……なんてね。誰が諦めますか。
 心の中でそう叫んだ私は場所を喫茶店からスナックへと移動して、飲み物もコーヒーから酒に変えていた。
 
「あら、やけ酒? 顔真っ赤だけど」
「大丈夫です。私、顔が赤くなってからが本番なので」
 
 カウンターからおかわりを頼めば、(あずさ)ママが上機嫌にレモンサワーを作ってくれる。先ほど年齢は五十九だと聞いたが、見た目は四十代に見えるほど若々しかった。
 
杏奈(あんな)ちゃんは今、二十四だっけ? 最近よく来てくれるのは嬉しいけど、うち選んでくれるの無理してない? ねえ、タクさん」
「そうだなあ。毎日閑古鳥が鳴いているこの店にわざわざな。本当、よく潰れないもんだよ」
「なーにその言い方。タクさんが野垂れ死なないようにわざわざ開けてあげているのに。そんなに言うなら何か頼んでよ、フルーツ盛り合わせとか」
「盛り合わせ?」
「バナナとみかん。二一〇〇円」
「ぼったくりじゃねえか」
 
 白髪混じりの髪を振り上げて軽快に指摘したタクさんは、私とは反対側のカウンターの端に座っていた。呆れたように煙草に火をつけ白い煙を吐き出すと、気づいたように私へと目を向ける。
 
「これでも昔はこの店、結構繁盛していたんだよ。信じられないと思うけど」
「疑ってませんよ。梓ママ綺麗だし、話面白いし」
「それがね。当時はもっと美人のチーママがいてさ。愛嬌があって歌も上手いのなんの」
「タクさん」
 
 梓ママは、トーンを下げた真面目な声色でタクさんの話を止めた。
 
「その話はしないって約束でしょう? もう、酔っ払うとすぐ忘れる」
「別にいいじゃねえか、とっくに時効だよ。それに、こないだ息子が死刑になったってニュースやってたろう。りっちゃんも天国で安心したと思うよ、ようやく終わったってな」
「それって」
 
 私が口を挟めば、梓ママは仕方がない、といった面持ちで話し始める。
 
浅倉潤(あさくらじゅん)って死刑囚、このまえ刑が執行されたの知ってる? あの子ね、私昔から知ってる子なの。無口だったけどいい子でねえ。未だに潤くんが人を殺しただなんて信じられないのよね。父親のことだって、潤くんはりっちゃんを守ろうとしてやったことで、その後の事件もきっと何か事情があるんだって、私何度も警察に言いに行ったんだけど取り合ってもらえなくて」
 
 私は一旦気を落ち着かせようとレモンサワーを煽った。喉元に絡む酸味を何度か飲み込んでから、冷静に言葉を繋ぐ。
 
「その、りっちゃんっていうのは」
「さっきタクさんが言っていた、昔うちに勤めていた美人のチーママ。で、彼女は今言った潤くんの母親なんだけど、彼女が亡くなったとき一番に発見したのは私だったの。本当、今思い出しても腰が抜けちゃうわ。あんな光景忘れたくても忘れられないもの」
 
 私も一杯貰うわね、と梓ママはウイスキーをグラスに注いだ。急ぎ、ほんの少し口に含むと、そのアルコールの強さに顔を顰めてからぐっと飲み込む。
 
「りっちゃん、小さい頃から苦労しててね。毎日毎日アルバイトして学校にも行く暇なくて。うちで働いてからも、死んだ親の借金に追われて、それでも真面目に頑張って……やっといい人見つけてね。結婚するって報告受けた時はそれはもう喜んだ。でもその男、変な宗教にハマっちゃってて」
 
 梓ママは、どこか違う世界の話でもするように営業トークを続けた。
 私が浅倉潤のことを知る警察関係者などとは知る由もなく、私が知る通りの事実を順に語っていく。とはいっても、浅倉潤が十五の時に犯した罪の記録は資料ごと丸々破棄されていて、私の知るところではなかった。だからこそあの日、目黒さんは教誨師のふりをして浅倉潤に過去を振り返らせたのだ。
 古い記憶に時々首を傾げる梓ママに、タクさんが修正点を指摘したりして。この話はきっとタクさんと梓ママ、二人でいる時の語り草なのだろうと思った。
 
「でもさ、まったく世の中ってのは不思議だよな。あんなスズキでもハヤシでもない特殊な名前の同姓同名が存在するなんて」
「同姓同名?」
 
 私が聞き返すと、タクさんの代わりに梓ママが笑って口を開く。
 
「私はテロップの見間違いかなにかじゃないかと思っているんだけどね。タクさんは俺の記憶に間違いはないって言い張るの。だって偶然がすぎると思わない? 潤くんの事件で亡くなった女の子が、りっちゃんと同じ黒函莉里(くろはこりり)って名前だなんて」