蜘蛛の糸を掴み取らないことが美徳ですか? 私はそうは思わない。あなたが付けてくれた蝶子という名の通り、私は愚行であろうとこの身を羽ばたかせて生き続ける道を選びたかった。たとえその空が、見渡す限り灰色であったとしても、です。
 
「……どうです、お婆様。私はいま生きています。あなたの力がなくとも、この世に生き残ってみせました」
 
 目の前の肖像画を見上げながらそう呟くと同時。拝堂の扉が開きます。振り返って確認した顔は、本来の待ち人とは違いました。
 
「あら新妻警部。どうしたんです、そんなに慌てて」
「樋井蝶子さん。今日はあなたに確認したいことがあって参りました」
「どうして私がここにいると?」
「こんな名刺を作って何をするつもりですか」 
 
 新妻杏奈の手に握られた名刺を見て、私はため息を漏らす。
 本当、質問に質問で返してくるのって刑事特有なのかしら。あの名刺、私はタクさんに渡したはずなのに。
 
「へえ。あなたタクさんに会ったの。もうこの件からは手を引くって言わなかった?」
「何の話ですか。そんなことより、こんなところにタクさんを呼び出して何をするつもりだったのかと訊いています。質問に答えてください」
「こちらの質問には答えないくせに、ちょっと傲慢なんじゃない? タクさんはどこ?」
「さあ。私は見ていませんよ。約束すっぽかされちゃったんじゃないですかね」

 新妻杏奈のわざとらしく余裕のある物言いに苛立ち、私は逆に微笑む。

「警察っていつもそう。自分たちの都合のいいようにいつも真実を捻じ曲げる。言っておくけど、ここは私のホームなの。私がここに男性を呼び出すことの何がいけないの? これ、何かの罪になるのかしら」
「なりませんね。でも数多いる男性の中から、わざわざ浅倉潤の実の父親を呼んだ理由が気になるところではあります」
 
 私は眼球だけを動かして周囲を見回す。新妻杏奈の他に人の気配はない。彼女は正真正銘、一人でここにやって来たようだ。
 
「その話、誰から?」
「誰でもいいでしょう」
「……ふうん、梓ママか。やっぱりタクさんだけじゃなく、彼女も対象(・・)に入れるべきだったわ。次からはそうする。貴重な情報をありがとう」
「対象って、タクさんと梓さんに何をするつもりですか」
「べつに」
「殺すんですか」

 ——はあ。本当に面倒臭い。

「あのね。紫子が死んでやっと健康体を手に入れて、これからの人生を謳歌しようって時に、真実を知るものが生きていちゃ困るのよ。だから今度は、この人に処理を任せようと思ってね」
 
 私の合図で勝手口から入って来た男に、新妻杏奈は目を見開いた。
 そうよね、驚くわよね。だってまさか、彼が私の信者だなんて思いもよらないものね。
 
「少々順番は狂ってしまったけれど、まずはこの女刑事を始末することにしたの。やってくれる?」

 私が言えば、刑事の目黒は腰元のホルスターから拳銃を抜いた。